黒姫山古墳は、大阪南部の百舌鳥(もず)古墳群と古市(ふるいち)古墳群の中間に位置している。全長114m、前方部の 幅64m、後円部の経67m、高さ11mの二段築成の前方後円墳である。古墳時代中期(5世紀中頃)に、この地方で勢力 を誇っていた丹比(たじひ)氏によって築造されたと考えられており、中世には砦として利用されていた事が発掘調査の結果 判明している。 後円部の埋葬施設は盗掘により破壊され、現在は消滅している。しかし、通常の前方後円墳では考えられない前方部中央に竪 穴式石室が発見され、中から大量の甲冑、鉄製武具、武器が出土し、1947年からの発掘調査時大変な話題になった。19 57年、国の史跡に指定され、1978年には廻りの周庭帯(しゅうていたい)も追加指定を受けた。平成元年からは国と大 阪府の補助を受けて美原町による環境整備が行われ、大量の甲冑類も保存処理が終了し、一部古墳横のガイダンス施設に展示 されている。残りの出土物は各地の保管所に預けられ、美原町に博物館が出来るまで保管されている。 (確認したところによると博物館建設の計画は頓挫したままだという。遺物も町役所のロッカーに入れたままのものもあると 言う。なんたる事!)
古墳に作られる石室は通常、後円部に死者を納めた棺を埋葬するのだが、この黒姫山古墳では前方部に石室があり、しかも死 者ではなく石室一杯に、24人分の甲冑が納められていた。黒姫山古墳の周辺にはかって6基の陪塚(ばいちょう)があったと 言われており、殉死した王の部下達が使用した甲冑かもしれない。しかし、6基の古墳は出土した埴輪から、黒姫山古墳とは 年代が異なると言う説もあり、どうして24人分もの武具が埋納されていたのか、今となっては謎のままである。