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東京都埋蔵文化財センター
2004.1.10(土)
奈良・平安時代


中世・近世



大丸(おおまる)城址(多摩ニュータウンNO.513遺跡) 稲城市大丸
JR南武線「南多摩駅」から歩いて10分程の、南側にある小高い山が城址となっているそうだが、築城年代や築城者は不明。
南北朝の頃とも室町時代とも言われる。地元にも伝承や史料は皆無で、後北条氏の砦とか、鎌倉の公方屋敷跡とかの話もある
ようなので、もしかしたらこの遺跡の前にもここに砦があったのかもしれない。山城で、遺構としては、郭・土塁・空堀が残
る。
このあたりは、鎌倉から府中を結ぶ道筋にあり、かつ多摩川の渡河地点を監視する場所として機能していたのではないかと推
測されている。城址は、多摩ニュータウン造成のために山そのものが削られる予定だったが、地元の保存運動で残され、城址
は現在、城山公園となっている。







速報コーナー









収蔵庫の棚にはずらりと縄文土器が並んでいる。さすがは縄文遺跡「多摩」である。近畿圏が弥生系なら、板東平野は縄文系なのかな。


この機関も、あの、歴史界の稀代の大ペテン師、藤村新一の来臨を仰いでいる。あんな男の手を借りなくても、十分このセン
ターだけでも発掘の成果は挙がっていたと思うのだが、やはり「原人」時代の誘惑には勝てなかったという事だろうか。他の
資料を読むと、藤村があそこを掘れと言ったら実際にそこから石器が出たと言うような記事があるので、ここも騙されたクチ
なのだ。我々は、遠くから考古学会やその活動状況を垣間見るだけなので、とても藤村自身がどんな人なのかを窺い知るべく
もないが、実際に発掘や研究に従事して藤村と接する機会があった環境の人たちが、どうしてマスコミが暴露するまでその欺
瞞性を見破れなかったのか未だにわからない。
平成13年12月11日
各 位
(財)東京都生涯学習文化財団
東京都埋蔵文化財センター
所長 尾崎 眞幸
「多摩ニュータウン遺跡ーNo.471ーB遺跡」報告書刊行の経緯等について
日頃、埋蔵文化財調査事業に御理解と御協力をいただきありがとうございます。
さて、先にお送りいたしました東京都埋蔵文化財センター調査報告代 100集「多摩ニュータウン遺跡−471−B遺跡」につきま
しては、その刊行の時期等から、一部の方からその趣旨についてご照会を頂きましたので、下記のとおり作成の経過等につい
て説明させて頂き、ご理解を頂きたいと存じます。
記
1 多摩ニュータウン遺跡群(964カ所の遺跡)発掘調査事業は、これまで20数年にわたり当センターにおいて実施されて参
りましたが、調査は、ニュータウン開発事業の進捗の必要から発掘作業を優先してきたため、報告書等の刊行時期につい
ては遅滞はあるものの、今日まで継続して行っております。表題の報告書もこうした中で刊行されたものです。
2 従って、この報告書は、発掘調査を行った昭和62年当時の調査データ等を基にして発掘調査結果を報告したもので、いわ
ゆる「藤村関連遺跡」としてのその後の状況とは、意識的に関係なく作成したものです。東京都教育委員会が設置した
「多摩ニュータウンNo.471ーB遺跡調査委員会」において発表した「多摩ニュータウンNo.471ーB遺跡出土石器に関する調
査報告」を否定する趣旨は全くありません。
3 いわゆる「藤村関連遺跡」としての取り扱いについては、この遺跡から出土した石器の検証について、上記東京都の「調
査委員会」が既に検証結果を公表しています。委員会の結論としては、「No.471−B 遺跡の石器群が、他の異なる時期の
石器群を混えたものであったり、明らかに後世に他地域から持ち込まれたものであるとの見解には至らなかった。しかし、
多くの疑問点や不自然な状況などから、約5万年前の石器群という、これまでの評価をそのまま首肯することも困難であ
る」とされています。
ここにその報告書を同封いたしますので、先にお送りしました本報告書と併せてご参照されますようお願いいたします。
なお、東京都教育委員会においては、東京都指定有形文化財に指定されていた当該遺跡から出土した石器について、東京都文
化財保護審議会に諮問のうえ、平成13年10月25日に指定解除を行っています。
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