地元博物館見学記
1999.2.20
我が家から博物館へは、名神高速下のトンネルを潜っていく。トンネル内には私の発案で絵が描かれている(市長への手紙で提言した)。
我が家から歩いて5,6分のところにある超地元の吹田市立博物館であるが、
誠に、誠に申し訳ない事に、全館撮影禁止である。
美術館、博物館の「撮影禁止」措置については、このHPの中でも相当批判を続けてきたしこれからも続けていくつもり
でいるが、我が町「吹田」の博物館も撮影禁止なのだ。その真意や方針を大分追求したがまだはっきりした解答は得てい
ない。しかし、博物館に勤務する一人一人を糾弾しても仕方がないし、中には撮影解放を唱える職員もいるのである。
ひとえにこれは博物館及びその管掌する公共団体の「方針」にかかっている。展示現場における問題で一番やっかいそう
なものは「著作権」だ。つまり博物館での展示物が全てその博物館所蔵のものであれば意志決定は早い。しかし保有者か
ら「寄託」を受けて展示しているものについては所有権が「原保有者」にあり著作権もそこにある事になる。従って、い
ちいち撮影許可を得るわけには行かない、というのが主な「撮影禁止」の理由となっている。しかし私の意見ではこれは
おかしい。「寄託」した瞬間から著作権も「寄託」した事になるのではないか? 広く一般に見物して貰う事が前提で
「寄託」するのであるから、撮影に著作権や肖像権を主張するのは矛盾していると思うのだがどうだろう? 詳しい法律
解釈はわからないが、常識でおかしい事は法的にもおかしくないといけない。
今の「博物館法」なるものも時代遅れである。現在、我が国には国立の歴史博物館は東京・京都・奈良の3つしかないが、
(やっとこの度、平成11年度予算で「九州国立博物館(仮称)」の設計予算がついて4番目の国立博物館が誕生しそうで
ある。それでも諸外国に比べると国立博物館の数は著しく少ない。ヨーロッパなどは大抵10以上の博物館を持っている。)
大阪千里にある「国立民族博物館」(通称みんぱく)や千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(同れきはく)も博
物館であると思っている人が多い。「博物館という名前が付いているから博物館じゃないか。」という人もいそうだが、
厳密にはこの二つは博物館ではなく「大学」なのだ。原則として、大学関係者以外には一般人はこの施設は利用できない
のである。位置的には「大学院大学」に相当する。だから、中の職員に「教授」や「助教授」がいるのだ。通常の博物館
なら研究職員は全て「学芸員」である。性格は博物館であるにもかかわらず、研究を主体とする事から現行の「博物館法」
の特例法を用いてこんなおかしな博物館を出現させている。とっとと「博物館法」を改訂すればすむ話だ。
脱線したが、そもそも古代の遺物や民族資料、古文書などは国民全体の財産であるべきだ。理想的には国家の管理(地
方を含む)にして、広く一般に開放すべきである。一部の機関や大学だけが文化財を私蔵し公開しないと言うのは国民
を馬鹿にしているとしか思えない。「お前らが見たってどうせわかりゃしない。」という一部研究者達の声が聞こえてき
そうだ。
しかし、こう言う意見は「国家」による「所有権」の独占という事にもなりかねないし、過去の蒐集家達が費やした多く
の労力や経済力を否定してしまう事にも繋がる危険性がある。文化財のあり方全般をめぐっては、もっと国民間で議論す
べきであろう。
さてそんな環境下にあって、我が「吹田博物館」も展示場部分は「撮影禁止」であるが、この程博物館内部を見学・撮影
させてもらえる機会にめぐまれた。通常博物館は、建物全体に占める展示場部分の割合は3割以下であり、その他の部分
は収蔵庫や作業室やもろもろの施設で構成されている。めったに一般人には見れない部分でもあるし、広く博物館業務の
理解を深める事になればと思いここに紹介する。今までの「博物館案内」とは一風変わったものになっているがご了承頂
きたい。
博物館は色んな方法で資料を収集している。発掘や埋蔵物調査は勿論、一般からの民族資料・古書の寄贈や、払い下げ
(古い民家の改築時などに貰ってくる。)によるもの等多種多様だ。
吹田博物館では、車で運ばれてきたそれらの資料はまずこの1階の受入室に入れられる。
学芸員による選別や痛みの度合いなどが調査され、或程度の量になるとくん蒸(薫蒸)される。今回説明してくれたのは、
学芸員の藤原さんと望月さん。下右が説明する藤原さん。
くん蒸とは、カビや虫等を殺菌してしまう事だ。藤原さんがくん蒸室の扉を空ける。(左下)
薬品の名前は聞いたが忘れた。すごくぶ厚い扉を開けると少しすっぱいような臭いがする。くん蒸される資料はこの中に
24時間入れられる。ほんとは真空が一番らしいが、真空だとバラバラになる資料もあるので7分の1気圧くらいに減圧
