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小郡市埋蔵文化財センター
2005.1.23(日)
福岡県小郡(おごおり)市埋蔵文化財センターは、西鉄電車大牟田線の三国が丘駅から徒歩10分ほどの所にある。改札を
出て南側へ降りていくとすぐ小郡高校がある。これに沿って歩き、高校の角を曲がって4,5分歩けばもう建物が見えてい
る。そう大きくはない建物である。
廻りは、福岡市のベッドタウンとして分譲団地の開発が進んでおり、至る所に、「XXX団地販売中」のノボリが立っている。
このセンターも三国丘陵の中にあり、廻りも造成中でその為ここに建ったのかもしれない。



1.小郡市
小郡市は南北を宝満川が貫き、流域の中央平坦地と東北台地、および西北丘陵地の3つに区域からなっている。東北台地に
は花立山(はなたてやま:標高約130m)がある。洪積層からなる標高20m前後の台地部、沖積層の河川流域平坦地に
かけては、水稲作を中心に、鑑賞樹、畜産、花き園芸などの農産地帯である。西北丘陵地帯には、標高20mから90mの
滑らかな丘陵が連なり、ため池が点在している。
「筑紫小郡」の名は、持統天皇三年六月(689年)、新羅の使者金道那を「餐応した」客館として日本書紀にみられる。小
郡市は、往古の筑紫平野の北に位置し、大宰府に近く博多へ通じる交通の要衡を占め、また小郡市中心部(向築地)に当時
の官衙跡が発掘され「小郡官衙遺跡」として国の指定を受けている。その軍事的・地理的特殊性から往時の大宰府客館所在
地、また地方官庁所在地として「小郡(おごおり)」の地名が残り、いまに伝えられている。


一ノ口遺跡 (模型)
小郡市と筑紫野市に拡がる三国丘陵の南部の丘陵部(標高30〜50m)端に位置する。小郡・筑紫野ニュータウン建設工
事に伴う発掘調査によって、縄文時代〜古墳時代を中心とする集落遺跡が検出された。住居跡や土壙内から7点の石器が検
出され、報告されている。
昭和57年度以降、数多くの弥生時代遺跡が確認されている。当遺跡の周辺は、北部が標高70〜80mの開析の進んだ痩
せ尾根が広がり、南部はその尾根から派生する丘陵が標高35〜50mの舌状のゆるやかな丘陵群をなしている。この丘陵
群には、いずれも弥生時代の集落が営まれており、膨大な数の甕棺墓、竪穴式住居跡等々が発掘され、土器石器に混じって
当時の動植物の骨・種なども出土している。道状の遺構や集落を囲む柵列もあって、当時盛行を保っていた有力なムラの一
つだったと考えられる。







2.小郡市域の遺跡
(1).旧石器時代
日本における旧石器時代というのは、その開始時期については定かではないが、日本列島に人類が出現した時点に始まり、
縄文時代が開始される1万2千年ほど前までを言う。あまりにも長い時間なので、その時期の様相はほとんど分かっていな
いが、動植物の狩猟と採集を主体とした生活だったのはほぼ間違いない。旧石器人の道具は主として石を打ち割って作った
打製石器で、これは人類の誕生以来400万年もの長い間使われたが、次第に粗雑な作りの石器から精巧な作りの石器へと
変化し、終末期になると石を磨いて作った磨製石器なども使われるようになり、縄文時代晩期・弥生時代に北九州で大流行
する。弥生時代も中期以降は、弥生文化の東進にともなって、磨製石器も西日本の各地で使用されるようになる。
小郡市内では、旧石器が三国丘陵や花立山山麓などの、比較的高地から発見されることが多いが、大坂井遺跡のような標高
14mの場所からも旧石器が発見されていて、すでにそこが生活の場であったことがわかる。このことから当時の地形は現
在とさほど変わらなかったことも判明した。津古上ノ原遺跡は、約1万5千年前の旧石器時代の遺跡で、ナイフ形土器が発
見されている。小郡市内では他にも、5,6ヶ所の旧石器遺跡があるが、隣接した朝倉郡夜須町では16ケ所の旧石器遺跡
があり、その時代の連続した集落だった可能性もある。


