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大阪府高槻市を訪ねる

しろあと歴史館 2005.5.7(土)







	いつか高槻に住む西本さんが、「こんど高槻に博物館ができましたよ。」と言っていたが、ここがそうだ。「高槻市立
	しろあと歴史館」。高槻城公園のそばにある。しかし純粋には博物館ではなく、高槻城の資料館、つまり「しろあと歴
	史館」なのだった。高槻城とその時代以外の展示物は無い。

	常設展示は、

	  ・高槻城と人
	  ・城下町のくらし
	  ・西国街道と芥川宿
	  ・淀川と舟運
	  ・人々のなりわいといとなみ
 
	に別れていて、江戸時代の高槻を中心にして、さまざまな資料や模型、映像を通して、わかりやすく江戸時代の歴史と
	文化を紹介している。どちらかと言えばパネル解説が多い。しかしエントランスを入った入り口にある石垣の模型には
	驚いた。高槻は京都と大坂の中間に位置し、淀川と西国街道という水陸交通の要所にあたり、永く豊かな歴史を有して
	いる。高槻城三の丸跡に建つ「しろあと歴史館」は、城下町高槻をメインテーマに、江戸時代の高槻の様子をイメージ
	出来るようになっている。

 


	<高槻市立しろあと歴史館>

	・住所 : 〒569-0075 高槻市城内町1番7号
	・tel: 072−673−3987   ・FAX : 072−673−3984
	・開館時間 午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
	・休館日 毎週月曜日、祝日の翌日、12月28日〜1月3日
	・入館料 無料(ただし特別展は有料)
	・駐車場  無料(9台まで)大型バスなどについては事前に相談。
	・交通アクセス 阪急高槻市駅より南へ徒歩約10分  JR高槻駅より南東へ徒歩約15分
 
 

 

この歴史館の学芸員のお兄さんが高槻城について説明してくれる。




	発掘調査で明らかになった高槻城の石垣の基礎等についても、建物の下に復元してある。お城の石垣の基礎などなかな
	か見れるもんじゃない。パネルにはそのあたりも解説してあって、江戸時代の城の構造も学べる。


 

 





 

 

 



 



 





 



 

 

 



 



 








	<城下町のくらし>

	城を中心にして、武士や町人の家屋敷や寺社などが建ちならぶ城下町。高槻城下は、武家屋敷のほか、11の町に
	わかれており、人々はそこで日々の生活をいとなんでいた。家々に残された資料や出土品から、当時のくらしがう
	かがえる。




 

 





 


	<高槻城と人>
 
	戦国の世を経て、17世紀のはじめに三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わった高槻城は、江戸幕府の西国
	支配の拠点となり、慶安2年(1649)から明治まで、譜代大名・永井家13代が高槻藩主をつとめた。
 

永井家系図









 

 





 

 






	<西国街道と芥川宿>
	京都と西国を結び、多くの旅人が行き交った西国街道。街道沿いには宿場として栄えた芥川宿があり、本陣や旅籠屋
	(はたごや)などがたちならんでいた。休憩や宿泊する参勤交代の大名行列の一行や、旅をする人々でにぎわったこ
	とだろう。








−西国街道と芥川宿−  大名行列模型











公用運送代の負担台帳「芥川馬借人別役打帳」




	<淀川と舟運>

	江戸時代の淀川は、天下の台所大坂と都である京都を結ぶ重要な交通路だった。淀川三十石船・くらわんか舟をはじ
	め淀川を行き交うさまざまな船が、沿岸の河港を通じて人やモノを運び、人々の生活や経済活動を支えた。










 

−淀川と舟運− 淀川に沈んでいた食器類

 


	<人々のなりわいといとなみ>

	京都や大坂に近い高槻では、早くからさまざまな商品生産が行われてきた。なかでも富田の酒造り、山間部で行われ
	た寒天造りは、全国にもその名を知られていた。江戸時代後期から明治時代末期に営まれた古曽部焼もそのひとつ。

 
 

−人々のなりわいといとなみ− 酒造りの道具 と 寒天の製造道具

 



古曾部(こそべ)焼の茶碗



古曽部焼「鳳凰絵安南写茶碗」






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