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資料を見つめる宮崎君。結局彼には1泊2日で1000kmを走って貰った。四国の高速道路、徳島道・松山道・高知道・ 高松道を全部走り、結局四国全県を廻った事になる。感謝感謝。
<上黒岩岩陰遺跡> 四国の最高峰、石鎚山の山麓に、高さ20mもの断崖を背負うように、旧石器時代からまもない縄文草創期から早期を中心 とした遺跡、上黒岩岩陰遺跡が存在する。「岩陰文化の里」として遺跡を整備した上黒岩は、1961年に近在の中学生に 発見されて以来、考古学・民俗学・生態学などの多方面にわたって話題を巻き起こしてきた。
岩陰遺跡の地層は、14階層を数え、1層から9層に古墳時代までの6つの文化層の存在が確認された。第9層の下部から は、腰蓑を着けた女性の姿を浮き彫りにした緑の河原石・線刻礫が出土した。この石のビーナス像は、日本原始の美術とし て名高い。第9層の上部からは、1万2千年前の細隆起線文土器(さいりゅうきせんもんどき)が発見され、当時の世界最 古の土器の記録を更新した。その後各地で古い縄文土器が出現し、現在では1万6500年前のものが確認されている。
1万年前の第6層、無文土器時代の層からは、大型の線刻人物像が出土。8000年前の縄文早期の第4層は、押型文土器 時代には墓域となり、多数の人骨が装飾品や鳥獣魚骨とともに埋葬されていた。この層からは埋葬された2匹のイヌの骨も 出土して、当時からイヌがヒトと共に生活していたことを証明した。人骨の多くは改葬してあり、祖霊として敬われたらし い。この遺跡は、発見当時目に見えるはっきりとした層に分かれて残っていたそうである。(へぇー、層、言うたりして。) そんな例は国内では珍しく、それぞれの地層から人類の営みがうかがえる。生活文化層と呼ばれる1〜4、6、9層は土が 肥えて黒っぽく、無遺物層である5、7、8、10層は逆に土が痩せて黄色っぽい。出土物も地層によって異なり、上層に いくほど文明が発達していることが分かる。
あらゆる動物を食っている。動くものは何でも捕まえたのだろう。「ニッポンイヌ」という表記があるが、これは食料にな った犬なのだろうか。資料には2匹の日本犬(柴犬)が埋葬されていたとあるので、こっちは食料ではなく猟犬として可愛 がられていたもののようだ。食べる犬と2通りあったのかもしれない。イヌは弥生時代にも食べられた形跡が残っているし、 江戸時代、綱吉の「生類憐れみの令」が出ている最中でも、大名屋敷の中でさえイヌは食べられている。 オオヤマネコは、ヨーロッパからシベリアに棲息する寒冷地で生きるヤマネコである。またそのごく近縁種のカナダオオヤ マネコが北米大陸北部(主としてカナダ)に棲息する。ヨーロッパでは、ヨーロッパヤマネコについで人に馴染み深いヤマ ネコらしい。このオオヤマネコが、3〜1万年前から縄文時代の中期〜後期頃まで日本に野生していた。縄文人が、オオヤ マネコの下顎骨や牙に穴を開けた装飾品が、岩手県陸前高田市・中沢浜貝塚で見つかっている。他にもオオヤマネコの遺骨 が発見されているのは、鹿児島県市来町・市来(いちき)貝塚、山口県美祢郡・秋吉台遺跡、福井県鳥浜貝塚、宮城県宮城 県桃生郡・里浜貝塚などである。