(2).縄文時代
旧石器時代に続く時代が縄文時代である。西欧諸国では、旧石器時代の次の時代は「新石器時代」と呼ぶことが多く、日本
の学者でも時折この表示を使う人がいるが、一般的には日本では「新石器時代」という表現はしない。それは、西欧の「新
石器時代」の定義は、磨製石器に代表される新石器を使用して、農耕や牧畜が行なわれる時代とされているからであるが、
日本では、縄文時代に磨製石器は出現するが、それに伴う農耕や牧畜はまだ始まっておらず、そこでその時代を代表する縄
文土器が使われた時代という意味で、「縄文時代」といわれる。
小郡市内の縄文時代遺跡は、最初、市北部の丘陵や台地を中心に発達したが、時代が新しくなるにつれて、宝満川流域の低
台地や湿地でも遺跡が発見された。住居跡などの生活遺構はいまだ市内では発見されていないが、干潟や三沢では狩猟用の
落し穴群が発見されている。
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遺跡名 よみ 所在地
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●上勝負坂遺跡A地点 カミショウブザカイセキ 福岡県小郡市三沢字勝負坂
・調査原因 土地区画整理 ・調査開始日 1994-01-25 ・調査終了日 1994-01-25
・報告書 苅又地区遺跡群調査報告. -- 1 平成2年度 - 5 []. -- 小郡市教育委員会, 1995-.-- (小郡市
文化財調査報告書 ; 第101,103,105,106集 . 苅又土地区画整理事業関係埋蔵文化財調査報告 ; 1-2,4,別冊).
・種別 その他 ・主な時代 縄文 ・主な遺構 落し穴状遺構 ・主な遺物
・特記事項 複合遺跡。弥生時代の土坑から弥生土器、石器。 古墳時代の須恵器、土師器、鉄器。
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●栗崎遺跡 クリサキイセキ 福岡県小郡市大字松崎・三井郡大刀洗町大字下高橋
・調査原因 県道53号線久留米・筑紫野線建設に伴う事前事業 ・調査開始日 1992-08-04
・調査終了日 1992-08-04 ・調査面積 7500
・報告書 栗崎遺跡 : 福岡県小郡市・三井郡大刀洗町所在遺跡の調査. -- 福岡県教育委員会, 1995.3. --
(福岡県文化財調査報告書 / 福岡県教育委員会 [編] ; 第120集 . 県道53号線久留米・筑紫野線関係埋蔵文化
財調査報告 ; 6).
・種別 その他 ・主な時代 縄文 ・主な遺構 風倒木痕、おとし穴
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<縄文土器>
紀元前一万年頃、世界最古の土器と言われているのが縄文土器である。炭素C14年代法で、この土器が世界でも最古とな
る事が確認されたが、測定当初はあまりにも古いと言うことで測定値に疑問も出た。しかし測定の資料数も増加し、今日そ
の年代は世界中でほぼ認められている。その土器は貝塚から出土することから貝塚土器と呼ばれた時代もあったが、表面に
網目でつけた文様を帯びる特徴から、今では縄文土器という名前が浸透している。縄文土器は食物の調理法を増やし、保存
を可能にして、人々の生活を豊かにした。縄文土器は、土器が発明されてから農耕が開始される段階までの間の土器をまと
めた呼び方であるが、必ずしも表面に縄文があるとは言えない。むしろ九州地方では縄文で飾らない土器の方が多い。



