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邪馬台国の自然環境



魏志倭人伝は、その記述の最初から倭国の自然環境を記録している。即ち、倭人は、大海の中の島々に住んでいて、山の多い島が集まって国を造っている。茫漠たる大草原の中国本土から来た魏の使者の目には、海の中にいきなり高い山々が聳える光景が目に入ったのかもしれない。 魏の使者はまず対馬に上陸する。倭人伝は記す。土地は山が険しく、深林が多く、道路は鳥や鹿が通る獣道のようだ。千戸あまりの人家が有るが良い田がなく、海産物を食料として自活している。船で北部九州や朝鮮南部に交易に出て、米穀を買い入れている。 既に貿易業者が居たのであろうか?
使者は次に壱岐へ渡る。竹藪や林が多く、対馬と比べて人家は多く、三千戸と記載されている。対馬と同様に良田が少なく、やはり朝鮮・九州と交易している。使者は更に海を渡り末廬國(まつら国:今の佐賀県松浦郡(東松浦半島あたりか?)と考えられている。)に 到着する。ここは四千戸あまりの人家があり、家は山裾や海岸に沿って並んでいる。草木が生い茂り、歩いていても前の人を見失う程である。人々は上手に魚や鮑を捕まえるが、深くても浅くても海中に潜って捕まえるのである。
倭人伝は、この後邪馬台国へ至る道筋や距離について述べ、風俗や産物の紹介をしている。そして、倭の地は気候は温暖で、一年中生野菜を食べている。皆裸足で歩いている。と記録する。後は記述の中程に、倭は、遠く離れた海中の島に国を造っており、国と国は海で隔てられたり、 陸続きになったりしている、とあるだけで、他には自然環境について書いた部分はない。倭人伝の大部分は、国々の記述と風俗習慣、中国との関係等でしめられているのである。
これらから想像できる地理的条件と言えば、大和説より九州説に大分分があるように思われる。産物や、動植物の記事を見てもまず大和盆地の事とは思えない。ここから、大和説論者の、魏の使者は大和までは来ておらず、大和の配下にあった九州の豪族が魏の使者を接待した、という解釈が生まれるのである。







以上の見解から、邪馬台国では雪は降らなかったと考えられる。実際『邪馬台国に雪は降らない』というタイトルで本を出し
た人もいる。おそらくは気候温暖、植物は生い茂り、水は清く空は青いという環境ではなかったか、という気がしてならない。



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