池上曾根遺跡でまさか発掘現場が見れるとは思わなかった。
上記の新聞記事を読んで、こりゃ行かずばなるめぇとやって来た。かって知ったる池上曾根遺跡。まだ掘ってるんだ。
明日香村の現地説明会ほど見学者は多くなかったがそれでも結構な人手で、1時から3回に分けて説明していた。
発掘前は王の館と考えられていて、遺跡公園内の案内板にも「王の住居」と書いてあるが、諸説を勘案して「?」が付いている。
上の田んぼの奥に見えているところが発掘現場で、その前の広場に受付や発掘品の展示場があった(下)。
急ごしらえのパネルの前で説明が始まる。ここで話を聞いて、発掘現場へ移動した。
上右の3人が発掘を担当したそうだ。現場でもこの3人が説明していた。
掘っ立て柱4棟が立っていた。建物跡2と4は位置が重なっていることから、時期を隔てて建てられているらしい。
(後尾の説明会資料参照の事。)
柱が1直線に並んだ「柱穴列」も2つ発見された。建物を隔てる壁なのだろうか(上右方)。
上左が建物跡3。上右は建物跡2と4の重なった部分。下がその端から端まで。作業員が立って大きさを示す。
上から現代の地層、江戸時代の地層、平安時代の地層となっている(上左)。そして発掘面が弥生時代という訳である。
新聞記者やカメラマンも来ていたし、朝日放送(ABC)のTVカメラも来ていた。ヘリも1台飛んでいた。NEWSに写ってないかな。
上左の写真の円筒形のものが、建っていた柱と同じ大きさ。現場の廻りに幾つも建ててあった。この柱の大きさから
すると、確かに大型建物である。倉庫にしては相当な大きさだし、「王の居館」にしては狭いような。すぐ側にある
高殿に比べれば、王の住居にしてはすこし小さすぎるような気もする。
発掘現場の脇では、今回の出土品が一部展示してあった。
当日配布の現地説明会資料
上記写真の現場はもう埋め戻されていた。ここが何だったかはまだ分かっていない。
その右手の木立の奥が今回の発掘現場である。今回は、公園としての整備のための発掘だそうだ。
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