明治26年(1893)、加賀の商人西出孫左衛門、西谷庄八の両名によって構築されたこの倉庫は、外壁に札幌や小樽の軟石、 屋根には若狭(福井)産の瓦とシャチホコが上げられています。ことにシャチホコは高さ1.5m、重量120kgの銀瓦製で頭部 には制作者四方吉次郎の銘が入った秀作品です。また中庭を持ち日の字型に配された倉庫は左右対称の均衡美をそなえ、 現存する木骨石造倉庫群の代表格とされ、歴史的建造物に指定されています。 小樽市博物館は昭和60年(1985)9月から旧小樽倉庫の一部を再利用して移転開館し、色々な普及事業も実施しております。 【小樽市博物館/案内パンフレットより】
<小樽市総合博物館> 小樽市総合博物館は、平成19年7月、旧小樽交通記念館に小樽市博物館と小樽市青少年科学技術館の機能を統合し開館した。 小樽市の歴史と自然、北海道の交通史、科学技術をテーマに、さまざまな活動を行っている。 施設は本館(旧小樽交通記念館 小樽市手宮1丁目) と運河館(旧小樽市博物館 小樽市色内2丁目)の二つあり、それぞれ歩い て20分ほど離れているが、二日間に渡って利用できる共通入館券もある。従って、この小樽市博物館は現在「小樽市総合博物館 運河館」というのが正式名称である。 小樽市総合博物館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 小樽市総合博物館(おたるしそうごうはくぶつかん)は、北海道小樽市にある北海道の歴史や自然、鉄道をはじめとした交通、科 学などに関する展示を行う博物館である。 2007年(平成19年)7月14日、色内(いろない)にあった小樽市博物館(おたるしはくぶつかん)と緑にあった小樽市青少年科学 技術館(2006年(平成18年)12月閉館)の機能を統合し、手宮駅にあった第三セクター運営の小樽交通記念館(おたるこうつうき ねんかん。2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足したもので、旧小樽交通記念館の施設に事務機能を集約し、本館とした。 なお、旧・小樽市博物館は運河館と改称された。旧小樽倉庫を再生した博物館で、明治から大正の小樽の姿が、地図や写真などに よって蘇る。旧小樽倉庫は、小樽市の歴史的建造物に指定され、明治26年に建てられた、屋根にシャチホコが掲げられた独特の外 観の木骨石造建築である。 昭和60年に再生された館内では、明治末から大正にかけて北海道を代表する商業都市として賑わった当時の海陸物産商や高級舶来 雑貨店などの店先を再現。古代体験では、土器などに文様をつける方法などが体験できる
小樽運河は、大正12年に完成した港湾施設。莫大な国家予算により9年の歳月をかけて完成した。内陸を彫り込んだ運河ではなく、 海岸の沖合いを埋め立てて造られたため、直線ではなく扇型に緩やかに湾曲しているのが特徴となっている。 運河は、港内に停泊した本船から倉庫への荷物の積み下ろしの重要な役割を果たしており、運河沿いには石造倉庫群が軒を連ね、 船荷をさばく“はしけ”(小さい船) が往来していた。しかし、時代が変わり戦後になると、港の埠頭(ふとう)岸壁の整備に より、その使命は終わりを告げることとなった。 現在の運河は、十数年に及んだ埋め立てを巡る論争の末に、昭和61年、一部を埋め立て、幅の半分が道路となり、散策路や街園 が整備され現在の姿に生まれ変わった。運河の全長は1140mで、幅は道道臨港線に沿った部分は20m、北部(通称:北運河)は埋 め立て前と同じ40mとなっている。 散策路には63基のガス灯が設置され、運河沿いの石造倉庫群は当時の姿のまま残されておりレストランなどに再利用されている。
運河はいつも観光客でいっぱいだ。女の子の2人連れに3回「写真を撮って」と頼まれた。夜には運河沿いの散策路のガス 燈にあかりが灯り、レトロな街並がロマンチックな雰囲気に包まれる。また、毎年2月に行われる「小樽雪あかりの路」の メイン会場にもなる。運河の水面に浮かぶ浮き玉キャンドルが幻想的で、冬の小樽を代表する風景だ。石造りの倉庫群や歴 史的建造物などが点在している小樽をぜひ散策してみて下さい。
1865年、村並みとなった小樽は勝納川河口周辺が中心地でしたが、港の整備がすすむと色内川・稲穂町方面に移動します。1880年(明治13年)、日本で3番目の鉄道が開通すると、北海道の開拓物資集積拠点となり、商都小樽の形を整えはじめ、明治末期には人口9万をこえる大都市に急成長します。 こうした小樽の発展を地図や写真などの資料によって紹介しています。 |
小樽の重要な産業だったニシン漁に使われた漁具類。 |
小樽に輸入された映写機などの高級な外国製品の数々。 |
年一航海の買積船、北前船(弁財船)でにぎわう小樽港の様子。 |
海陸物産商 |
文具雑貨店 |
西洋小間物店 |
明治末から大正期にかけての小樽は、まさに北海道を代表する商業都市に成長していました。 この当時を代表する商店3店舗が復元展示されています。 |
