大阪淀屋橋または京都三条方面から京阪電車急行に乗って35〜40分。「くずは駅」はこの路線のちょうど中間にある。 駅前には「楠葉」の由来や歴史的な背景を解説したモニュメントが立っている。私の一家はここからバスで10分の男山団地 に7年住んでいた。まだ小さかった子供達を連れて、よくこの商店街で買い物をしたり食事に来たりしたものだ。なつかし かったが20年間殆ど変わっていないのにも驚いた。
継体天皇については、「日本古代史・邪馬台国をとりまく謎」の「継体天皇はどこからきたのか?」コーナーで詳しく取りあ げたのでここでは省略する。詳細はそちらを参照いただきたい。 くずは駅前から「男山車庫行き」バスに乗り10分。「長沢」バス停下車。くずは駅前からはあちこちにバスが出ているので、 乗り間違えないように注意されたい。間違うととんでもないところへ運ばれる。「男山車庫行き」も右回り、左回り、循環 などと沢山の路線があるので「長沢」バス停に止まる路線を確認して乗られたし。健脚組あるいは私のように歩くのが好き な人は、駅前からの太い幹線道路を一路男山団地(山の上に大団地の棟が立ち並んでいるのが見える)を目指して歩けば簡 単にたどり着く。歩いても3,40分程である。 「長沢」で降りたら住宅街の中を南(くずは駅の方面)へ2,3分行くとこんもりした森が見えてくる。「交野天神社}で ある。
「長沢」バス停から交野天神社とは反対側(北側)に和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀った和気神社がある。中世の西山 廃寺(足立寺)の跡もあり、奈良時代の瓦を焼いた窯跡も残っている。今は公園になっている。20年近く前、子供の手を引 いてここへ散歩に来た。「交野天神社」は大阪府だが、ここはもう京都府八幡市である。
この池は知らなかった。来たこともなかったが、途中で道連れになり帰りには楠葉まで道案内してくれた、営林署をRETIRE したおじさんの話では、池の廻りにショウブやアヤメその他の水花が沢山植えられていて、季節になると見事だそうである。 おじさんがあまり熱心に継体天皇の話や枚方について話してくれるので、とうとう昔ここに住んでいたと切り出せなかった。 「どうせ暇で散歩の途中だから」とおじさんはくずは駅まで同行してくれた。「今のサラリーマンは大変だねぇ。定年前に リストラされるし、会社は定年まであるかどうかわからんし。いゃ、わしゃいいときに隠居した。」と同情された。
帰りに商店街の中を通ったら20年前と変わらず、演歌歌手の新人キャンペーンをやっていた。まだ小さかった子供達も、よ くここでデゴイチ機関車に乗ったりして遊んだものである。いやなつかしい。
以下は、博物館めぐりの「同志社大学歴史資料館」の中に紹介した継体天皇「筒城の宮」跡である。継体天皇は「楠葉宮」 からこの筒城(綴喜郡:現京田辺市)に都を移す。その後も北河内をアチコチ移動した節がある。最終的に奈良に都を構え るのは即位後20年もたってからなのだが、墓は乙訓(現高槻市)に造られた。 (天皇陵めぐり「継体天皇陵」を参照。)