Music: やさしく愛して

国立民族学博物館
アイヌのくらし展
2011.12.04 大阪府吹田市

With Mr.Kawachi, by Wikipedia








	歴史倶楽部の古株、河内さんと連れだって吹田の「みんぱく」(民族学博物館)へ「アイヌのくらし展」を見学に行った。河内さんは
	伯父さんが民族学者の鳥越憲三郎氏(故人)という事もあって、本人も民族学・民俗学に造詣が深い。私もアイヌの歴史とその暮らし
	には昔から興味がある。
	「アイヌ琉球同源説」などでは、日本古来の縄文人が、渡来して来た弥生人たちによって北と南に追いやられ、現在のアイヌと沖縄人
	になったと言う。これは、髭や眉が濃く全身が毛深く顔も浅黒いとかいう形質的な比較分析から来ているものだが、言語学からも、そ
	れぞれ独自の言語体系を持ち、現代の日本語とは違う「原日本語」を残している、とか解説されているが、現在ではDNAほか医学的
	な検討によって、民族的には違う人種であることがはっきりしているし、言語体系も2つは全く異なるルートから派生しており、琉球
	語は日本語の系統にあることが定説化している。ま、そんなこんなで「みんぱくでアイヌやっとるで。」「行きまひょ!」となったわ
	けである。

	しかしながら特別展「アイヌのくらし展」は、写真撮影禁止だったので、パンフレット、Scan画像を中心に展開している。また、副題
	に記したように、解説は全面的にウィキペディア( Wikipedia)に頼っているが(字部分はすべてウィキペディアから引用)、ウィ
	キペディア必ずしも全能では無いので、疑義を感じたら是非自分で調べてみる事をお勧めする。



何回かのお色直しを体験している「太陽の塔」。万博公園へは、我が家からは歩いても行けるので、もう数え切れない程やってきた。



公園の中にみんぱくの建物が見えてくると、変な外人がその道中に立って何かやっている。



外人さんの大道芸だった。道具は本格的に揃えていたが、芸はあまりうまくなく何度もトチッていた。しかしあれも芸だったのかもしれない。









北摂2人組。よく言えば「小林桂樹と三国廉太郎」、悪く言えば「芦屋雁之助と三木のり平」ってか。古いね。












以下のアイコンをクリックしてください。順番に巡ることもできます。









	国立民族学博物館 National Museum of Ethnology  出典:ウィキペディアに加筆

	千葉県の「歴博」こと「国立歴史民俗博物館」とは異なります。あっちは新しくできた新参者で「歴史はねつ造いたしましょう」という
	方々がたくさんおられるところです。

	愛 称  : みんぱく、民博
	専門分野 : 民族学・文化人類学
	研究職員 : 54人(客員含まず)
	管理運営 : 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
	年運営費 : 29億7400万円(2007年度)
 	延床面積 : 5万1225m2
	開 館  : 1974年(昭和49年:私が大学を卒業した年)11月
	所 在 地: 〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1
 
	国立民族学博物館(National Museum of Ethnology)は、大学共同利用機関法人・人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関。民族
	学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っている、博物館を持った研究所である。略称は民博(みんぱく)。大阪府吹田市の万博記
	念公園にある。現在、総合研究大学院大学の文化科学研究科も設置されている。根拠法は、国立大学法人法第2条の3項・4項である。
 
	東京帝国大学の学生だった渋沢敬三(後の蔵相、日銀総裁)が1921年に東京・三田にある自邸の車庫の屋根裏部屋を利用して、アチック
	・ミュージアム(屋根裏博物館)をつくり、二高時代の同級生らと共に動植物の標本や民具などの蒐集を始めた。1935年には渋沢と白鳥
	庫吉らを中心に日本民族学会が設立され、国立民族学博物館設立を構想し、政府に陳情したが、戦局の悪化から採り上げられなかった。
	そこで、渋沢は1937年に自らの手で東京・保谷に博物館を建設し、アチック・ミュージアムに収蔵されていた二万点に及ぶ民具標本を移
	転させ、建物と資料を日本民族学会に寄贈し、日本民族学会附属研究所と附属民族学博物館となった。しかし、一学会だけで運営・維持
	することは難しく、また、自らの死期を悟った渋沢は1962年に民族学博物館所蔵の資料を文部省史料館(現・国文学研究資料館)に寄贈
	し、将来に国立民族学博物館が設立された時には、これらの資料を移管する旨の約束を政府との間で交わした。
 
