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古代史博物館(泉南市埋蔵文化財センター)
2002.5.12(日)
男里遺跡 発掘60年記念展
男里遺跡(おのさといせき)
縄文時代晩期から古代、中世にいたる複合遺跡であるが、とくに泉南地方を代表する弥生時代の遺跡として有名である。男
里川の下流域の自然堤防、氾濫原に位置している。昭和17年に大阪府発行の「大阪府史跡名勝天然記念物調査報告」の中
で、「附載泉南郡雄信達村弥生式遺跡」として報告されたのが最初である。最近の調査では、弥生時代中期の竪穴式住居跡
群や古墳時代前期の竪穴式住居跡が見つかっている。とくに弥生時代中期の竪穴式住居跡のなかには、側壁を持ったと考え
られるものが検出され、注目を集めた。
男里遺跡の弥生時代の集落は、新家オドリヤマ遺跡のような高地性集落に対し、河川の中・下流域にある比較的大きな平地
性集落ととらえることができる。このような集落は地域の中心となる集落として、拠点集落と呼ばれることがある。泉南市
ではほかに、拠点集落として考えられる遺跡として、樫井川中流域にある三軒屋遺跡がある。
男里遺跡は、泉南地域における弥生時代の拠点集落として知られている。遺跡の存在は早くから知られていたが、主要地方
道泉佐野岩出線建設にともない、平成4年から大規模な発掘調査が行われ、その具体的な様相が明らかとなってきた。
集落は、男里川に隣接する沖積段丘上に立地し、ほぼ弥生時代中期後半、今から約2000年前に限定された時期に営まれてい
た。地形から推定すると、居住域は南北約300m、東西200m以上の規模であったと考えられる。
この調査で検出された竪穴住居は32棟。平面円形のもの、方形のもの、大形のものなど、さまざまな竪穴住居が存在したこ
とが明らかになっている。また、幅約10mの蛇行する大溝が検出され、大量の土器が廃棄された状態で出土した。居住域か
ら南へ約300m離れた地点では、2基の方形周溝墓が検出され、墓域の存在も明らかになった。
土器には把手のついた壷、水差し形の土器、高杯などがあり、把手(とって)のついた土器が比較的多く出土しているのが
特徴的で、水差し形土器はもちろんのこと、壷や鉢などにも把手を付けている。石器には、石鏃、石剣、石匙、石錐、石庖
丁、石斧、石錘など生活に必要な各種道具がある。
現在、遺跡は住宅や田畑の下である。行っても看板も案内もないそうなので、どこが遺跡かはなかなかわからないそうだ。
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