Music: Lion sleeps tonight
再び、大阪府枚方市
2003.7.9(土)郷土の文化財を見学する会





		今年初めてこの会の例会に参加した。前の担当だった入江さんが移動になって、あまりおもしろくなくなったのもあるが、頂く
		案内の見学地の殆どを、もう私は行ってしまっているのだ。しかしこの会は実際にその遺跡を掘った人たちの話も聞けるので、
		たまにはおもしろい時もあるのだが、それでも一度行った所というのはなかなか食指が動かない。それでも今回は枚方の「伝王
		仁博士の墓」というのがあったので、雨が心配だったが行こうという気になった。案の定、JR学園都市線の長尾駅に着いたら
		ポツリポツリと降り出して、お昼頃には本格的に降ってきた。今日は地域文化誌まんだの編集部三宅さんが解説で一緒に歩いて
		くれた。

正俊寺


 





 

 


		【正俊寺(しょうしゅんじ)】

		江戸時代に長尾・四条畷から枚方辺り一帯を治めていた領主久貝氏(くがいし)の菩提寺で、慶安2年(1649)に久貝正世により
		創建された。久貝正世は、亡父因幡守正俊を弔うため、久貝家領中野村上郷(現・四条畷市)の正法寺から、本尊の釈迦如来座像
		と石造十三重の塔を当地に移して菩提寺を建立し、父の名を冠して正俊寺と称した。ほんとは(まさとしでら)なのだ。
		花崗岩製の十三重の塔は、高さ4.3mで、嘉暦2年(1327年)と刻まれ、上部相輪の宝珠・請花を欠失しているほかは、鎌倉時代
		の造立当初の姿をよく留めており、昭和45年に大阪府有形文化財に指定された。敷地内には久貝氏代々の墓所があり、五輪塔
		や墓碑が並んでいる。曹洞宗。



久貝氏歴代の墓所(上・下)





 



 

枚方市指定有形文化財の十三重石塔。まわりではアジサイが雨に濡れて輝いている。



初夏から盆すぎまでの夏中を咲いて、夏の花としておなじみのムクゲも満開である。枚方市周辺にはムグゲが沢山植えてある。

 




菅原神社


 



 

 



 

三宅さんがこの神社の由来と、周りを取り囲む林の植生について説明する。菅原さんと言えば「牛」であるのはどこも一緒だ。

社伝の村社菅原神宮由来記によると、社殿は領主久貝正世が長岡天神の分霊を勧請して造営したものらしい。

 

 






鋳物民族博物館・(財)枚方市文化財研究調査会



		河内は鋳物師(いもじ)発祥の地といわれ、枚方では、江戸時代に河内国惣官鋳物師(かわちのくにそうかんいもじ)として、
		真継(まつぎ)家から河内での独占的営業を許された田中家が、枚方市上之町で梵鐘などの各種の鋳物を鋳造していた。。

		中世から近世には、全国の鋳物師の大多数は、蔵人所小舎人であった真継家によって統括され、株仲間を形成していた。鋳物師
		と真継家の関係は、「鋳物師職座法之掟」に従って鋳物師は真継家の代替わりや自家の相続の時は、上京して祝儀や献上金を納
		入し、又年頭・八朔(旧暦8月1日)には嘉儀(かぎ)をつとめることが義務づけられていた。これに対して真継家は、鋳物師
		に「鋳物師職許状」を与えて株仲間を支配し、このような支配関係は明治に至るまで続いた。

 




		【旧田中家鋳物民俗資料館】
		田中家は枚方において河内鋳物師として、梵鐘・灯籠をはじめ鍋・釜・鋤・鍬などを鋳造していた。江戸時代中期に建てられた
		鋳物工場は、昭和48年3月に大阪府の有形文化財に指定され、その工場と主屋の寄贈を受けた枚方市が、藤阪に移築復元し、
		昭和59年10月に、「枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館」として開館した。 また庭内には、田口山弥生時代遺跡の発掘調査に
		より発見された、竪穴式住居も復元されている。鋳物工場は昭和35年頃まで操業していたが、その後廃業した。

		入館無料   〈開館時間〉10:00〜16:00 
		休館     月曜・祝日・年末年始 
			   藤阪天神町 858-2852

 

資料館の中の板張りの間は狭く、とても全員は入れないので、何人かはこの竪穴式住居の中で昼食を取った。私もこの中で食べたがカビ臭かった。

 

  
		上は田中家が鋳物師としての操業を許された許状や、納入した製品の受け渡しなど、当時の各種書状。


		鏡や銅鐸の復元模型や説明が展示されていたが、これはどうやら最近展示した物のようだ。江戸時代の田中家がこれを作ってい
		たわけではない。資料館として、民族資料だけでは歴史マニアを満足させられないので、ことさら追加した資料のようである。



 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 






		入り口は「鋳物民族資料館」で、出口は「(財)枚方市文化財研究調査会」となっている。寄贈を受けた建物の側に、枚方市が
		外郭団体を持ってきたもののようだ。教育委員会からの委託を受けて、枚方市の発掘調査等々を引き受けている。


邪馬台国大研究・ホームページ /わが町大阪の文化財/ 枚方市再び