	渋沢の死後、1964年に日本民族学会などは国立民族研究博物館の設置を政府に要望し、1965年には日本学術会議が総理大臣に国立民族学
	研究博物館の設置を勧告した。一方で、1970年に開催された日本万国博覧会では、岡本太郎がチーフプロデューサー・小松左京がサブ・
	プロデューサーを務めるテーマ館に世界中の神像や仮面、生活用品などを陳列するため、東京大学教授の泉靖一と京都大学教授の梅棹忠
	夫らが中心となって、世界中から資料を蒐集していた。
	万博終了後に、政府は会場の跡地利用について、文化公園とする基本方針を打出し、その中心施設として従来から要望が高かった「国立
	民族学博物館」の設置が決定された。1973年に文部省内に創設準備室が設置され、梅棹が準備室長に就任。1974年に改正国立学校法施行
	により、大学共同利用機関として創設され、梅棹が初代館長に就任した。
 
	博物館の工事は1977年に竣工し、開館式典を挙行。万博のテーマ館に出展するために蒐集されていた資料共に、文部省史料館に寄贈され
	ていた資料が渋沢との約束どおり引継がれ、11月17日から展示の一般公開が始まった。
	1989年4月に総合研究大学院大学の地域文化学専攻・比較文化学専攻の二専攻が設置され、大学院教育を開始。6月には特別展示館が竣工。
	2004年4月に国立大学法人法施行に伴い発足した、大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管となる。
 
	本館の展示は地域展示と通文化展示に大きく分かれている。地域展示ではオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、日本を含むア
	ジア各地域に分かれ、オセアニアから東回りに世界を一周するようになっている。通文化展示は地域、民族毎に分けての展示ではなく、
	音楽と言語など世界の民族文化を通じて概観する展示がある。
	開館当初からビデオテークが設置され、世界中の生活や文化を紹介する映像を利用者が選択し、視聴することができる。また、1999年に
	は映像と音声による展示解説を行う携帯型の「みんぱく電子ガイド」が登場した。
	本館の東南には4階建て(内、展示スペースは1階と2階)の特別展示館が隣接し、所属している研究者が特定のテーマで研究した成果
	を紹介する展示が行われている。
 


夕焼けに沈んでゆく「太陽の塔」



2,3時間見たのでは無かろうか。博物館を出るとすっかり日が暮れていた。



「2人で反省会やりまっか?」「うぅ〜ん、2人では乗らんなぁ」「ほな、帰りまひょか」「帰ろ、帰ろ」「儂、歩いて帰りまっさ」「ええのぉ」


	国立民族学博物館 National Museum of Ethnology  出典:ウィキペディアに加筆(続)
 
	<歴代館長>

	 1.梅棹忠夫 (1974年6月 - 1993年3月)
	 2.佐々木高明 (1993年4月 - 1997年3月)
	 3.石毛直道 (1997年4月 - 2003年3月)
	 4.松園万亀雄 (2003年4月 - 2009年3月)
	 5.須藤健一 (2009年4月 - )〜
 
	<勤務していた人物・研究者たち> (現在はいない方々も含まれます。)

