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仙台市立博物館
2005.7.17(日) 仙台市
7月の3連休、休み明けが東京出張になったので、2日かけて仙台を巡ることにした。青葉城にも行きたかったし、古代の
政庁「多賀城跡」にも前から行きたかった。坂上田村麻呂とアテルイの戦いも胸が躍る。仙台で1日、多賀城で1日を費や
して東京に1泊と計画したのだが、1日で両方を廻ってしまい、聞いたら山形までバスで1時間足らずと言うので山形にも
足を伸ばした。しかし山形博物館は祝日にもかかわらず閉まっていたし、ろくろく調べていかなかったので、山形城以外は
見るところもなかった。いずれ落ち着いて、歴史倶楽部の例会ででも、本格的にゆっくり東北を廻ることにしたいものだ。
大阪から仙台へ飛んでいくのは初めてだ。見慣れない光景が眼下にあってなかなか楽しかった。
仙台空港は有名な「たなばた祭り」を前にして飾りつけがしてあった。かまぼこもだが、是非牛タンを食べてみたい。
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■ 仙台市の概要
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仙台市は、宮城県のほぼ中央に位置し、同県の県庁所在地である。東北地方の中心都市としての機能も併せ持つ、東北地方
唯一の政令指定都市でもある。市内には緑も多く、別名「杜の都」と呼ばれ親しまれており、東北大学を始めとする大学・
研究機関なども多く、「学都仙台」などとも呼ばれる。人口は約102万人。近年は毎年1万人前後人口が増加しており、
全国的に見ても若年者の人口に占める割合が大きい。東北地方全体を管轄する国の出先機関・大手企業の支社・卸売企業等
が集中する、広域中枢都市の機能を持つ。特に東北地方における国の出先機関は例外なく仙台に立地するため、その拠点性
は政令指定都市のなかでも高く、東北地方の他県あるいは宮城県内の他都市からは、仙台への一極集中を危惧する声がある
そうである。
国分氏が千代城と名付けたのは、城の本丸の位置に虚空蔵千体仏があったからだといわれている。千体が千代(せんだい)
となり、関が原の翌年(1601)、伊達政宗が今井宗薫にあてた書状の中に、「去る十四日此地仙台へ相移り申候」と記され
ていることから、伊達政宗が「千代」をやめ「仙台」にしたと言われる。仙台に改めたのは、唐の詩「同題仙遊観」の中の
「仙台初見五城楼」によったと言われている。伊達家62万石の城下町から発展したため、その名残を残して都心部の道路
は碁盤の目状になっている。
杜の都と謳われる東北最大の都市仙台は、その名のごとく大通りにはケヤキ、イチョウなどの大樹が被い、JR仙台駅前に
は「青葉通り」とよばれる大道が走る。その道は仙台藩伊達政宗の居城青葉城址へと続いている。城を目指して青葉通りを
西へ進むと、広瀬川に架かる大橋を渡る。仙台市博物館はその橋をわたったところにある。かっての青葉城址の三の丸跡で
ある。
「青葉城恋唄」
「青葉城恋唄」は、NHK仙台の「FMリクエストアワー」に寄せられた詩に、同じく仙台出身の歌手「さとうむねゆき」
が曲をつけたもので、歌詞の一番初めの部分に「広瀬川」と入っている。この歌はいきなり「ひろせがわぁ−」と始まるの
である。また、「七夕」とか「青葉通り」とか仙台の象徴的なものがたくさん織り込まれていて、典型的なご当地ソングな
のだが、いわゆるご当地ソングと違うのはやはりそのメロディーと歌詞が叙情的だからだろう。しかしさとうむねゆきは、
この歌を5分と経たずに作ったというから、さすがは仙台育ち、オドロキだ。上右は広瀬川の下流。下左が上流。博物館前
