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大石塚・小石塚古墳/伝統芸能館
今回の「文化財を訪ねる会」遺跡探訪は豊中市である。「桜塚古墳群」と「新免遺跡」を訪ねる。阪急電車の宝塚線、岡町
駅を下車して西へ200mほど行くと大石塚・小石塚古墳が並んでいる。ここから又駅へ戻り東へ700mで、大塚古墳、御獅子塚
古墳、南天平古墳といった「桜塚古墳群」に行く。旧家に残る明治時代の絵図面によると、36基の古墳群が認められるそう
だが今現存しているのはこの5基だけである。女塚古墳、嫁廻塚古墳、狐塚古墳など、名前だけ残っており一部発掘によっ
てその所在が絵図面通りであった事が確かめられた古墳もあるが、今は全てマンションや一戸建てなど建物の下になってし
まっている。この古墳群は、時期的には古墳時代中期(4世紀/4世紀後半〜)と考えられ、阪南の百舌鳥古墳群、古市古
墳群などとほぼ同じ時期に発生し終了したと考えられている。
岡町駅から北へ1kmほど行くと、豊中市で最大の弥生遺跡である「新免遺跡」がある。ここも今では建物や畑・田圃の下に
隠れてしまっているが、1999年 4月、阪急「豊中駅」西南から古墳が発掘され、以後次々と古墳が発見された。新たに「新
免古墳群」とでも呼べそうな勢いである。これらは全て「豊中駅」周辺に点在している。ちょうどこの日は、「豊中市民ギ
ャラリー」で「新免遺跡」から出土した遺物を展示した「郷土の文化財展」をやっていたので、そこを見学して今日の日程
は終了という事になった。
ちなみに、豊中市には博物館が無く、出土品は展示が終わったら箱に戻して倉庫行きだそうである。豊中市民は、自分の郷
土の遺物を常時閲覧することはできないのだ。ヨーロッパへ行けばどんな小さな町にも自分の町のMUSEUMがある。旅行者や
来訪者にもすぐ分かるように、あちこちにMUSEUMと書いた案内がでている。建物や設備は立派でなくてもいいのだ。他人に
誇れる自分の町の「歴史」を見て貰いたいのだ。また、余所から来てその町を理解するためには、まず博物館でその町の歴
史を知ってからと言うのは彼らにとっては常識なのかも知れない。
くっ、くっ、くっ。
小石塚古墳
上下が小石塚古墳。柵の中だが草ぼうぼうで見えない。円筒埴輪のお棺が3基見つかっている。
大石塚古墳
豊中最大の前方後円墳。南側から長さ80cmほどの小さな円筒埴輪が見つかっている。円筒埴輪と壺形の土器を組み合わせた
もので、その大きさから、子供か或いは成人の改葬墓かと考えられている。おそらく、両古墳の被葬者となにか関わりのあ
る人物と思われる。
伝統芸能館
下は豊中市の「伝統芸能館」という建物だが大石塚古墳のすぐ側に建てられている。と言うより古墳を浸食している。下右
の写真を見て欲しい。この建物の中の床タイルの写真だが、変な形に張ってあるのが分かると思う。この曲線の部分まで、
大石塚古墳の濠があったのである。以下数枚の写真は、この「伝統芸能館」の中にある大石塚古墳の出土品。
豊中生まれで今は池田に住んでいる河内さんも、この古墳や資料館のことは知らなかった。してみると、殆どの市民は自分
の町の文化財の存在は知らないのだろう。そういう人生はほんとに豊かなのだろうか。
上写真の円筒埴輪棺がこの建物の下の位置から(2ケ所)発見された。発見場所を忠実に再現してあるのだ。こういうのは
始めて見たので驚いた。
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