(3).弥生時代
弥生時代になると、狩猟を中心とした縄文社会から、稲作農耕を中心とした社会に変化する。また鉄器や青銅器などの金属
器、石庖丁(穂積み具)などの磨製石器の使用、織物技術の進歩など、大陸文化の影響も大きく受けることになる。つまり、
弥生時代を開始した人々は、中国大陸や朝鮮半島からの渡来人と言っても良い。勿論、渡来人の教えに従い、弥生文化の担
い手となった、縄文時代からの北九州人たちも大勢居たことだろう。
弥生文化の門戸となった福岡平野に近い小郡市も例外ではなく、朝鮮系無文土器の大量出土や朝鮮半島で製作された多鈕細
文鏡の出土など、大陸や半島とは特に密接な関係があったようである。弥生時代前期から中期にかけての小郡は、三国丘陵
一帯にかけて繁栄していたが、耕地や居住地の拡大のためか、やがて広い平野部へと進出していったようである。
弥生土器が、東京都文京区弥生2丁目で出土した、無紋の赤褐色の土器に付けられた名前なのは周知の事実であるが、小郡
市の西島遺跡では、熱で変形した土器が発見され、近くの穴から焼けた粘土のかたまりがたくさん出土したことから、その
場所は弥生土器を焼いた跡ではないかと考えられている。
弥生時代の石器は、縄文時代の伝統を引く打製の石銭などもあるが、稲作農耕とともに伝えられた石庖丁などの大陸系磨製
石器が出現することに特徴がある。また、戦闘に用いるための武器専用の石剣などの石器や、鉄器や青銅器の形をまねた石
器もみられるようになる。弥生時代になると鉄器が使われるようになるが、中期までの主流は石器で、後期になると石器が
消滅する。石器は人類が生まれて長い間道具や武器として利用されてきたが、しかし鉄は、石より鋭利で造形に柔軟性があ
り丈夫なため、やがて石器は鉄器にとってかわられた。



弥生時代は稲作農耕を中心とした生産経済といわれるが、勿論米のみを食べていたわけではなく、魚・動物の肉・木の実な
ど、縄文時代と同様に狩猟・採集も行なっていた。一ノロ遺跡や津古土取遺跡の貯蔵穴からは、キジやイノシシなどの骨や、
淡水産のカワニナ、マルタニシ、マッカサガイ、オオタニシなどの貝類など、近隣で採れる食物以外に、海水産のアサリ、
カキ、オキシジミ、ウミニナ、ボサツガイ、レイシ、ヘナタリ、サンゴなども出土し、内陸にある小郡と、有明海や玄海難
などの海辺の地域との交流があったことがわかる。



<朝鮮系無文土器>
紀元前4−2世紀頃、朝鮮半島の中部から南部にかけての地域で使われた土器と同じような土器が、弥生時代前期から中期
の初めにかけて、三国丘陵の弥生時代の遺跡から大量に出土した。津古土取遺跡からは、松菊里土器(中期無文土器)が、
横隈鍋倉遺跡や三国の鼻遺跡などの集落からは、後期無文土器が多量に出土した。後期無文土器は、口の部分の断面が丸い
甕(断面円形粘土帯甕)や把手の部分が牛の角を合わせたような形をした壼(組合式牛角形把手付壼)に特徴がみられる。
朝鮮系無文土器が出土するのは極めて限られた地域で、青銅器などが集中して出土するところの近辺で出土するようである。




集落内に掘られた、直径と深さがともに40cm弱の小さな穴から発見された。鏡は2面をきちんと合わせ、水平に置かれ
ていた。穴は土器で蓋がされ、土器には穴が開いており、その穴を塞いだと見られる土器片もあった。日本で始めて、多鈕
細文鏡が2面同時に出土した遺跡である。この小さな穴は墓ではなく、多鈕細文鏡が副葬品である北部九州の他の遺跡から
の出土とは大きな違いがある。むしろ近畿地方の「穴に埋納」の出土に似ている。北九州地方でも単なる穴に青銅器を埋納
する習慣があるにはあるが、それはこの時代から100年以上後の事であり、北九州ではその後も、青銅品は副葬品として
墓に遺体と一緒に納めるやり方が続く。近畿地方の、銅鐸や銅矛をただの穴に埋めるやり方と似た、この小郡若山遺跡のや
り方は異色である。
<多鈕細文鏡>(たちゅうさいもんきょう)
朝鮮半島と日本の遺跡で発見される青銅の鏡で、朝鮮半島で29個、日本では福岡、佐賀、山口で6面、大阪、奈良、長野
で3面の、計9面が今までに出土している。この鏡は今から約2200年前(紀元前200年頃)に朝鮮半島で製作され、
当時弥生時代であった日本列島にもたらされたものと考えられる。弥生人にとって権威の象徴であり、またシャーマンの祭
祀道具でもあった日本列島の鏡は、やがて中国が「漢」として統一されると、前漢・後漢の鏡に取って代わられ、姿を消し
てしまう。これらの前漢鏡、後漢鏡は、その殆どが北九州域内においてのみ普及し、畿内には渡っていない。
古代鏡に付けられた名称は、その鏡の持つ特徴を示している。多鈕とは、通常鏡の背面にある鈕(ちゅう:紐を通す穴)は
一つだが、これが複数あるものを多鈕と呼ぶ。多鈕細文鏡は、通常2,3個の鈕を持つ。また細文(さいもん)とは、何千、
何万という細い線の文様が有ることから付けられている。この鏡は、このような細い線を描くことが可能な鋳型で製作され
たと考えられ、他の鏡の表が殆ど凸面なのに対して、この鏡は凹面になっている事も大きな特徴である。
これまでに発見されている多鈕細文鏡は以下のようなものである。