の大橋から写した。仙台駅からここまでは急ぎ足で歩いて30分くらいである。
「仙台市博物館」
仙台城三の丸跡にあり、仙台の歴史を一覧できる総合博物館。歴代伊達家の歴史資料や伊達家関連の文化財、「ローマ市民
権証書」他の支倉常長らによる慶長遣欧使節関係の資料など、数万点の資料を展示している。また、ギャラリーやイベント
ホールなどもあり、中でも畳26枚分の「奥州仙台領絵図」には圧倒される。
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■ 仙台市博物館の概要
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昭和26年に仙台伊達家から寄贈された資料群(伊達家寄贈文化財)の保管・展示・研究のために、仙台城三の丸跡に昭和
36年に開館。昭和61年には同地で全面的に改築され現在に至る。延床面積1万800平方m、総2階、鉄筋コンクリー
ト造り。平成13年に国宝に指定された慶長遣欧使節関係資料や、重要文化財の伊達政宗所用具足・陣羽織、豊臣秀吉所用
具足、三沢初子所用帯などの他、仙台伊達家からの寄贈資料をはじめ、江戸時代の仙台藩に関わる歴史・文化・美術工芸資
料など約7万6千点を収蔵する。常設展示は年4回の展示替えを行い、随時約1200点を展示している。
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所在地 : 980-0862 仙台市青葉区川内26番地 <仙台城三の丸跡>
交通 : 【仙台市営バスご利用の場合】
・仙台駅西口バスプール9番乗場 青葉通経由動物公園循環・青葉台・宮教大・成田山行、約10分、博物館・国際
センター前下車徒歩3分
・仙台駅西口バスプール15-3番乗場 「るーぷる仙台」で約20分、博物館・国際センター前下車、徒歩3分
【車の場合】
仙台宮城インターより約10分(駐車場:普通車50台、バス5台駐車可能)
開館時間 : 9:00 - 16:45 (入館は16:15まで)
休館日 : 月曜日(祝日・振替休日の場合は開館)
祝日・振替休日の翌日(土・日曜日、祝日の場合は開館) 12月28日〜1月4日
常設展観覧料 : 個人 団体(30人以上) 一般・大学生 400円 320円 高校生 200円 160円 小・中学生 100円 80円
問い合わせ : 仙台市博物館情報資料センター TEL 022-225-3074
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●青葉城址
博物館から樹木の中を道なりに行くと城址(青葉山公園)入り口がある。山道を道なりにしばらく歩いていくと駐車場に
着く。山頂は神社とみやげ物屋が建ち、とても居城の跡とは思えない。温泉街の盛り場のような雰囲気である。
伊達家62万石13代270年続いた居城も、現在は、当時の石垣と復元された隅櫓があるだけである。東と南に、天然
の断崖の上に築かれた城には、将軍家康の警戒を避けるためあえて天守閣を造らなかったといわれる。城跡には伊達政宗
の騎馬像があり、この標高120mの天然の要害から仙台市街が一望できる。また「荒城の月」を詠った土井晩翠はこの
青葉城(仙台城)を舞台にイメージして書いたという。政宗の騎馬像の近くに荒城の月の歌碑もある。みやげ物屋の一角
に青葉城資料展示館があり、青葉城を復元した映像を上映しているが、入館料700円と高く、とても入る気にはならな
かった。
藤村新一の捏造事件では、宮城県もその被害(?)が大きかった。70万年前の遺跡として、我々も「旧石器遺跡の旅」
に出発寸前だった「高森遺跡、上高森遺跡、馬場壇A遺跡」など、当時の主要な旧石器時代の遺跡はほとんどが宮城県に
