Music: 雅曲
出雲大社境内遺跡(巨大柱出土)
2000.5.14 島根県大社町

  


	出雲大社に行った。Wifeの友人がそっち関係(神道)で、その人の息子さんが、皇道館を出て今年から出雲大社の神主(職
	員)になったそうで、「出雲大社例祭」にご招待が来たのだ。一般の人は中へ入れない「勅祭」だと言うし、最近境内で見
	つかった古代出雲大社の柱跡も公開中との事なので、飲み屋仲間による「三方五湖焼き肉パーティー」を断って訪れた。何
	でもこの祭りは、出雲大社で行われる祭りの中でも最大級のものとガイドブックにある。

 

「大国主の尊」(おおくにぬしのみこと)と白ウサギ、波に乗る玉をさずかる「大国主の尊」。

 

 

やってる、やってる。これだ!これ。これを見たかった。高さ48mもの古代出雲大社の柱跡。
まさしく巨大建築物、しかも平安時代。信じられないものが出た。巫女さんがパンフレットを配っていた。

 



 




	ついに出たか。とうとう出たか。やっぱりな。という感じである。
	代々出雲大社の宮司である千家(せんげ)家(現宮司で85代目と言い、人によっては天皇家よりも古いと言う。)に残る絵
	図(金輪御造営差図)に、柱を3本組み合わせて1本にした「古代出雲大社」の造営図が残っている。現出雲大社の高さは
	24mだが、その図では48mになるらしい。現在の倍の高さである。これをめぐって論争があった。そんな高さの建造物など平
	安時代初期に建てられるはずがない、いや建てられるはずだ、というものだ。建設会社の「大林組」も、専門家の立場から
	computerを駆使してSimulationを行って、その結果は単行本になって刊行されている。「古代出雲大社の復元」(学生社刊)。
	その柱の実物が出土したのである。まさしく、古文書は事実を語っていた、のだ。これで48m出雲大社説は裏付けを得たこ
	とになる。しかし千家家の他の文書には、もっと古代には更に倍の 96mあったという記述もある。これには「大林組」も論
	評を避けているが、建築学の知識から見れば、木造で 96mというのは常識では不可能ということのようだ。「古事記」に
	「日本書紀」は「オオクニヌシ」が高天原に出雲を譲り渡したとき、代わりに宮殿を建ててくれと所望し、高天原はこれを
	建てたとある。これが古文書に言う96mの出雲大社であろうか。96mと言えば今の30階建てのビルに相当する。古代にあって
	は、まさしく天上から下界を見下ろすと言う感じだったに違いない。



 


	出土した柱根のレプリカが展示されていた。横に並ぶとさすがにその大きさが分かる。こんな大きな柱で支えれば48mは可
	能かもしれない。



 



「記紀」には、高天原が建てた宮殿の屋根に千木を渡したという記述がある。今に残る建築様式は遥か古代からの伝承なのだ。









出雲大社例祭(勅祭)




 

例祭は出雲の国造(くにやっこ:皆は「こくぞう」さんと呼んでいた。)による射弓で開始される。










	一般の人は八足門まで。ここから中には入れない。祭りは門を入ったところの境内で行われた。敷き詰めてある玉砂利がソ
	フトボール程の大きさだ。でかい!
 

 

若い巫女さんの舞が始まると、どこにいたのか地元のTVクルーがヌーッと現れてしきりにカメラを回していた。

 

  


	式典がすんで貰った神餅、直會(なおらい:下右:弁当である)と御神酒。嫁半の分と2つずつ貰ったが、駐車場で嫁半
	達を待ってる間に御神酒を1本飲んでしまって呆れられた。弁当はうまかった。特に赤飯が。











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