奈良県桜井市は、邪馬台国大和説の人々にとっては聖域のような所であろう。神山三輪山を後ろにひかえ、最近不思議なく らい年代がどんどん若返る古墳群を山とかかえている。茶臼山古墳、メスリ古墳、池ノ内古墳等々、そして纒向遺跡に箸墓 古墳である。この箸墓古墳こそ、古来より邪馬台国の女王「卑弥呼の墓」だと比定されてきた古墳である。又、最近纒向遺 跡からも大規模な集落跡が出現し、学者によっては「古代都市国家の跡だ!」として、「こここそ邪馬台国の都に違いない」 と叫んでいる。
桜井周辺は、山辺の道を初めとして古代散策には事欠かない。そこかしこに古代の雰囲気がそのまま残っている。飛鳥万葉 の古代史ファンならここに住みたいくらいだろう。 しかし、そんな古代の息吹き満開の市でも経済事情はさほど楽でもなさそうだ。同じ近鉄沿線でも大阪に近い 八尾や山本は大きな都市になったが、桜井は大阪のベッドタウンとなるには少し遠すぎるのであろう。又、 そこかしこが遺跡だらけで大規模な開発はできないのかもしれない。古代史ファンとしては、このままひっそり と古代の香りを残したまま、時たま訪れる我々の心を和ませてくれる場所で在ってほしいが、住んでいる人たち にとってはそうも行くまい。「開発と保存」は、何時になっても多くの問題を抱えている。
桜井市立埋蔵文化財センター発行「纒向遺跡100回調査記念」パンフレットより。 10.まとめ 纒向遺跡は、100回以上もの発掘調査を経て、多くの遺構・遺物が出土し、その資料の持つ意義や価値を考えねばならぬ時期 を迎えている。タイトルにあるように、"纒向遺跡はどこまでわかったか?" という疑問に、多くの回答を並べられるところ まできた。その回答の一つ一つを吟味し、それらを整理せねばならぬ状況で、考える人々の頭の中に先入観として"邪馬台国" に都合が良いか悪いかの判断が入り込み、純粋な価値判断をさまたげているように見える。もう一度客観的な視点でもって、 この 企画展を計画したつもりであるが、この展示自身がそのような弊害に影響されているならば、大いに反省しつつ、纒向 遺跡をみつめ直したいつもりである。 卑弥呼の邪馬台国は、掘れば必ずわかるとのセンセーショナルな言葉とは裏腹に、 纒向遺跡は掘れば掘るほどわからなくな ってきた遺跡ではなかろうか? 【清水記】