「尖石遺跡」を前回訪問した時この資料館は改装中だった。近くの「八ケ岳総合博物館」に間借りして遺物を展示していた が、今回は新装なった雪の「考古館」を訪ねた。近隣の遺跡から発掘された縄文土器だらけである。国宝の「縄文ビーナス」 はみれなかったが、すばらしい土器だらけだ。全くもって縄文人たちのエネルギーには感心する。
この考古館のすぐ前にある「尖石遺跡」は八ケ岳山麓1,070mの台地にあって、縄文時代中期の代表的な遺跡である。昭和5 年から発掘調査が行われ、多くの遺物とともに90軒近い住居址が発見された。当時の縄文時代の住居研究の上で、学術的に 価値が高く、「特別史跡」に指定された。その後の調査も含めて、現在まで184軒の住居址が発見されている。 考古館のすぐ裏手にある「与助尾根遺跡」は縄文集落研究の拠点として知られ、今回の考古館新装に合わせて、6軒の掘建 住居が新たに復元され史跡公園として整備されている。
「尖石縄文考古館」には、我が国で初めて縄文時代の遺物が国宝となった、「縄文のビーナス」と名付けられた土偶を初め として、茅野市内の遺跡から出土した遺物約2,000点が展示されている。展示物を眺めていると、中部高地における縄文文化 の素晴らしさと、「縄文王国」とでも呼べそうなこの地方一帯の繁栄の姿が彷彿としてくる。
考古学という学問の目的は一体なんだろう。人文系の学問として歴史学や文学と一緒に、大学では多くが「文学部」に属し ているし、まず「理科系」の学問ではないと誰もが思っている。しかし最近の研究方法や分析の手法等を考えると、明らか に自然科学系の知識を駆使しなければならない部分も多い。人文系の学問のなかでは、一番、自然科学的な「客観性」を計 測しやすい分野であると言えよう。
確かに、「物証」があるために歴史学とは違ってある程度の「客観性」が要求される。年代や産地の割り出しなどは「勘」 ではできない。では完全に自然科学の学問なのかと言うとそれも難しい。なぜなら、考古学の最終の研究対象は「遺物」の 発掘や分析ではなく、「人間」だからである。 考古学の目的は、歴史学や文学と同じく「人間とは何か」を追求する事なのだ。過去多くの先人達がこの命題に挑み、今後 も多くの真摯な学徒達が、この命題に向かっての探求に一生を捧げる事だろうと思う。
これら縄文人達の営みの跡を見ていると、ほんとに「人間」について考えさせられる。 人はなぜ生きているのか。ただ生まれてきたからではなく、生活を豊かにし、物的な物を超えた精神性に光明を見いだし、 よりよい環境へ移り住みながら、未来永劫の子孫繁栄を願う。 一体、「人間とは何か」?