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鋳物民族博物館 2003.7.9(土)(財)枚方市文化財研究調査会



	河内は鋳物師(いもじ)発祥の地といわれ、枚方では、江戸時代に河内国惣官鋳物師(かわちのくにそうかんいもじ)として、
	真継(まつぎ)家から河内での独占的営業を許された田中家が、枚方市上之町で梵鐘などの各種の鋳物を鋳造していた。。
 
	中世から近世には、全国の鋳物師の大多数は、蔵人所小舎人であった真継家によって統括され、株仲間を形成していた。鋳物師
	と真継家の関係は、「鋳物師職座法之掟」に従って鋳物師は真継家の代替わりや自家の相続の時は、上京して祝儀や献上金を納
	入し、又年頭・八朔(旧暦8月1日)には嘉儀(かぎ)をつとめることが義務づけられていた。これに対して真継家は、鋳物師
	に「鋳物師職許状」を与えて株仲間を支配し、このような支配関係は明治に至るまで続いた。
 
 




	【旧田中家鋳物民俗資料館】
	田中家は枚方において河内鋳物師として、梵鐘・灯籠をはじめ鍋・釜・鋤・鍬などを鋳造していた。江戸時代中期に建てられた
	鋳物工場は、昭和48年3月に大阪府の有形文化財に指定され、その工場と主屋の寄贈を受けた枚方市が、藤阪に移築復元し、
	昭和59年10月に、「枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館」として開館した。 また庭内には、田口山弥生時代遺跡の発掘調査に
	より発見された、竪穴式住居も復元されている。鋳物工場は昭和35年頃まで操業していたが、その後廃業した。
 
	入館無料   〈開館時間〉10:00〜16:00 
	休館     月曜・祝日・年末年始 
		   藤阪天神町 858-2852
 
 

資料館の中の板張りの間は狭く、とても全員は入れないので、何人かはこの竪穴式住居の中で昼食を取った。私もこの中で食べたがカビ臭かった。

 

  
	上は田中家が鋳物師としての操業を許された許状や、納入した製品の受け渡しなど、当時の各種書状。
 
 
	鏡や銅鐸の復元模型や説明が展示されていたが、これはどうやら最近展示した物のようだ。江戸時代の田中家がこれを作ってい
	たわけではない。資料館として、民族資料だけでは歴史マニアを満足させられないので、ことさら追加した資料のようである。
 


 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 






	入り口は「鋳物民族資料館」で、出口は「(財)枚方市文化財研究調査会」となっている。寄贈を受けた建物の側に、枚方市が
	外郭団体を持ってきたもののようだ。教育委員会からの委託を受けて、枚方市の発掘調査等々を引き受けている。
 

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