集中していたと言ってもいいほどだ。東北地方は、旧人たちが闊歩していた「原」日本人たちの王国だった。この幻想が
ほんとに幻想になってしまった。たった一人で100万年の歴史を作ろうとした男にも驚くが、20年にわたってそれを
見抜けなかった周囲の「能力」や「学術経験」にも驚かされる。冷静になって考えれば、たった一人で次々に遺跡の年代
を遡らせているというおかしな事実に、周りから一人くらい異を唱えるものが出てもおかしくはなかった。遠く東京から
糾弾していた2,3の学者の声は封殺され、彼らは自治体や研究団体は言うにおよばず、驚くことに学会からも締め出さ
れた。大勢力に抵抗することの困難さに思いが行くのと重なって、学会や研究者たちの頭の中が、いかに自由度が低く、
いかに柔軟性が乏しく、いかに想像力に欠けていたかに思いは至る。
平成15年2月 仙台市史編さん専門委員会
藤村新一元東北旧石器文化研究所副理事長による旧石器遺跡発掘ねつ造問題に関しては、日本考古学協会および各種研究
機関・自治体などの検証作業によって、多くの旧石器時代遺跡が学術的価値を有しないことが明らかになりました。
その結果、仙台市史編さん事業のなかで平成7年に刊行された『特別編2 考古資料』(以下『考古資料』)及び平成11年
に刊行された『通史編1原始』(以下『原始』)で叙述された旧石器遺跡に関しても、ねつ造の疑義が認められ、学術的
な価値を否定されたものが多く含まれていることが判明しました。最新の研究成果を叙述に反映させるという趣旨から、
編さん時においては学界の一定の認知を受けていた発掘調査成果をもとに記述を行いましたが、結果的に、ねつ造された
資料を用いて歴史叙述を行ってしまったことを読者のみなさまに深くお詫び申し上げます。
『考古資料』及び『原始』で取り上げた遺跡のなかで、平成14年5月に公表された日本考古学協会前・中期旧石器問題
調査研究特別委員会の中間報告、及び仙台市教育委員会文化財課発表の旧石器検証作業の中間報告で、ねつ造の疑義が認
められた遺跡は次の通りです。
○ 仙台市内
青葉山遺跡B地点下層(11d層)、青葉山遺跡E地点下層(7b層)、北前遺跡(後期旧石器も含む)、住吉遺跡(後
・晩期旧石器も含む)、富沢遺跡(第30次調査地点の内 I 区25層及び III 区26層)、山田上ノ台遺跡(後期旧石器の
一部も含む昭和55年調査分)
○ 宮城県内
上高森遺跡(築館町)、高森遺跡0地点(築館町)、座散乱木遺跡(岩出山町)、馬場壇A遺跡(古川市)、中峯C遺跡
(大和町)、中島山遺跡(色麻町)
○ 宮城県外
袖原3遺跡(山形県尾花沢市)、竹ノ森遺跡(福島県福島市)、大平遺跡(福島県西郷村)、原セ笠張遺跡(福島県二本
松市)
この他の遺跡に関しても、現在検証作業が進められている遺跡も幾つか存在します。また、仙台市においても教育委員会
が検証作業を継続して実施しております。
一方、こうした一連の検証作業によって、富沢遺跡第30次調査地点のうち IV 区27層(富沢遺跡保存館―地底の森ミュー
ジアム―で保存・公開されている地点)及び山田上ノ台遺跡の昭和59年度調査分については、ねつ造された事実が認めら
れず、後期旧石器時代の遺跡としての価値を持つことが明らかになっています。
以上のような状況から、既刊の『考古資料』及び『原始』を今後ご利用される際には、以下の点にご留意くださいますよ
うお願いいたします。
(1) 縄文時代以降の叙述に関しては、今回のねつ造問題と関連がなく、今後も学術的価値を有すること。
(2) 前期・中期旧石器時代に関する叙述が歴史的事実に則していないこと。
(3) 後期・晩期旧石器時代に関する叙述についても、その一部に関してはねつ造と関連しており、歴史的事実に則して
いないが、富沢遺跡第30次調査地点のうち IV 区などのように問題がない部分もあること。