1.村籠遺跡(ほんそんごもりいせき)
佐賀県佐賀郡大和町。弥生時代中期。墓地の大人用甕棺墓から出土。副葬品。鏡の直径10.5cm。
2.宇木汲田遺跡(うきくんでんいせき)
佐賀県唐津市。弥生時代前期〜後期。墓地の大人用甕棺墓から出土。副葬品。鏡の直径10.5cm。
3.吉武高木遺跡(よしたけたかきいせき)
福岡県福岡市早良区。弥生時代前期〜中期。墓地の大人用木棺墓から出土。副葬品。鏡の直径11.1cm。
4.梶栗浜遺跡(かじくりはまいせき)
山口県下関市。弥生時代前期〜中期。墓地の大人用石棺墓から出土。副葬品。鏡の直径8.8cm。
5.名柄遺跡(ながらいせき)
奈良県御所市。弥生時代中期。祭祀土抗穴。祭祀用品。鏡の直径15.6cm。(一部欠損)
6.大県遺跡(おおあがたいせき)
大阪府柏原市。弥生時代中期〜後期。出土遺構は不明。用途も不明。鏡の直径21.7cm。(一部欠損)
7.社宮司遺跡(しゃぐうじいせき)
長野県佐久市。弥生時代中期。出土遺構は不明。用途も不明。鏡の直径推定10.0cm(鏡の断片のみ)。
8.小郡若山遺跡(おごおりわかやまいせき)
福岡県小郡市。弥生時代中期の集落跡のビット(小さな穴)から出土。祭祀用と思われる。
鏡の直径、1号鏡は15.3cm。2号鏡は16.0cm。

<鏡はどのように使われたのか?>
現在我々が見る古代の鏡は、その殆どが墓の副葬品として納められていた物を見ているのであって、それが副葬される前は
どういう使い方をされていたのかという事まではわからない。鏡は本来、女性が身の回りの(特に顔の)身だしなみを整え
るのに用いられるものであって、本場の中国で発掘される鏡の大半は、その目的に沿った小形の鏡である。殆どが手のひら
に乗る大きさで、日本のような大型の鏡はまれである。
日本の鏡は本来の目的を離れ、次第に大型化して、純粋に祭祀用の道具として使われるようになったものだろうと思われる。
古事記には、鏡を榊の枝につるすという表現が見える事から、祭祀に当って木の枝に吊したり、どこか高いところに置いて
みんなから見えるようにして、祭祀を行ったであろうと言うことは容易に想像がつく。
ここに一つのヒントがある。
それは中国は東北部の、顎倫春(オロチョン)族で用いられている鏡の用法である。顎倫春族には、祭祀行事に神と人間の
交信の仲立ちをする司祭者(シャーマン)がいる。その衣装には、鈕に通した紐(ひも)で鏡が下げられ、光り輝く鏡は神
との交信を行う最も重要な道具として使用された。我が国の古代においても、シャーマン的な性格が強い支配者達は、この
ような使い方をして自らの権威を高めたのかもしれない。






