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邪馬台国の産物




さて産物という事になると、まず@.絹 がある。養蚕の歴史は新石器時代にまでさかのぼる事が出来るので、日本にも相当古くから絹は存在していたと思われる。養蚕技術は、完全に大陸からの移植と考えられている。 それは、日本も含め現在世界中で飼われているカイコの生殖細胞の染色体(n)は28なのに、日本の野生のカイコのものは27だからである。中国大陸の野生のカイコの(n)も28なのだ。つまり、養蚕は日本独自であみだされたものではなく、明らかに中国大陸から伝播したものなのである。 絹を使った織物は、魏志倭人伝にいくつか登場する。中国から送られた交龍錦、紺地句文錦、卑弥呼が送った倭錦、こう青兼、異文雑錦(台与が貢納)等々である。
京都工芸繊維大学の名誉教授で絹に関する世界的な権威、布目順朗(名前も布である)博士は、長年、各地の遺跡から出土した絹の細かい分析をしてきた。その結果から次のように述べている。「中国もそうであったように、養蚕は九州の門外不出の技術であった。少なくともカイコが導入されてから数百年間は九州が日本の絹文化を独占していたのではないか。」 事実、弥生時代後期までの絹の出土は全て九州の遺跡からであり、近畿やその他の本州で絹が出土するのは古墳時代になってからである。出土地は筑後川北岸の福岡県と、有明海北岸の佐賀県に集中している。福岡県甘木市の栗山遺跡、佐賀県吉野ヶ里などが有名である。京都の川島織物(株)に行くと、洛北の『織物文化館』に復元された倭錦(やまとにしき:わきん)が展示されている。
これまでの絹の出土状況だけから見ると、邪馬台国は北部九州と断定してもまず間違いないものと思われる。




A.鉱物
も倭人伝に名を残している。鐵鏃(てつぞく:鉄のやじり)、青玉(せいぎょく:青い玉、これを巡っても諸説ある。ヒスイとすれば日本では新潟県糸魚川地方にしか産出しない。)、(たん:酸化鉄を含む赤い顔料と考えられている。ただの赤土という説もある。)、金印・銀印 (きんいん・ぎんいん:金、銀で作成した印章。)、 銅鏡 (どうきょう:銅或いは合金製鏡。鏡に関しては実に多くの研究がある。今では、化学分析で銅山の位置まで特定できる。)、鉛丹 (えんたん:鉛を含む顔料。)、(しゅ:水銀を含む赤色の顔料と考えられている。)、白珠 (はくじゅ:真珠と言う説に異論もある。)
鉱物は、中国から有り難く拝領する宝物でもあったので、日本に多く産出していたとは思えないが自前で生成していた痕跡は遺跡に残っている。特に鉄に関しては、その遺跡は筑前今の福岡県に多く、鉄に関する名前の一部は地名として現在も残っている。
海産物や植物はすでに見てきた通りだが、倭人伝には記載がないが弥生遺跡からは発見されているものも多数有る。それらから想像するに、酒や肉も食していたと考えられる。この他、B.麻や、C綿についても倭人伝には記事が残っている。







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