される。くん蒸が終わったガスは浄化装置を経て大気中へ放たれる。危険はないのかと誰か質問したが、排気ガス以下の
PPMになって出ていくそうである。藤原さんは普通の学芸員だが、このくん蒸装置を操作するのに薬品学や土壌学など
色々関連の勉強をして資格保持者になった。右端の小さなボンベが薬品。これだけで100人位は死ぬそうだ。
くん蒸が終わった資料は一般収蔵庫に保管される。1階2階に分かれており、すごい量の収蔵物である。土器・石器から
民族資料、古文書、美術品、衣料と何から何まで保管してある。吹田は埋蔵物センターも博物館が兼ねているので収蔵庫
が大きいのだろう。
下のトロ箱は土器類。整理に何年かかるかわからない。ちなみに大阪市文化財協会が行っている難波宮の土器整理は発掘
後50年近くになるが、埋蔵物の整理はまだ半分も終わっていないし、平城宮に至っては後100年かかっても終わるか
どうかと言われている。
古文書の類はダンボールに入れられている。これにしたって解読して整理していく作業を想像したら気が遠く
なりそうだ。この博物館には学芸員が6人いるが、それぞれ考古学、民族学などの専門家で構成されており、
一人一分野を受け持っている。整理作業にはアルバイトが従事しているが、殆どエンドレスの仕事だ。
忍耐と根気の勝負である。
下は特別収蔵庫。2つあり、湿度を変えてそれぞれ資料が保管されている。より貴重な文化財や、他機関からの預かり物
などが収納されている。この収蔵庫も一般収蔵庫も、年に2度収蔵庫ぐるみ「くん蒸」される。穴という穴は塞がれた上
で、扉の左側の丸い穴からガスが注入され別の穴から抜かれる。この時は、博物館の中には藤原さんしかいない。館長以
下全員出張を作ってどこかへ出かける。勿論博物館も2,3日休館になる。
下左が特別収蔵庫の扉を開ける望月さん。ここは内部は板張りである。板の後ろから空気が送り込まれ一定の温度湿度を
保っている。正倉院と同じような効果だそうだ。勿論使用する板にも適不適がある。何処かの寺で収蔵庫を総檜(ひのき)
張りにして文化庁から叱られた話を藤原さんがしていた。松や檜はヤニが出るので、物を入れる器に使用するなどもって
の他、という事らしい。
下の部屋で大勢のアルバイト従業員が、整理作業やトレース作業に励んでいる。
この博物館には、狭いだけで機能はNHK並のスタジオも完備されている。顕微鏡もある。文化財に付いた虫の糞や卵を
調べるのである。虫の種類から年代が判明する事もある。最近「トイレの考古学」が話題になっているが、最近では考古
学者か生物学者か分からないような勉強もしなければならない。
今回案内してもらった学芸員の藤原さんは、さすがに色んな事に詳しかった。改めて地元吹田の歴史についても勉強すべ
きだと痛感した。考えてみれば、自分の町にも石器時代、縄文・弥生時代と人は住んでいたのである。「邪馬台国」では
無かったかもしれないが、太古の昔から歴史はあるのだ。もっと地元の歴史にも関心を持つべきなのだ。
− 藤原さん、望月さん、色々とありがとうございました。 −
吹田博物館は、大阪府下の市町村では堺博物館とならんで設備が充実した博物館だそうだ。確かに見せて貰った設備はす
ごかった。こんなものが近所にあったとは驚きだ。なおさらの事「撮影禁止」が惜しまれる。これだけの設備を持ちなが
ら、という気がしてしょうがない。賢明な読者にはお分かりだと思うが、私が「撮影禁止」にこだわっているのは、単に
写真を撮れるかとれないかだけではない。写真撮影自由というのは象徴である。その博物館が広く万民に開かれた博物館
になろうとしているのかそうでないかのバロメーターなのだ。
写真撮影自由は、館長・職員・学芸員・研究者達が総意で写真撮影を解放しているその博物館全体の意志と見ても良い。
極めて自由度の高い姿勢と柔軟性が窺えるのである。「写真撮影禁止」に出会うと、「学問の府」を必死に守り、「象牙
の塔」は依然として世間一般・世俗的なるものからは隔離・超越した所に置くべきだ、という主張を掲げているように思
えてしまう。これでは、幾ら「市民とともに」とか「市民に親しまれる博物館を」と言っても尻込みしてしまうし、何と
なく近寄りがたい。
関西地方で写真撮影を許可しているのは「大阪市博物館」と「大阪府立弥生文化博物館」の2館だけである。
(最近ボチボチと撮影自由が増えてきた、という話も聞く。2003.11.14)
博物館前の広場の端に、九州から飛んできたという火山灰の堆積した地層がむき出しになっている。(2011.10.25朝、ウォーキングの途中で。)
100万年前! な、なんと。アカホヤなんかより遙か昔やね。なんで100万年前とわかるんやろ。
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