今回のねつ造問題によって、日本の旧石器時代研究はその研究姿勢を含めて、再スタートすることになりました。今回の
ねつ造問題を真摯に受け止め、各遺跡における発掘調査の成果に十分な検討を加えて、仙台地方における旧石器時代の
「新たな」歴史を皆様にお伝えできるように努力していきたいと考えております。
問合先 /〒980-0862 仙台市青葉区川内26番地 仙台市博物館市史編さん室 TEL 022-225-0814 FAX 022-216-1830
●遠見塚古墳(とおみづかこふん)
遠見塚古墳は仙台市若林区遠見塚にある前方後円墳である。国道4号線仙台パイパスに面している。古墳は、一時畑など
に利用されていた時期もあったが、現在は公園として整備・保存されている。なお、古墳の一部は、昭和19年(1944)
に霞目飛行場造営の際に削られてしまっている。東北地方で5番目の大きさを誇り、全長110mある。隣は遠見塚小学
校である。
<主要な仙台市の遺跡(仙台市文化財課の同HPより転載)>
<宮城野区>
1.安養寺下窯跡(あんようじしたかまあと) 奈良時代・平安時代 宮城野区東仙台六丁目
台原・小田原丘陵に位置。奈良時代後半の陸奥国分寺・同国分尼寺、多賀城U期・V期の瓦を焼いた瓦窯跡。18基の窯跡
が確認され、その内8基が発掘された。
2.安養寺中囲窯跡(あんようじなかがこいかまあと) 奈良時代・平安時代 宮城野区安養寺三丁目
JR仙台駅の北東3.7kmにあり、仙台第三高等学校付近から鶴ヶ谷団地入口にある宮城県消防学校までの南斜面に立地。
昭和41年に発掘調査され6基の窯跡が確認された。窯はいずれも半地下式無階無段穴窯で、宝相華文軒丸瓦、歯車文軒丸
瓦、均整唐草文軒丸瓦等の瓦類、須恵器(回転糸切底)、硯等が出土している。
3.安養寺配水場前窯跡(あんようじはいすいじょうまえかまあと) 奈良時代 宮城野区安養寺三丁目
JR仙台駅の北東約3.5kmに位置し、仙台市街地の北部を東西に延びる台原・小田原丘陵の標高46〜68mの南東斜
面に立地。丘陵頂部は宅地造成や道路建設により削平され、窯跡は失われ、灰原のみ残存していた。瓦や須恵器が出土した
が、須恵器を焼いた窯と考えられ、奈良時代中葉から後半代の窯跡とみられる。
4.今市遺跡(いまいちいせき) 平安時代・中世 宮城野区岩切字三所北
今市遺跡は、今市橋近くの標高約9mの七北田川右岸の平野にある平安時代・中世・近世の集落跡である。平安時代の竪穴
住居跡や中世・近世の溝跡・掘立柱建物跡・井戸跡が発見され、各時期の遺物が出土している。中世に繁栄したとされる七
北田川流域の集落の様相を解明するうえで重要な遺跡である。
5.岩切畑中遺跡(いわきりはたけなかいせき) 縄文時代・弥生時代・古墳時代・古代・中・近世 宮城野区岩切字稲荷西
標高10〜12mの自然堤防上にある縄文時代〜近世の集落跡である。古代の竪穴住居跡、中〜近世の溝跡等が発見され、土師
器、須恵器、陶磁器などが出土している。この地域における人々の継続的な生活を知る上で貴重な遺跡。
6.鴻ノ巣遺跡(こうのすいせき) 古墳時代〜中世 宮城野区岩切字鴻ノ巣
七北田川に沿う標高約8mの平野にある古墳時代から中世の集落跡である。古墳時代中期に大規模な集落がつくられ、古墳
時代後期・奈良・平安時代にも遺跡が継続する。中世になると交通や流通の要衝(ようしょう)として大きな集落が形成さ
れる。古墳時代中期には北海道系の土器も出土し、広い交流の存在がうかがわれる。
7.神明社窯跡A地区(しんめいしゃかまあとえーちく) 奈良時代 宮城野区枡江
台原・小田原丘陵(だいのはら・おだわらきゅうりょう)に位置している。奈良時代後半の多賀城U期の瓦を焼成した瓦窯