弥生時代の、この地方の著名な遺跡としては、約2000年前(弥生時代中期)の、大板井遺跡(大集落)、小郡若山遺跡
(多鈕細文鏡)、横隈狐塚遺跡(共同墓地)、津古東宮遺跡(3連甕棺)などがある。

●津古内畑遺跡(つこうちばたけいせき)
弥生時代前期を主体とする遺跡群。昭和43〜48年(1968〜73)に、福岡県・小郡市の両教育委員会が発掘調査した。旧
石器時代、縄文時代晩期、弥生前期・中期、古墳時代、平安後期〜中世にわたる各時代の遺構・遺物が発見された。弥生の
遺構は、丘稜の南斜面にあるが、その中程にV字形断面の幅3m以上の環濠、貯蔵穴260、竪穴住居跡13、甕棺墓16,
木棺墓17,土抗墓7などが丘陵全体に渡って分布している。土器の他、多数の石器が発見され、なかでもサヌカイトのス
クレパーが著しく多い。この遺跡から谷一つへだてた「みくにの団地」造成時に、弥生前期の袋状貯蔵穴の一つから、大量
の炭化米が出土した。
●三沢遺跡(みさわいせき)
県指定史跡。九州縦貫自動車道の建設のため、昭和46(1971)に県教育委員会が予備調査した。弥生時代の遺構は四つの
尾根にまたがっていた。全ての尾根から竪穴住居跡と袋状貯蔵穴が見つかり、主脈の丘の北端には、防御用と見られる溝が
あった。遺構の周辺からは、弥生土器、磨製石器群が、貯蔵穴からはコメ・マメ・イチイガシの実なども検出された。三沢
遺跡は、調査された範囲内でも四つの高地性集落、古墳時代の集落、墓地が認められ、県の指定文化財となった。三沢はそ
の名のとおり、大小の沢や丘が入り組み、丘には弥生時代、古墳時代の集落、墓地が密集し、昔から人々の生活に適してい
たことがうかがえる。近接するレクセンター(現在はなし)内の丘にも、当時の社会のしくみや生活を知るうえで大変貴重
な弥生時代の集落や古墳時代の古墳が眠っている。
●ハサコの宮遺跡(はさこのみやいせき)
三沢遺跡の西南500mの所にある。「小郡市字三沢小字ハサコの宮」の丘陵上にある。
●小郡若山遺跡(おごおりわかやまいせき)
以前から知られていた国指定史跡の、「重要遺跡確認調査」として、最近では平成10年(1998)に再調査された。弥生時
代の集落跡が調査され、掘立柱建物、土坑、溝、ピットなどが確認された。新たに、弥生土器、土師器、陶磁器なども検出
し、弥生時代の掘立柱建物を検出したのが成果であった。この遺跡は「多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)が2面一度
に出土したことで知られ、それは、集落内に掘られた、直径と深さが40cm弱の小さな穴で発見された。鏡は2面をきち
んと合わせ、水平に置かれていた。穴は土器でふさがされ、土器には穴が開けられていた。また、土器の穴をふさいだと考
えられる土器片が出土した。日本で初めて2面同時に発見された遺跡である。この小さな穴は墓ではなく、多鈕細文鏡が墓
の副葬品である北部九州や山口地方の、今までの発見例とは大きな違いがあった。むしろ近畿地方の「穴に埋納(まいのう)」
した状態によく似ていたのである。確かに九州でも、青銅器を穴に埋納する風習はあるが、それはこの鏡が埋められてから
100年以上も先の話で、北部九州ではその後も、鏡は有力者、権力者の副葬品として扱われ続ける。小郡若山遺跡の発見
状態は、当時の北九州においては異色である。
●横隈山遺跡
先土器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代等の遺物がある遺跡として、この遺跡は、早くから知られていた。調査の結果、
先土器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代等の遺物が発見されたが、遺跡の大部分は弥生時代のものであり、広大な面積
を占めていて、その内容は弥生時代の集落を考えるうえで、貴重な資料であるため、前方後円墳と、集落跡が公園敷地内に
保存された。








