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烏山郷土資料館 2006年8月27日 栃木県那須烏山市









	<那須烏山市>

	平成17年(2005年)10月1日に那須郡南那須町と同郡烏山町が合併し、那須烏山市が誕生した。総面積は174.42kuで、県全体
	の2.7%になる。那須烏山市は栃木県の東部に位置し、県都宇都宮市から概ね 30〜35kmの距離にある。西部は高根沢町、北部
	はさくら市、那珂川町、南部は市貝町、茂木町、東部は茨城県常陸大宮市に接している。
	地勢は八溝山系に属し、那珂川が平野部を貫流し、那珂川右岸には丘陵地帯が形成され、丘陵を縫うように荒川や江川などの大
	小河川が貫流している。この地帯に南那須市街地、烏山市街地が形成されている。那珂川左岸は、東部山間地帯となっており、
	那珂川県立自然公園に属する山間地と小河川で形成されている。

	道路は、国道2本と主要地方道7本があり、国道293号は市の北部を東西に、国道294号は市の中心部を南北に走っている。特に、
	国道294号と県道宇都宮烏山線が交差する市内の中心部は、栃木県東部の交通の要所となっている。高速自動車道路では、東北自
	動車道、北関東自動車道路及び常磐自動車道路までのアクセスも良く最寄のインターチェンジから50分程度で来ることができる。
	鉄道は、JR烏山線が市内を東西に走り、市内に5つの駅がある。宇都宮駅まで約1時間で接続し、この地方の足としての役割
	を果たしている。
 
		■人口と世帯■

		平成17年10月1日現在(住民基本台帳人口)   人 口   31,841人
		  男     15,730人
		  女     16,111人
		 世帯数   10,143世帯  

		平成17年 国勢調査(平成17年10月1日現在) 人 口   31,151人
		  男     15,265人
		  女     15,886人
		 世帯数    9,669世帯





	<烏山郷土資料館>

	■所在 那須烏山市中央
	■問合先 烏山郷土資料館 TEL:0287-82-3063

	『城下町烏山の歴史と産業文化の変せん』をテーマに「かめ」や「やじり」などの考古資料、文献や甲冑などの歴史資料、農具
	や衣類などの民俗資料が展示されており、郷土の歴史と生活の移り変わりが学べる。

	開館時間 午前9時から午後4時まで 
	休館日 毎月1日、第3日曜日、祝日、毎週水・金曜日、12月28日〜1月4日 
	入館料 無  料









烏山藩




	<烏山城跡>

	■所在 那須烏山市城山
	■問合先 市教育委員会事務局 生涯学習課 TEL:0287-88-6223
 
	烏山城は、町の中心より北西に位置する八高山(202m)に築かれた山城で、山の形が牛の寝ている姿に似ていることから、別
	名臥牛城(がぎゅうじょう)とも呼ばれている。古記録、系譜等によれば、沢村五郎資重(さわむらごろうすけしげ:下那須
	氏)が兄の那須資之(なすすけゆき:上那須氏)と不仲となり、本拠の城を追われ稲積城に移り、応永25年(1418)に現在
	の地に城を築き新たな拠点としたのが始まりとされている。
	以後、下那須氏の本拠となり、永正13年(1516)の上下那須氏の統一から天正18年(1590)那須氏の改易まで那須宗家の
	居城となった。その後、織田・成田・松下・堀・板倉・那須・永井・幕府代官・稲垣氏と、短期間のうちに城主が交替したが、
	享保10年(1725)大久保常春(おおくぼつねはる)入封の後は、大久保氏が8代140余年にわたり城主となり、明治2年
	(1869)の版籍奉還とともに廃城となった。鳥山藩は三万石の城下町だった。
	城域は、東西約370m、南北約510m、面積約88haに及ぶ広大なもので、五城三郭とよばれる主要部分からなり、防御施設とし
	て空堀・竪堀・堀切り・土塁等が設けられ、本丸周辺には石垣も築かれている。また、万治2年(1658)時の城主堀親昌(ほ
	りちかまさ)により城の東山麓に新たな居館(三の丸)が築かれ、以後、城主の居住地はそちらに移ることとなった。
	現在、城跡は杉林に覆われているが、空堀・土塁・石垣などの各遺構が良好な状態で現存し、また、八雲神社北側から毘沙門
	山・城山に至る遊歩道が整備されているので、城跡を見学しながら周辺を散策することもできる。(約1時間程度)

	【交 通】JR烏山線烏山駅下車…徒歩15分(車5分) ※城跡の麓まで <市パンフレットより>


クリックすると烏山藩年表が出ます。





































































考古資料
















































































宮原八幡宮(宮原遺跡)










	<宮原八幡宮>

	■所在 那須烏山市宮原
	■問合先 市教育委員会事務局 生涯学習課 TEL:0287-88-6223
 
	宮原八幡宮は、延暦-えんりゃく- 14年(795)坂上田村麻呂-さかのうえたむらまろ-が蝦夷討伐の勝利を祈願し、筑紫山に宇佐
	八幡宮を勧請したのが始まりとされ、明応-めいおう-2年(1493)那須資実-なすすけざね-が烏山城の拡張を行った際、現在の
	地に遷社されたといわれる。天正-てんしょう-18年(1590)那須氏が改易され、その後、城主の交替が度々行われたが、その間
	も各城主の崇敬と庇護は厚かったようで、修理や寄進が度々行われた。現存する棟札や多くの文化財がそのことを物語っている。
	【交 通】JR烏山線烏山駅下車…徒歩25分(車5分)
 




 




	県指定 みやはらはちまんぐうほんでん 
	建 造 物 宮原八幡宮本殿 
	指定年月日  平3・10・11 
	所在地  那須郡烏山町宮原 
	管理者  宮原八幡宮 
	制作時期  天文年間(1532〜1554) 
	アクセス方法  JR烏山線ー烏山駅下車ー徒歩約2km・宇都宮より車で約1時間(駐車場あり) 
	公開状況  常時(要連絡) 

	栗原八幡宮は社伝によると、延暦14年( 795)坂上田村麻呂が東北征伐の勝利を祈願し、筑紫山に宇佐八幡を勧請したのが始
	まりとされている。その後、明応2年(1493)那須資実が烏山城の城域拡張を行い新たに二の丸を造営した際に、本丸にあった
	八幡宮を現在のち地に遷社したとされる。以後、歴代領主の崇敬と庇護をうけ、度々修理が行われたことが現存する棟板で確認
	することができる。本殿は三間社流造りで、屋根は現在銅板葺となっているが、当初は柿葺であったと推定されている。新築年
	代については、永禄3年(1560)那須資胤が寄進した内陣中央扉が現存し、建築様式などから考察すると天文年間(1532〜1554)
	頃と思われる。



この神社の周辺には、旧石器時代の終わりから縄文にかけて(約1万年前)の遺跡
があった。石器の一部は郷土資料館にあるが、資料館には3万年以前とあった。




	烏山町は栃木県の東部に位置し 八溝山系の山あいに囲まれた美しい町である。町の中央を南北に清流「那珂川」が流れ、四季
	折々の趣を見せている。また、古くは城下町として独特の文化を育て、特に「山あげ祭」は国の重要無形民俗文化財にも指定
	されており450年の伝統を誇っている。そのほか龍門の滝、大平寺、烏山城跡、そして伝統の手すき和紙など観光・文化面
	でも見るものが多く、町の中を散策しながら烏山町のよさが味わえる。



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