3,4年振りに江戸へ降った。三田で「全国邪馬台国連絡協議会」の設立総会があったのだが、開始まで時間があった ので港区立港郷土資料館を訪ねた。上の建物が港区立図書館で4Fに資料館がある。
港区立港郷土資料館 港区は、縄文時代は海進により界隈一帯が海岸であった。この資料館は1982(昭和57)年に、発掘された伊皿子貝塚 遺跡の出土品を展示するため、三田図書館の4階に設立された。横幅16mに及ぶ巨大な貝層断面が展示されている。 展示室はさほど大きくない。基本的に常設だが、毎年10月中旬から12月上旬までは、所属する学芸員の研究発表を兼 ねた特別展が開催されると言う。 常設展は、縄文時代〜昭和20年頃までの土器、石器、古地図、古文書、写真などが並び、港区の歴史の流れを大まか に把握できる。江戸時代の地図や明治期のカルタなどもあるが、古代・中世の資料は少なく、伊皿子貝塚遺跡の展示 と江戸時代以降の文献類が並んでいる。 港郷土資料館(三田) 港区芝5-28-4 港区立三田図書館4F 03-3452-4966 入館無料 9:00〜17:00 休館日 日祝(夏休み中は開館)、第3木曜日(休日の場合は前日)、年末年始、 特別整理期間、展示替期間、施設整備期 アクセス 浅草線・三田線「三田駅」徒歩2分 JR「田町駅」徒歩5分
伊皿子貝塚(いさらこかいづか) 伊皿子貝塚は、NTTデータ三田ビル(港区三田4-19-15)の建設に伴って、昭和53年に大規模な発掘調査が行なわれ、 その所在が明らかとなった。貝塚は、縄文時代後期(紀元前 4,000年?〜紀元前400年?)の保存状態の良い大規模な もので、貴重な遺跡となっている。貝塚からは、縄文時代のみでなく弥生時代(紀元前400年?〜3世紀中頃)、古墳 時代(3世紀後半〜7世紀中頃)の住居跡なども発掘されている。 出土物は、港郷土資料館に展示されている他、NTTデータ三田ビル北側丘の上にある区立三田台公園に、伊皿子貝塚遺 跡で発見された縄文時代の住居跡が復元されており、貝塚の断面も展示されている。貝塚の層には、焼けて変色した 牡蠣やばい貝などの殻があり、各地の貝塚と同様に縄文人の食生活がうかがえる。
保存された伊皿子貝塚の貝層断層。16mにおよぶ展示にはなかなか圧倒される。16mもの展示は、開館当時日本最 大級だった。二枚貝や巻貝の殻が無数に重なっている。出土した貝は82種類だ、食用のものは10種類程度らしい。 魚や獣の骨も少ないため、貝の加工場だったのではないかと推測されている。 歴史コーナーは伊皿子貝塚遺跡の出土遺物が中心である。貝層の前には、縄文時代から平安時代までの区内出土の考古 資料が展示され、原始・古代の港区を紹介している。
室内には縄文土器、石器、貝殻を加工したアクセサリーなど出土品が並ぶ。右側には、虎の門の西久保八幡貝塚遺跡の 貝層断面が比較対象として展示されているが、貝の層が帯状になっていて、土の部分が多い。 西久保八幡貝塚(にしくぼはちまんかいづか)は東京都港区虎ノ門5丁目の西久保八幡神社境内にある縄文時代の貝塚。 東京都指定文化財。本貝塚が知られたのは昭和の始め頃に溯るが、正式調査を経ぬまま今日にいたっていた。昭和57 年度の東京都心部遺跡分布調査団による調査で存在が確認され、調査が行われた。大地緑辺から斜面にかけて、縄文時 代後期前葉から後葉にかけての貝層と、貝層が形成されなくなった晩期の遺物包含層の厚い堆積が確認された。 また、階層下には縄文時代前期の遺物包含層も確認された。調査範囲が狭いにもかかわらず、後期中葉の完形土器も数 点出土した。大森貝塚との比較資料として重要である。
伊皿子貝塚遺跡の遺物の他に、区内で発掘された原始・古代〜近世遺跡の出土遺物、区指定文化財、館蔵の古文書や民 俗資料などが展示されている。 港区と日本の歴史の流れを比較して作られた『年表』、江戸時代と現在の地図を重ね合わせて作成した『江戸復原図』、 港区の地図と写真を用いて史跡や文化財を紹介する『史跡と文化財を訪ねて』の3つの展示で、港区の生い立ちを知るこ とができる。港区指定文化財や文化財総合目録に登録された文化財のほか、郷土資料館が所蔵するさまざまな資料も展 示している。