(3).古墳時代
この地方の古墳としては、4世紀ごろの津古生掛古墳、三国の鼻1号墳、津古1・2号墳(前方後円墳)などが著名であり、
6世紀ごろの古墳時代遺構として、三国丘陵・花立山麓に群集墳がみられる。小郡字川原田の小郡川原田遺跡(オゴオリカ
ワラダイセキ)では、平成5年(1992)のトラックターミナル建設に伴った調査で、周溝をもつ台地から墓と見られる遺構
が発見され、須恵器、土師器に混じって、弥生時代中期前半の土器の散布が認められた。













その他の遺跡
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遺跡名 よみ 所在地
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●井上廃寺 イノウエハイジ 福岡県小郡市井上字村囲
・調査原因 重要遺跡確認調査 ・調査開始日 1995-09-27 ・調査終了日 1995-09-27 ・調査面積 1036
・報告書 井上廃寺 : 福岡県小郡市井上所在古代寺院跡の調査. -- 1. -- 小郡市教育委員会, 1998.3. --
(小郡市文化財調査報告書 ; 第122集).
・種別 集落、墓 ・主な時代 弥生 ・主な遺構 住居跡、甕棺墓 ・主な遺物 土器、石器、甕棺
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●井上薬師堂遺跡 イノウエヤクシドウイセキ 福岡県小郡市大字井上字南薬師堂
・調査原因 九州横断自動車道建設に伴う調査 ・調査開始日 1984-08-17 ・調査終了日 1984-08-17
・調査面積 8800
・報告書 小郡市大字井上所在の井上薬師堂遺跡の調査 / 児玉真一 ; 佐々木隆彦編. -- 2. -- 福岡県教育委員会,
1996. -- (九州横断自動車道関係埋蔵文化財調査報告 / 福岡県教育委員会[編] ; 38).
・種別 集落 ・主な時代 弥生
・主な遺構 大溝、掘立柱建物、土壙、竪穴住居、井戸、周溝状遺構、ピット群
・主な遺物 陶磁器、土師器、須恵器、弥生土器、鉄器、石器、土製品
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●小郡正尻遺跡 オゴオリショウジリイセキ 福岡県小郡市小郡字正尻
・調査原因 九州産交運輸株式会社小郡トラックターミナル建設関係事業に伴う事前調査
・調査開始日 1992-05-27 1994-09-27 ・調査終了日 1992-05-27 ・調査面積 1961
・報告書 福童山の上遺跡2・小郡正尻遺跡2. -- 小郡市教育委員会, 1995. -- (小郡市文化財調査報告書 ;
第100集 . 九州産交運輸株式会 社小郡トラックターミナル建設事業関係埋蔵文化財調査報告).
・種別 集落 ・主な時代 弥生 ・主な遺構 ピット、旧河川、井堰、土壙、溝
・主な遺物 弥生土器、土師器、須恵器、瓦、石器、青銅器、土製品 ・特記事項 墨書土器3点
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●小郡中尾遺跡 オゴオリナカオイセキ 福岡県小郡市小郡字中尾
・調査原因 店舗建設 ・調査開始日 1994-06-06 ・調査終了日 1994-06-06 ・調査面積 2500
・報告書 小郡中尾遺跡 : 福岡県小郡市小郡所在遺跡の調査報告. -- [1], 2. -- 小郡市教育委員会, 1988. --
(小郡市文化財調査報告書 ; 第41,110集).
・種別 集落跡 ・主な時代 弥生
・主な遺構 住居跡、掘立柱建物、土壙、甕棺墓、土壙墓、不明遺構、ピット
・主な遺物 弥生土器、鉄器、ガラス玉
・特記事項 弥生時代中期中頃前後の鉄器が多数出土。掘立柱建物は時期不確定。
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●大板井遺跡 オオイタイイセキ 福岡県小郡市大板井字原口
福岡県小郡市大板井字日渡
福岡県小郡市大板井字内古川〜字宇籐町
・調査原因 個人の住宅建設 ・調査開始日 1989-12-08 1998-05-18 ・調査終了日 1989-12-08
