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邪馬台国の住居





	稲作の始まりは、狩猟や漁労、採集で生きてきた人々に一大革命をもたらした。人々は定住し、農耕社会は稲作
	のみならず各種の農業技術も発展させた。これらの発展の源は、おそらく大陸からの集団の移住であろう。中国
	大陸での進んだ技術を持った集団が、縄文晩期から弥生初期にかけてドッと北九州へ押し寄せたに違いない。稲
	や蚕や養豚等の技術を携えた連中が、それまで殆ど採集しか行わなかった連中を導いたのだ。人々は洞窟から出
	て平地に住居を構えるようになった。
	縄文の終わりから弥生にかけて、即ち紀元前3世紀頃から2世紀にかけて地球は全世界的に寒冷化し、紀元後1
	世紀頃から次第に温暖化していったと考えられている。寒冷化した時代には食料が不足し多くの人々が死んでい
	ったが、温暖化へ向かうと生活の条件も一変する。関東平野、濃尾平野、筑紫平野等といった沖積地が形成され、
	気候は安定し植物は茂り、定住化の下地が整ったとも言える。そこへ中国大陸や朝鮮半島から、金属器、稲作、
	織物、養蚕、畜産等の技術を持った集団が渡来するのである。人々は渡来人を真似て、或いは教わりながら住居
	を建設する。

	以下の埴輪に見られる箱型の「家」は、実は弥生時代においては中期から後期にかけて、しかも殆ど北部九州の
	みで見られる住居なのである。この形の家が全国に広まるのは弥生後期から古墳時代にかけてであり、出現した
	当時は住居としてよりも倉庫や礼拝所のようなものであったらしい。富が蓄積され出すと、上位の階級の者はこ
	のような住居にすんだであろう。倭人伝によれば「卑弥呼」は明らかにこの「箱型住居」に住んでいた。では一
	般の住居はどんなものだったのだろうか?それは「竪穴式住居」である。このページの冒頭にあるような、柱と、
	カヤやススキで屋根と壁をふいた、簡単な構造の住居であった。




佐賀の吉野ヶ里に行かれた方は復元施設をご覧になった事だろう。高床式の倉庫や集会所とおぼしき家型の建物を、この竪穴式住居が多数取り巻いている。中には五階建て位の物見櫓もあり、これらの大集落を深い堀が取り巻いている。この様式を環壕集落と言い、弥生時代の典型的なムラの形態である。 邪馬台国の卑弥呼の都も、おそらくこの環壕集落であったと考えられている。ムラの規模は、集落の全面発掘の例が少ないため、どの程度の範囲に及んでいたか確実にはわかっていない。環壕遺跡の代表的なものは、前期では福岡県板付遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡、長崎県壱岐の原の辻遺跡、 福岡県甘木市の平塚川添遺跡など、中期では福岡県比恵遺跡などである。中期以降、数10戸前後が単位となったムラも出現する。福岡県宝台遺跡、神奈川県三殿台遺跡などは大規模遺跡である。宝台遺跡では長辺が16mもある大型住居跡が見つかっているが、個人の家というより、 おそらく集会所のようなものであろうと考えられる。

竪穴式住居は縄文時代から存在しているが、縄文期の住居は支柱が一本ないしは二本であるのに対し、弥生期には四本の柱を用いるようになる。前期・中期には直径が6m前後の円形のものが殆どであるが、だんだん一辺が5m程の方形のものが現れるようになる。弥生全般を通じて住居の広さは殆ど変わらない。 この事は家族構成がさほど変化しなかった事を示している。次第に住居も変化していき、10数本の柱を用いて円形に方形を組み合わせたような住居も出現している。では竪穴式住居の内部はどうなっていたのだろう。








	縄文時代と同じく中央に炉が置かれ、そこで食事の煮炊きが行われていた。床には藁や草等が置かれその上にムシロ
	のようなものを敷き、夏涼しく冬暖かくなるよう工夫されていた。炉の周りが居間であり、食堂であり、寝室であっ
	た。柱はスギ材が多く、屋根はススキが多く用いられている。
	壁には調理器具や各種土器類が配置されていたが、これらが炉の周りから発見される遺跡もある。壁には農具や工具
	を立てかけたり吊したりしていた。排泄は戸外で行ったようである。屋根裏のような二階部屋の跡も見受けられるが、
	おそらく大型の棚のようなものであろう。遺跡からは、竪穴式住居の入り口はなかなか特定できないが、冒頭の例の
	ように、壁に方形の穴を開け、上下左右を木材で囲ったと考えられている。








竪穴式住居の作り方

1.地面を一段掘り下げ、柱の位置とかまどの位置をきめる。柱の立つ位置に穴を開ける。
2.柱を立て梁を組む。更に垂木を組んでいき、入り口にあたる部分に別の柱を建てる。
3.又首を組み、そこにも垂木を組む。内部には壁を張り、必要なら棚等を付与する。壁の外を土で盛り土堤を作る。
4.土堤の外側に土留板を巡らし、ススキ、カヤの類で屋根をふく。入り口を板で覆い住居の完成。








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