【昆虫と植物】 |
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【森の四季】 小樽の自然の中に生きている動植物、昆虫たちの姿をジオラマで展示しています。 四季の森のいとなみを感じ取ることができます。 |
【大昔・ヒトと生活】 忍路土場遺跡(縄文時代後期・約3,500年前)から発掘された数々の資料は、当時の生活様式を物語る貴重な資料です。それらの資料をもとに再現されたのが縄文時代後期の生活ジオラマです。そのほか、火をおこす道具や、布、漆(うるし)塗りの櫛(くし)、盆や鉢のような木製品、そしてさまざまな土器や石器など、縄文時代の人々の生活が垣間見える道具たちが展示されています。 |
【古代体験】 |
このコーナーでは、土器などに文様をつける方法と、火をおこす労力が体験できます。 特に火おこしのシミュレーターは、3種類の木材質による作業時間の差までが体験できてしまう、とても精巧なもの!ぜひ体験してみてくださいね。 |
<森の四季> 国定公園の海岸線は奇岩絶壁の壮大な景勝地。内陸部に入ると自然豊かな原生林。その中に生きている動植物の姿をジオラマで紹 介している。ヒグマの冬眠、ノネズミを狙うキタキツネ、咲き乱れる植物、そして野鳥や昆虫たちの小さな世界では、その鳴き声 など、音と動きを取り入れた初春から秋にかけての森のいとなみを感じ取ることができる。
<大昔・ヒトと生活> 忍路土場遺跡(縄文時代後期・約3,500年前)から発掘された数々の資料は、当時の生活様式を物語る貴重な資料である。それらの 資料をもとに再現されたのが縄文時代後期の生活ジオラマ。そのほか、火をおこす道具や、布、漆(うるし)塗りの櫛(くし)、 盆や鉢のような木製品、そしてさまざまな土器や石器などが、縄文時代後期の世界へみちびいてくれる。
<古代体験> 土器などに文様をつける方法と、火をおこす労力が体験できる。特に火おこしのシミュレーターは、3種類の木材質による作業時間 の差までが体験できる精巧なもの。
<街のあゆみ> 元治2年(1865)村並みとなった小樽は勝納川河口周辺が中心地だったが、港の整備がすすむと色内川・稲穂町方面に移動する。 明治13年(1880)、日本で3番目の鉄道が開通すると、北海道の開拓物資集積拠点となり、商都小樽の形を整えはじめ、明治末 期には人口9万をこえる大都市に急成長する。こうした小樽の発展を地図や写真などの資料によって知ることができる。 <開かれた航路> 北前船(弁財船)は、春に大阪を出帆し瀬戸内海、山陰地方、そして日本海の各寄港地を経て北海道に至り、秋には大阪に帰港 する年一航海の買積船である。買積船とは、各寄港地で物品の仕入れと販売を行う船。そうした北前船は、本州と北海道を結ぶ 物資流通の大動脈を担っていたので利潤も膨大なものだった。当時の文書類や写真類そして模型などによって北前船の姿を知る ことができる。
<商都小樽> 明治末から大正期にかけての小樽は、まさに北海道を代表する商業都市に成長していた。なかでも色内町かいわいにはさまざま な銀行が軒を連ね、北海道のウォール街を形成してゆく。この当時を代表する商店3店舗を復元展示している。
<ニシン漁> 北海道の初期経済はニシン漁によってその基盤が築かれたと言えるほど重要な産業だった。ことに、小樽周辺には忍路(オショ ロ)、高島など好漁場がたくさんあり盛況をきわめ、獲れたニシンの多くは、しめ粕に加工され、重要な農作物肥料として全国 に運ばれた。そうしたニシン漁の様子を精巧に描いた「鰊盛業屏風」をはじめ、写真や漁具類、図表などで知ることが出来る。 また沖揚音頭などのニシン場で歌われていた労動歌も聞くことができる。
<生活のうるおい> 港湾都市小樽に輸入された外国商品には高級なものも多く、その愛好者も急増する。なかでも大正14年(1925)フランスから輸 入された9.5ミリメートル小型映画は翌昭和元年には小樽に入り、愛好倶楽部が結成された。
〒047-0031 小樽市色内2丁目1番20号 TEL 0134-33-2439 FAX 0134-22-2350 開館時間: 午前9時30分〜午後5時 休館日: 年末年始(12月31日から1月5日まで) 入館料: 大人100円、子供50円 当館が所蔵する昭和初期の9.5ミリフィルムを「ニシン」「鉄道」など4つのテーマで編集した映像を第一展示室内で公開している。 かつての北海道を支えた繁栄の時代の映像を楽しめる。また、平成17年4月からは第二展示室で小樽市内で撮影した植物、昆虫、鳥 類などの自然を紹介する映像の公開を始めた。季節ごとに変わる小樽の自然を紹介している。 <収蔵資料> この博物館は考古、歴史、民俗、自然など10万点を超える資料を収蔵している。その一部は毎月収蔵資料展示として紹介している。 また、1万5,000件を超える写真や絵葉書を「デジタルアーカイブ」として保管しており、当館内に設置している端末でキーワード 検索も可能。