Music: 旅愁
新潟県・長者ケ原遺跡(縄文時代) 1998.11.21(土)




	長者ケ原遺跡は、新潟県糸魚川市にある。糸魚川と言えば、古代史ファンにはいや古代史ファンならずとも、日本における
	ヒスイの一大産地である事は広く知れ渡っている。しかし、明治になって遺跡からヒスイが発掘され出した当時は、日本に
	はヒスイの産地は無いというのが学会の定説だった。当時日本に一番近いヒスイの産地は、ビルマ北部・雲南方面であり、
	ここらが日本のヒスイの産地であろうという見解がほぼ定着していた。
	現代の学問の水準から見れば、はるか縄文時代前期末(今から約5000年ほど前)にすでにビルマ・雲南との交易があった事
	になり、これは信じがたい説である事がわかるのだが、当時はまだ縄文・弥生などの年代観もはっきりと定まっていた訳で
	はないのだ。
	糸魚川出身で、早稲田大学に学び(後教授となる)「都の西北」の作詞者でもある相馬御風(そうまぎょふう)は、
	「古事記」「日本書紀」に現れる「玉」はヒスイではないかと考えた。ヌノカワと読める勾玉の産地は糸魚川を流れる「姫
	川」の事ではないかと考え、これを地元の人々に説いて昭和14年、探索していた地元住民により初めて姫川支流の小滝川
	上流でヒスイが発見された。その鑑定やそれが考古学会に知られる経過についても面白い話があるのだがここでは割愛する。
	ともかく、糸魚川でヒスイが産出するという事が考古学会で認められて13年後(その間第二次世界大戦と戦後の混乱期を
	はさむ)の昭和29年、初めて長者ケ原遺跡に本格的な学術調査が入った。その結果、完成品のペンダント2個を含むヒス
	イの原石が250点も出土し、さらにその多くが加工途中の半製品或いは破損品である事が判明し、長者ケ原はヒスイを中
	心とする石材の一大加工場のムラであった事が判明した。



 


	長者ケ原一帯は古くから土器や石器が出土する事で知られ、土地の人々は「長者の屋敷跡」と想像していた。明治30年には
	地元の研究者により縄文時代の遺跡である事が確認されていたが、大正時代の終わりに相馬御風の友人で考古学者の八幡一
	郎がこの遺跡を訪れ、そのとき拾った岩石を鑑定して貰っているが、その時は石英岩の一種だろうとされた。日本にはヒス
	イは産出しないという先入観もあっただろうし、或いはその時の岩石はほんとに石英だったのかもしれない。
	今日では糸魚川流域以外にも、兵庫県、鳥取県、長崎県など約10ケ所にヒスイ産地があるとされているが、しかし北海道
	から九州に及ぶ全国の遺跡から発見されているヒスイ製品は、「X線蛍光法」による科学的な成分分析によって、全てここ、
	糸魚川流域の材料である事が判明している。即ち、縄文時代のヒスイは全て糸魚川で産出し加工され、一元的に日本全国に
	流通したと断定できるのである。

 


	古代のヒスイ製品の分布状況から、「ヒスイロード」として、糸魚川流域 → 長野県 → 山梨県 → 関東に至る経路
	と、糸魚川 → 日本海沿岸、と北海道に至る経路の二つが想定されているが、私の考えでは、おそらく糸魚川 → 富山
	 → 丹後 → 関西に至るルートもあったに違いないと思う。或いは、沿岸づたいに能登を越え若狭から出雲あたりまで
	運ばれていた可能性もある。いずれにしても、狩猟と採集の時代と考えられていた縄文時代に広く遠隔地交易があった事実
	は、縄文時代に対する時代観を見直すきっかけとなった。そしてそれは、時代を経て三内丸山遺跡の発見により確定的とな
	るのである。即ち、縄文時代も弥生時代に劣らず或いはそれ以上に、分化し高度に組織化された社会を営んでいたという事
	実である。

 











長者ケ原考古館


この博物館は、遺跡の側の、林に囲まれた高台に
まるでシャレた喫茶店のような趣で建っている。
内部はさほど広くはないが、長者ケ原遺跡から出土した遺物で埋め尽くされている。
ヒスイばかりではなく石製品(例えば石斧など)もここで製作され全国に流通して
いた事が確認されている。それらの磨製石斧(せきふ)もここに展示されている。








 

縄文土器の装飾性については実用的ではないとする意見もあるが、その芸術性はやはり素晴らしいものだと思う。
何も文様のないツルリとした弥生土器に比べれば、はるかに野性的で感情のこもった生活品ではないだろうか?

 

 

 

 


	世界中で、ヒスイを愛好し盛んに用いた地域・民族は大きく分けると二つである。一つは、メキシコ南部からグアテマラ、
	ベリーズ、ホンジュラス、コスタリカに至る中南米地方で、紀元前1500年頃のマヤ文化で宝石として盛んに用いられ
	た。16世紀にスペイン人が入って来るまでおおよそ30世紀に渡り広く長く愛好されたが、アステカ文明がスペインに
	滅ばされると同時にそれも終わりを告げた。もう一つの民族、ヒスイ文化圏が日本列島である。
	現在の所縄文末期の遺跡から出現するが、これは今から約5000年ほど前だから、マヤよりも遙かに古い時代からヒスイは
	人々の首もとを飾っていた事になる。(ヒスイ製品としては、ペンダント型が最も多く、勾玉や玉がそれに次ぐ。)つま
	り、世界最古のヒスイ文化は日本列島、それもここ糸魚川に始まるのである。しかし日本では、弥生・古墳時代は盛んに
	重用されるが、なぜか奈良時代に入ると急速にすたれ、宝石としての価値を示さなくなる。
	現在判明している最新(?)のヒスイ製品は、奈良東大寺三月堂の不空絹索観音像の宝冠に垂下している勾玉である。こ
	れを最後にプツリとヒスイの使用は終わる。その理由を説明できた者はまだいない。

 

 



 

       
長者ケ原考古館
開館時間 午前9時00分〜午後4時30分
休館日 月曜日(その日が祝日・振り替え休日の場合は開館)、年末・年始
入館料 一般200円、高校生以下100円、小学生未満無料
住所・TEL番号 〒941 新潟県糸魚川市一の宮1383   TEL 0255-53-1900
交通案内 JR北陸本線・糸魚川駅より車10分、北陸自動車道糸魚川ICより車10分。専用駐車場有り。
その他 平成10年11月下旬現在、「長者原遺跡」は調査・整備中。(考古館で頼めば、団体でない限り見学させてくれる。)









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