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紀伊風土記の丘 99.7.10(土)−岩橋千塚古墳群−

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	今月の歴史倶楽部例会は再び紀州へ。今回は、一日目が岩橋千塚(いわせせんづか)古墳とちょうど今田辺市で開催されてい
	る「南紀熊野体験博」を見て、二日目は熊野古道と龍神温泉という予定。勿論宿は去年と同じ南部川村清川の「紫音」。
	(歴史倶楽部例会の「春桜紀州高野山」のコーナー参照)

	国特別史跡の岩橋千塚古墳群は、後期を中心とする我が国最大規模の群集墳である。古墳群は花山(はなやま)・大谷山(お
	おたにやま)・大日山(だいにちやま)・岩橋前山(いわせまえやま)・和佐(わさ)・井辺(いんべ)・井辺前山(いんべ
	まえやま)・寺内(てらうち)の八支群からなり、古墳総数は700基にちかい。稜線には天王塚(てんのうづか)・将軍塚
	(しょうぐんづか)・郡長塚(ぐんちょうづか)などの前方後円墳を配し、尾根には無数の円墳や方墳が分布する。
	後期の古墳には緑泥片岩(りょくでいへんがん)を積み上げた横穴式石室が多く、また玄室には石棚や石梁が多く、この古墳
	群の特徴となっている。古墳には、日前宮(ひのくまぐう)を奉祭し和歌山平野を支配していた、紀伊国造(きいのくにのみ
	やっこ)紀直(きのあたえ)一族や家臣達が葬られたと推定できる。盗掘を受けた古墳も多いが、井辺八幡山古墳や大谷山22
	号墳からは人物埴輪や形象埴輪などが多数出土している。風土記の丘には資料館があるが、この古墳群からの出土物の多くは
	「和歌山市立博物館」などに分散して展示されている。

 




	紀ノ川下流左岸の和歌山平野が一望できる丘陵地にある岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群は、約700基にも及ぶ古墳群から
	なり、大部分の古墳は1500年前から1400年前までの約100年間に築造されたと推定されている。この古墳の重要性はすでに明
	治年間に指摘されており、その数の多さに加えて、その石室の構築技術が注目されていた。この古墳群は、横穴式石室に石
	棚(いしだな)・石梁(いしはり)を持つ古墳が多く、とくに石梁は全国でも他に類例をみない。



 


	下左の山中に付けられた丸いマークがすべて古墳である。ただ穴を掘って埋葬したのではなく、この山に多数ある板状の結
	晶片岩を、一枚一枚積み重ね盛り土をして完成させている。

 









	資料館の壁も、この結晶片岩を積んだ装丁になっている。資料館のすぐ裏手には竪穴式住居も復元されている。資料館の裏手
	から広場を通り、移築された民家の脇を歩いて尾根へ行き着くようになっている。舗装された登り道から脇へそれて古墳見学
	の道があり、見学後また舗道へ戻る。

 

 



 

  

 

 






	古墳には慣れっこの我々もここの古墳には驚いた。チマチマとよく積み上げたものである。しかも棚や梁は何の目的で造った
	のか。下右は古墳天井である。5mほどの高さに空間がある。

 

 






南紀熊野体験博

体験博のテーマは下の、「蘇える」「癒す」「充たす」である。




	「和歌山の道・歴史と未来」館に居たおねぇちゃん。ツーショットでの写真を頼んだら、天気がいいから外でとりましょうと
	わざわざ外で並んでくれた。元気一杯の子だった。





 


	博覧会は3DのCG(Panasonic館)やInternetと暮らし(NTT館)など、コンピュータ技術とNetwork技術を駆使したモノが多か
	った。「森の国」和歌山らしく自然や森林にちなんだ展示も多かった。午前中は1500年前の先人達の偉業に感嘆し、午後は
	未来の夢に期待する。まさに「過去と未来を一日で見た」ような日だった。この体験博は、ここ田辺と熊野新宮と二カ所で
	開催されている変わった形態の博覧会だ。そんなに人も多くなく、パビリオンも10館もない。しかも無料である。夏休みは
	子供達でにぎわう事だろう。

 

車窓からみた暮れてゆく田辺の海。夕焼けはいつももの悲しい。さぁ、今夜の宿を目指して一目散。







	翼広げて飛ぶ鳥形埴輪見つかる 和歌山の古墳で国内初 asahi.com 2005年07月20日22時52分

	

	岩橋千塚古墳群から見つかった翼を広げた鳥形埴輪=20日午後、和歌山市の和歌山県教委で
 
	和歌山県教委は20日、和歌山市岩橋の国の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」で、翼を広げて飛ぶ姿を表現した鳥形
	埴輪(はにわ)が見つかった、と発表した。6世紀前半に作られたとみられる。鳥形埴輪は全国で100例以上見つかって
	いるが、翼を広げた埴輪は初めてという。同教委は「埴輪の変遷を知る上でも貴重な資料だ」としている。 
	見つかった鳥形埴輪は全体が赤茶色の素焼きで、高さ約40センチ、全長約50センチ。右側には長さ約25センチの翼が
	接合され、左翼はちぎれた状態だった。水平に飛んでいる格好を表したとみられる。 
	胴体には直径1センチ程度の穴が約10カ所あり、制作当時、実際に鳥の羽が差し込まれ、装飾された可能性があるという。 
	同古墳群にある前方後円墳(大日山35号墳)の東側のくびれ部分で見つかり、破片をつなげる復元作業をしていた。鳥形
	埴輪には、死者の魂を来世に運ぶなど様々な解釈があるが、飛ぶ形にされた理由は不明という。 
	同古墳群は約700基の古墳があり、有力豪族だった紀氏の墓とみられている。出土した埴輪は、同市岩橋の県紀伊風土記
	の丘で26日から9月19日まで展示される。 
 



	【天声人語】2005年07月23日(土曜日)付
 
	まず、ぽっかりと開いた目にひきつけられる。黒い穴のような目の先に短いくちばしがあり、右の肩から翼が伸びている。
	和歌山市の「岩橋(いわせ)千塚古墳群」で出土した鳥形埴輪(はにわ)の写真を見て、一時心がなごんだ。
 	埴輪の顔が私たちをひきつけるのは「切りとった目ゆえである」と国立歴史民俗博物館の館長だった佐原真さんが書いてい
	た。「埴輪の顔に対するとき、人はおだやかな眼差となる。切りとった目は、目の輪郭にすぎず、黒目がない。埴輪は相対
	する者を凝視できない」(『日本の美術』至文堂)。
 	人物埴輪についての記述だが、動物の埴輪にも通じるところがあるように思う。「埴輪に対する人は、見つめられることな
	しに、見つめることができる」。それだから、やすらいだ気持ちで埴輪に向かうことができると佐原さんは記す。
 	東京・両国の江戸東京博物館で開催中の「発掘された日本列島2005」には、全国各地からの様々な出土品と共に埴輪も
	幾つか展示されている。中に奈良県巣山古墳で出土した3羽の水鳥形埴輪がある。白鳥を思わせるこの埴輪の目は、くりぬ
	かれてはいない。しかし、これはこれで、じっと遠くを見ているような風情がある。
 	鳥形の埴輪には、死者の魂を来世に運ぶといった解釈もあるそうだ。翼を広げたものが出土したのは、今回の和歌山が初め
	てという。奈良文化財研究所の高橋克寿・主任研究官は「渡り鳥のように飛ぶことが得意な鳥をモデルにしたと考えられる」
	という。古代からよみがえった謎の鳥は、想像の翼を広げてくれる。

	



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