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池田城址公園 200.5.25(土) 歴史倶楽部第64回例会






		この池田城跡公園は平成12年4月にオープンした。池田市が長年に渡って進めてきた「池田城跡整備事業」による復元事業だが、残念
		ながら忠実に基づいた再現ではないようである。室町時代から戦国時代に活躍したかつての池田城主・池田氏の居城を、「歴史をイメ
		ージ出来る憩いの場」として復興した城跡公園である。池田城の城主であった池田氏の出自に関する資料は極めて少なく、諸説入り乱
		れている。
		前項「池田市城山勤労センター」で配布されている説明によると、池田氏の家臣であった荒木村重が勢力を増大させ、池田氏の内
		紛に乗じて城主池田勝正を追放して池田城を支配下に置いた。村重はその後、高山右近の力も借りて、摂津三守護の一人和田氏も倒し、
		天正元年(1573)には信長から「摂津守」を与えられる。翌年にはもうひとりの摂津三守護伊丹氏を倒して伊丹城へ入城、ここを有岡
		城と改名して自らの居城とし、その後池田城は廃城となったものと推定されている。

 




		この公園はあくまでも市民の憩いの場として復元されており、ここにこういう城があったわけではない。しかし、土塀の一部や空堀な
		どにささやかにかっての「池田城」を偲ばせるものも残してある。中世の城である池田城は織田信長の配下になるまでは白壁に瓦とい
		う体裁ではなかったようだ。建物は瓦葺きのものは少なく、土塁を巡らして堀を多用した構造だったようである。また、発掘調査では
		庭園跡も確認されていて早い時期から常時居住型の城であったようだ。城と言うより、「豪族の館」と言ったほうがいいのかもしれな
		い。池田城跡からは出土品もあまりないことから、荒木村重が伊丹に拠点を移したとき、殆どの資材も伊丹へ移設したのではないかと
		推測されている。

		城山勤労者センター脇から入る東門。空堀の跡にかかる木橋を超えて庭園へ入っていく。「大手門」という看板がかけられているが、
		一般に言う城の「大手門」ではないようだ。

 



		
		下は、池田師範の由来の碑(上)を読む河内さんと河原さん。池田師範はやがて大阪教育大学となり、その付属小学校が池田にもあっ
		た。平成13年にここの児童8名が刃物を持った変質者に襲われて犠牲になったのは記憶に新しい。

 


		現在の池田城櫓形式は、年代的に近い福井県丸岡町の丸岡城をモデルに作られたが、当時は多層の建造物はなかったようだ。しかし、
		古記録の中に、信長配下の者が城の防備について指導し、改修したとある。また、発掘調査によると、石垣の形式など勝竜寺城と共
		通したところがいくつか確認されている。これらから、多少近世城郭に近い設備も一部にあったのではないかと言われている。
		池田城の名が登場する最古の史料「平国茂軍忠状」によると、南北朝時代に池田城が存在していたのではないかと言われているが、
		詳細は解明されていない。また、荒木村重謀反時には、織田信長自身がこの城に入って命令を下していたとも言われる。
		(「信長公記」では村重攻撃の際、信長自ら「古池田」に陣を敷いたという記載がある。)

 






		この公園化事業については、池田市民の間でも賛否両論あったようだ。
		
		・ 財政難のはずの池田市が、数十億円の費用をかけている。
		・ 池田にあった城は戦国時代の実用的なもので、天守閣や高楼などはなかったにもかかわらず、天守閣まがいの
		 「櫓風展望舎」なるものが作られた。
		・ この場所はながらく草地になっており、かつては多数のヒメボタルが観察されたというが、整地作業以降、
		  激減もしくは絶滅した。

		よそ者には何とも言えないが、もう作ってしまったからには出来るだけ有効に活用して欲しいものである。
	
 

 

 

 


		日本庭園は自然の姿を水の流れで表現した「池泉回遊式」。一見天守閣風の建物が「櫓風展望舎」である。
		南門外側の、湿地を作り菖蒲を植えてあるあたりは、以前は多くのヒメボタルが舞う草むらだったそうだ。現在ではこの場所での出現
		は途絶え、絶滅した模様だという。公園内には、多くの植物が植えられ、名札もつけられており、季節の花などが楽しめ。公園内は散
		歩したり池のザリガニを取る親子づれなどで賑わっている。公園内には食堂のたぐいはないが、公園内の管理棟に飲み物の自販機があ
		る。






		日本庭園は、自然の姿を水の流れで表現する「池泉回遊式庭園」で、「深山の景」「野の景」「海の景」の3つから成っている。園内
		には遺構復元ゾーンが設けられ、井戸、枯山水、礎石がレプリカで復元されている。天守風に作られた「櫓風展望休憩舎」は内部も全
		て小屋風の木造で、大阪城や姫路城を見慣れた目には、「えぇー、これが城かい。」と思ってしまう。




		櫓風展望台からは、日本庭園のみでなく大阪平野も一望できる素晴らしい眺望である。猪名川にかかる高速道路橋ビッグハープも右隅
		に見えている。ここが阪神高速道路の終点である。植え込みの木々の間では、ウグイスが縄張りを主張して、しきりに囀っていた。
		清酒メーカー「呉春」の黒っぽい屋根も見えていた。	






		●入園料 無料 
		●開園時間 午前9時〜午後7時(11月は午後5時まで) 
		●休園日 火曜日、年末年始 
		●電話 0727−53−2767 
		●交通機関 阪急宝塚線「池田」駅下車、北へ徒歩10分 



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