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加曽利貝塚
2000.2.3 千葉県千葉市若葉区






	加曽利貝塚	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	加曽利貝塚 - 縄文時代の船着場復原図(2008年10月13日撮影)加曽利貝塚(かそりかいづか)は、千葉県千葉市若葉区桜木8丁目
	にある縄文時代の貝塚である。世界でも最大規模の貝塚であり、学史上でも著名な標式遺跡としても知られる。 1971年(昭和46
	年)に北貝塚が、1977年(昭和52年)に南貝塚が国の史跡に指定された。北貝塚のE地点の土器は、縄文中期後半の加曽利E式、南
	貝塚のB地点の土器は、縄文後期後半の加曽利B式として編年の指標となる土器と位置づけられている。

	加曽利貝塚遺跡は、千葉市内を東西に流れる都川の中流で北に向かって分流している坂月川を2キロメートルほど遡った西側の右岸
	に東西約500メートル、南北約800メートルの舌状台地上にあり、その台地は西側が平坦部で、東側に向かって緩やかに傾斜してい
	る。貝塚を含む地層は台地の東側縁辺に東西300メートル、南北400メートルにわたって分布している。

	加曽利貝塚は、直径約130メートルの北貝塚と、長径約170メートルの南貝塚が連結し、全体としては8の字形となる特異な形状をし
	ている。面積は約13.4ヘクタールで世界でも最大規模の貝塚である。現在、敷地は加曽利貝塚公園として管理されており、千葉市
	立加曽利貝塚博物館が設置されている。貝塚周辺の一帯には縄文中期の小型貝塚や住居跡が広く分布している。

	この場所では約7000年前の住居跡が発見されているが、当時の貝塚は残されていない。巨大な貝塚が作られ始めたのは約5000年前
	の縄文中期である。加曽利北貝塚は縄文中期(約5000〜4000年前)に作られたものである。初期には小規模な貝塚と住居があった
	が、後にその上に直径約130メートルのドーナツ形の貝塚が約1000年かけて作られた。縄文後期になると北貝塚は利用されなくなり、
	その南側に南貝塚が作られ始めた。加曽利南貝塚は縄文後期(約4000〜3000年前)のもので、約1000年かけて長径約170メートルの
	馬蹄形の貝塚が作られた。イヌの骨が人間とともに葬られていることが確認され、話題を呼んだ。




	貝塚は公園として整備された林の中に観察舎を設けて保存してある。明るく気持ちのいい公園で、犬を連れた人々が散策している。

 


	建物の中にはいると強烈なカビの臭いがするが、ものの2分もいるともう何も匂わなくなってしまう。人間は何処でも生きて行け
	ると実感する。

 




	北貝塚貝層断面

	加曽利貝塚も含めた東京湾東岸の貝塚の特徴は、ハマグリやイボキサゴが多いことである。汚染に弱いハマグリが大量に出土する
	ことで、当時の東京湾がきれいな海だったことがわかる。縄文中期の北貝塚の貝層断面をよく見ると主に春から夏にかけて小さめ
	の貝を盛んにとっている。






	縄文時代の貝塚は全国に約1,600ケ所もある。その大半が(約1,000ケ所)関東地方に集中している。東京湾沿岸には600
	ケ所、千葉市内には約110ケ所の貝塚があり、この「加曽利貝塚」は中でもその規模と遺物の多さで日本でも最大級の貝塚であ
	る。千葉市には「貝塚町」などの地名も残っており、貝塚の町として世界に知られている。これは、東京湾が当時遠浅の海で貝の
	生息に適していたこと、縄文人がとりやすい場所に貝が多く生息していたためと考えられる。









 

 

















 

 




	南貝塚貝層断面(上)、小山を「切通し」として保存加曽利貝塚は、1887年(明治20年)の上田英吉の「下総国千葉郡介墟記」
	(東京人類学雑誌2-19)によって学会に初めて紹介された。1907年(明治40年)、東京人類学会の調査によって「本邦第一の
	貝塚」であることが確認された。
	1963年(昭和38年)頃、加曽利貝塚のある土地を東洋プレハブ工業が買収して整地作業を開始し、南貝塚の一部を破壊した。
	これを機に保存運動が高まっていった。1964年(昭和39年)3月18日、千葉市は北貝塚の5ヘクタール余りの用地を買収して公園
	として整備することとし、1966年(昭和41年)11月24日に千葉市立加曽利貝塚博物館が開館した。その後1972年にかけて南貝塚
	の土地も買収され、1971年(昭和46年)3月22日に北貝塚が「加曽利貝塚」として国の史跡に指定され、1977年(昭和52年)には
	南貝塚が追加指定されて貝塚のほぼ全域が保存されることとなった。





	千葉・加曽利貝塚の復元竪穴式住居が全焼、遺体発見  2006年08月05日02時18分 asahi.com
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	 4日午後5時半ごろ、千葉市若葉区桜木町の加曽利貝塚内で出火、復元した竪穴式住居2棟(約50平方メートル)
	が全焼した。1棟の内部から、女性の遺体が見つかった。千葉東署で身元や死因、出火原因を調べている。 

	 加曽利貝塚は、日本最大級の縄文時代の貝塚。市立加曽利貝塚博物館によると、焼けた竪穴式住居は91年、木材や
	カヤを使って南貝塚の実際の住居跡に復元された。屋根付きが5棟、軸組みだけのものが2棟あり、それぞれ1棟ずつ
	が焼けたという。同館は午後4時半に閉まるが、住居がある付近は常にだれでも入れる状態だった。同署によると、
	「人が住居付近に近づいていった直後に燃えた」という目撃情報があるという。 
	この住居では93年と昨年にも火災があった。同館は「火事が連続して不安だが、入場制限するのも難しい」と話して
	いる。 


邪馬台国大研究・ホームページ   古代遺跡めぐり/ 加曽利貝塚