跡である。重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)、単弧文軒平瓦(たんこもんのきひらがわら)の他多数の刻印
(こくいん)された文字瓦が出土している。東北地方では調査例の数少ない半地下式ロストル付平窯跡が見つかっている点
で貴重な瓦窯跡である。
8.庚申前窯跡(こうしんまえかまあと) 奈良時代 宮城野区二の森
仙台市北東側に広がる台の原・小田原丘陵内に位置する。丘陵南西斜面に造られた窯跡で、5基がまとまり検出された。奈良
時代の瓦生産を主とする地下式無階無段登窯(ちかしきむかいむだんのぼりがま)である。このうちの1基は、須恵器(すえ
き)専門の窯であった。
9.神明社窯跡(しんめいしゃかまあと) 奈良時代・平安時代 宮城野区枡江
標高35〜45mの丘陵上に位置する古代の瓦を焼いた窯跡である。窯跡の他に竪穴住居跡なども確認されており、瓦を造った
人々の作業所や住居の可能性が考えられる。遺物としては多くの瓦のほか、土師器、須恵器、硯なども出土している。当時
の役所や寺院に使う瓦を焼いた重要な遺跡である。
10.大蓮寺窯跡(だいれんじかまあと) 古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代 宮城野区東仙台六丁目
JR東仙台駅の北西400mにあり、台原・小田原丘陵の東端部南斜面に立地する。この窯跡は、古墳時代中期中頃(5世紀中頃)の
東北地方最古の窯跡、飛鳥時代末から奈良時代前半の瓦・須恵器の窯跡、奈良・平安時代の窯跡の3時期に分けられる。
東北地方最古の須恵器窯や飛鳥時代末の瓦窯の発見は学史的に重要であり、貴重な窯跡である
<若林区>
1.荒井館跡(あらいたてあと) 時代 不明 若林区荒井字矢取
荒井館跡は、仙台市東部の標高4m前後の平野にある中世の館跡と考えられている遺跡である。付近には屋敷を囲む堀跡(ほり
あと)と見られる溝や、「館」と呼ばれる一角がある。遺跡の一部が調査されているが、中世の遺構や遺物は発見されず、古
墳時代や平安時代の土器が出土しただけであり、館跡かどうかは不明である。
(以下 詳細略)
2.今泉遺跡 若林区今泉二丁目
3.沖野城跡 若林区沖野七丁目
4.押口遺跡 若林区荒井字押口
5.神柵遺跡 若林区沖野二丁目
6.北屋敷遺跡 若林区六丁目字屋敷
7.地蔵浦遺跡 若林区六丁の目東町
8.下飯田遺跡 若林区下飯田字屋敷南ほか
9.仙台東郊条里跡 若林区蒲町
10.高田A遺跡 若林区上飯田三丁目
<泉区>
1.赤生津遺跡 泉区七北田字赤生津
2.杭城館跡 泉区西田中字杭城山
3.高柳遺跡 泉区七北田字高柳
4.洞雲寺遺跡 泉区山の寺二丁目
5.堂庭廃寺 泉区根白石字堂庭山
6.長岫遺跡 泉区南光台東二丁目
7.沼遺跡 泉区上谷刈字山下、塚、遠聖堂ほか
<青葉区>
1.青葉山A遺跡 青葉区荒巻字青葉山
2.芦見遺跡 青葉区錦ヶ丘6,7丁目
3.大原新田遺跡 青葉区大倉字大原新田
4.大原館跡 青葉区大倉字大原
5.蒲沢山遺跡 青葉区赤坂2,3丁目
6.萱場遺跡 青葉区大倉字萱場
7.北原街道B遺跡 青葉区上愛子字北原道上ほか
8.御殿館跡 青葉区上愛子字塩柄・宮下・神明・月見
9.五本松窯跡 青葉区台原森林公園ほか
10.下大倉館跡 青葉区
<太白区>
1.相ノ原遺跡 太白区坪沼字相ノ原
2.愛宕山横穴墓群 太白区向山四丁目
3.安久遺跡 太白区西中田五丁目
4.安久東遺跡 太白区西中田四丁目
5.伊古田遺跡 太白区大野田字塚田
6.泉崎浦遺跡 太白区泉崎一丁目地内
7.上ノ原山遺跡 太白区茂庭字上ノ原山地内
8.後河原遺跡 太白区中田町字前沖ほか
9.裏町古墳 太白区西多賀一丁目
10.王ノ壇遺跡 太白区大野田字王ノ檀
邪馬台国大研究・HP / INOUES.NET / 仙台市博物館