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奈良県・唐古鍵遺跡 99.5.8(土)− 弥生時代最多の絵画土器出土遺跡 −








	唐古・鍵遺跡の概要
	
	唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に営まれた弥生時代の環壕集落の跡である。
	環壕遺跡としては近畿地方では最大、全国的にも佐賀の吉野ヶ里に次ぐ30fの広さを持っている。相当な人数の
	人達が弥生時代全般に渡ってここに居住していたものと思われる。昭和11・12年に行われた、末永雅雄博士を中心
	とした調査団による発掘調査とその報告書は、その後の我が国の弥生研究の教科書的存在となった。その後長らく
	この遺跡には調査の手が入らなかったが約40年を経て調査が再開され、平成9年3月までに63次に及ぶ発掘調査
	が行われ、ムラを取り巻く五重の環濠や、縦穴住居跡、青銅器の鋳造炉跡(平成10年)などが発見された。調査は
	現在も継続中である。
	また、土器、木製品、糸魚川産のヒスイなど、弥生時代の遺物の殆どが出土している。出ていないのは銅鐸そのも
	のぐらいである。
	しかし銅鐸の鋳型は発見されており、銅鐸を使用或いは製造していた事は間違いない。かなり大規模な青銅器生産
	集団が居住していたものと考えられている。
	しかし、この遺跡の名を有名にしたのは、平成3年に発見された「楼閣」の絵が描かれた土器の破片である。
	「邪馬台国」の楼閣に結びつくというのでマスコミが飛びつき、唐古・鍵遺跡の名前は一躍全国的になった。
	実は、この遺跡は約90点の絵画土器を出土しており、全国の絵画土器出土総数の約3分の1を占めているのだ。
	北へ600m程の清水風(しみずかぜ)遺跡からの30点の絵画土器をあわせると、全国の約半分の絵画土器がここに
	集中しているのである。
	弥生絵画の定番シカはもとより、魚、鶏(鶏を飼育していた事の証明になった)、スッポン、龍、人物、建物、舟
	(準構造船の様子が具体的に判明した)など、あらゆる絵画を土器に刻んでいる。龍などは中国からの影響を窺わ
	せる。
	問題となった「楼閣」の絵は、二階建ての高層建物を現した、全国的にも類例のない建物絵画である。しかも屋根
	に描かれた渦巻き状の飾りは我が国初の装飾屋根であったため、ことさら「邪馬台国」の「楼閣」と結びつけて報
	道される事になった。
	田原本町では遺跡のシンボルとしてこの建物を、遺跡のほぼ中央、唐古池に復元している。

 


	奈良市街から国道24号線を南下して30分ほどの所(近鉄電車は田原本町駅:歩いて30分)に遺跡はある。道路
	沿いに大きな看板が立っているので見落とさなければすぐにわかる。
	ほんとはこの駐車場の辺り一帯も遺跡なのだが既に人家や店舗が建ち並び、現在遺跡としてのおもかげは唐古池の
	片隅に建てられた「楼閣」の復元建物に見るだけである。

 

駐車場から「楼閣」が見える。駐車場の端から畦道を登っていくと池の中に復元建物が建っている。

 

 

 

 

 





 


遺跡を見て資料室を見学した後(資料室のおじさんは親切で沢山教えてもらった。)、巻向の箸墓古墳に寄った。
















 
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