Music: やさしく愛して
国立民族学博物館
アメリカ
2011.12.04
アステカ 出典:ウィキペディア
アステカ(Azteca、ナワトル語:Aztecah)とは1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。自らを
メシーカ(ナワトル語:mexihcah)と称した。言語はナワトル語。
伝説によればアステカ人はアストランの地を出発し、狩猟などを行いながらメキシコ中央高原をさまよっていた。やがてテツココ、アスカ
ポツァルコ、クルワカン、シャルトカン、オトンパンなどの都市国家が存在するメキシコ盆地に辿りつき、テスココ湖湖畔に定住した。
1325(または1345)年、石の上に生えたサボテンに鷲がとまっていることを見たメシーカ人は、これを町を建設するべき場所を示すものと
してテスココ湖の小島に都市・テノチティトランを築いた。その後、一部が分裂して近くの島に姉妹都市・トラテロルコを建設したとされ
る。
アステカはメキシコ盆地の最大勢力であるアスカポツァルコ(テパネカ王国)に朝貢してその庇護を受けていたが、1375年アカマピチトリ
はアスカポツァルコ王国の許可を得て国王(トラトアニ)に即位し、世襲の王族となった。アカマピチトリはアスカポツァルコの属国とし
て領土を拡張することで国力を増加させた。
1418年、アスカポツァルコは強国のテスココに戦争をしかけて領土を奪ったが、1426年に君主のテソソモクが死亡する。1428年、イツコア
トル率いるアステカはテスココと共闘してアスカポツァルコを倒し、トラコパンを加えて三国同盟を結成した。これがいわゆる「アステカ
帝国」である。
1440年、イツコアトルの後を継いでモクテスマ1世が即位する。モクテスマ1世は遠征を頻繁に行い、メキシコ湾岸の熱帯地方を占領・従属
させて勢力を拡げた。征服した土地に対して貢ぎ物を要求したが統治はせず、自治を許していた。被征服地は度々反乱を起こしたが、武力
で鎮圧された。
1486年に即位したアウィツォトルの代でも拡張が行われ、太平洋沿岸の熱帯地方までを支配した。南東方向へも進出し、ソコヌスコまでを
征服したが次第に前線が遠くなるにつれ兵站の問題が発生し、それ以上先へ進むことは出来なかった。
1502年、モクテスマ2世が王位につくと南方の太平洋沿岸へ遠征を行い、ヨピ人などを服従させて新たな領土を獲得した。しかし、南端のト
トテペク王国は抵抗を続けた。1519年にスペイン人が到来した時点で、アステカの支配は約20万平方キロメートルに及び首都テノチティト
ランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市であった。中心部には神殿や宮殿が立ち並び市もたって大いに繁栄した。
中庭に置いてある中南米の石像(の複製)。
邪馬台国大研究/博物館めぐり/みんぱく