	 朝倉敏夫 - 社会人類学・韓国社会論、文化資源研究センター教授
	 池谷和信 - 環境人類学、民族社会研究部教授
	 石毛直道 - 文化人類学、第3代館長、名誉教授
	 石森秀三 - 文化人類学・観光文明学、名誉教授
	 伊藤幹治 - 民俗学・人類学、名誉教授
	 岩田慶治 - 文化人類学、名誉教授
	 印東道子 - オセアニア考古学、民族社会研究部教授
	 宇田川妙子 - 南ヨーロッパ研究・性研究、民族社会研究部准教授
	 梅棹忠夫 - 民族学・比較文明論、初代館長、名誉教授、顧問
	 江口一久 - 言語民族学・西アフリカ口頭伝承研究、名誉教授
	 大塚和義 - 文化人類学・アイヌ考古学・民族考古学・博物館学、名誉教授
	 大森康宏 - 映像人類学・民族誌映画、名誉教授
	 片倉もとこ - 社会地理学・民族学、名誉教授
	 加藤九祚 - 北・中央アジア民族史、名誉教授
	 岸上伸啓 - 文化人類学・北方文化研究、先端人類科学研究部部長
	 君島久子 - 中国文学・民族学、名誉教授
	 熊倉功夫 - 日本文化史、名誉教授
	 栗田靖之 - 文化人類学・ブータン研究、名誉教授
	 小長谷有紀 - 文化人類学・牧畜文化論・モンゴル研究、民族社会学研究部部長
	 小山修三 - 民族考古学、名誉教授 現在吹田市立博物館長で、一度飲んだ事があります。オセアニアが専門です。
	 近藤雅樹 - 民俗学・民具研究、民族文化研究部教授
	 崎山理 - 言語人類学・オセアニア言語学、名誉教授
	 佐々木高明 - 民族学・東・南アジア農耕文化史、第2代館長、名誉教授
	 笹原亮二 - 民俗学・民俗芸能研究、研究戦略センター教授
	 清水昭俊 - 社会人類学・家族比較論・オセアニア研究、名誉教授
	 周達生 - 民族学・動物生態学・物質文化論、名誉教授
	 庄司博史 - 言語学・言語政策論、民族社会学研究部教授
	 白川千尋 - 開発人類学・医療人類学、民族文化研究部準教授
	 杉田繁治 - コンピューター民族学・比較文明学、名誉教授
	 杉本尚次 - 文化人類学・文化地理学、名誉教授
	 杉本良男 - 社会人類学・南アジア研究、民族社会学研究部教授・副館長
	 鈴木七美 - 医療人類学・医療社会史、先端人類科学研究部教授
	 須藤健一 - 文化人類学、第5代館長
	 関雄二 - 文化人類学・アンデス考古学、研究戦略センター教授
	 祖父江孝男 - 心理人類学、名誉教授
	 竹沢尚一郎 - 宗教人類学・西アフリカ研究、先端人類科学研究部教授
	 竹村卓二 - 社会人類学・ヤオ族研究、名誉教授
	 立川武蔵 - 仏教学・インド研究、名誉教授
	 田辺繁治 - 社会人類学、名誉教授
	 田村克己 - 文化人類学・東南アジア研究、民族文化研究部教授
	 陳天璽 - 社会人類学・移住・移動者研究、先端人類科学研究部准教授
	 塚田誠之 - 歴史民族学、先端人類科学研究部教授
	 友枝啓泰 - 文化人類学・アンデス民族学、名誉教授
	 長野泰彦 - 言語学・チベット・ビルマ言語文化、名誉教授
	 中牧弘允 - 宗教人類学・経営人類学、名誉教授
	 西尾哲夫 - 言語学・アラブ研究、民族文化研究部教授・副館長
	 野林厚志 - 人類学・民族考古学・台湾原住民の研究、研究戦略センター教授
	 野村雅一 - 文化人類学、名誉教授
	 端信行 - 文化人類学・経済人類学・アフリカ民族学、名誉教授
	 藤井知昭 - 民族音楽学・音楽人類学、名誉教授
	 松園万亀雄 - 社会人類学、第4代館長、名誉教授
	 松原正毅 - 社会人類学・遊牧社会論、名誉教授
	 松山利夫 - 文化人類学・オーストラリア先住民研究、名誉教授
	 森明子 - 文化人類学・ドイツ民族誌・オーストリア民族誌・中部ヨーロッパ歴史人類学、民族文化部教授
	 森田恒之 - 博物館学・保存科学・色彩材料学、名誉教授
	 八杉佳穂 - 中米民族学・中米文化史、民族社会研究部教授
	 山田睦男 - ラテン・アメリカ史・ラテン・アメリカ地域研究、名誉教授
	 山本紀夫 - 山岳人類学・民族学・民族植物学・アンデス地方農耕文化、名誉教授
	 吉田憲司 - 文化人類学・博物館人類学、文化資源研究センター教授
 


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