・調査面積 572
・報告書 大板井遺跡 : 福岡県小郡市大板井所在遺跡の調査報告. -- 1 - 15. -- 小郡市教育委員会, 1981-. --
(小郡市文化財調査報告書 ; 第11, 13, 14, 22, 30, 42, 65, 76, 127, 130, 132, 133集).
・種別 集落 ・主な時代 弥生
・主な遺構 住居跡、土壙、土壙墓、甕棺墓、土壙墓、祭祀土坑、溝(古墳以降)、井戸、掘立柱建物
・主な遺物 弥生土器、土師器、須恵器、鉄器、石器、青磁、赤色顔料 ・特記事項 弥生中期前葉 鹿の線刻
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●大崎中ノ前遺跡 オオサキナカノマエイセキ 福岡県小郡市大崎字中ノ前
・調査原因 都市計画街路原田・大崎線 ・調査開始日 1995-06-15 ・調査終了日 1995-06-15 1995-11-06
・調査面積 560
・種別 集落 ・主な時代 弥生
・主な遺構 住居跡、掘立柱建物、土壙、祭祀土壙、溝、周溝状遺構、井戸、ピット
・主な遺物 弥生土器、石製品、瓦器 、土師器、須恵器、弥生時代木製品、鉄器
・報告書 大崎中ノ前遺跡 : 福岡県小郡市大崎所在遺跡の調査報告. -- 2. -- 小郡市教育委員会, 1998.3. --
(小郡市文化財調査報告書 ; 第123集).
・特記事項 弥生時代中期の土壙より、漆塗り木製品をはじめとする木器が出土
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●大崎東柿添遺跡 オオサキヒガシカキゾエイセキ 福岡県小郡市大崎字東柿添
・調査原因 市道改良 ・調査開始日 1995-09-01 ・調査終了日 1995-09-01 ・調査面積 170
・種別 集落 ・主な時代 弥生 ・主な遺構 土壙、溝
・主な遺物 弥生土器、土師器、須恵器、瓦器、鉄滓
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●北山遺跡E地点 キタヤマイセキ 福岡県小郡市三沢字北山
・調査原因 土地区画整理 ・調査開始日 1993-02-19 ・調査終了日 1993-02-19 ・調査面積 6890
・報告書 苅又地区遺跡群調査報告. -- 1 平成2年度 - 5 []. -- 小郡市教育委員会, 1995-. -- (小郡市文化財
調査報告書 ; 第101,103,105,106集 . 苅又土地区画整理事業関係埋蔵文化財調査報告 ; 1-2,4,別冊).
・種別 集落跡 ・主な時代 弥生 ・主な遺構 土坑、住居跡 ・主な遺物 弥生土器
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●小板井ぐうてさん遺跡 コイタイグウテサンイセキ 福岡県小郡市小板井字合の元
・調査原因 河川災害関連事業に伴う緊急調査 ・調査開始日 1998-04-01 ・調査終了日 1998-04-01
・調査面積 140
・報告書 小板井ぐうてさん遺跡. -- 小郡市教育委員会, 1998.11. -- (小郡市文化財調査報告書 ; 第129集).
・種別 墓 ・主な時代 弥生 ・主な遺物 甕棺 ・特記事項 弥生中期初頭〜前葉
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●津古大林遺跡 ツコオオバヤシイセキ 福岡県小郡市津古字大林
・調査原因 県道原田駅大崎線道路改良 ・調査開始日 1993-04-26 ・調査終了日 1993-04-26 ・調査面積 550
・報告書 津古遺跡群 : 福岡県小郡市津古所在遺跡群の調査. -- 1, 2. -- 小郡市教育委員会, 1993-. --
(小郡市文化財調査報告書 ; 第84,92集).
・種別 水田跡 ・主な時代 弥生 ・主な遺構 水田遺構
・主な遺物 弥生土器、石器、墨書土器、性格不明、木製品、杭(多数)
・特記事項 プラントオパール調査実施
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邪馬台国大研究・ホームページ /博物館めぐり/小郡市埋蔵文化財センター