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2002.5.4 長野県上水内郡信濃町野尻

  

	
	長野県の北端に位置する信濃町は北信五岳に囲まれた風光明媚な高原盆地帯である。西には黒姫高原、東側には古くから避
	暑地として名を知られる野尻湖がある。野尻湖周遊道路はほとんどが静かな林間コースだが、湖上ではさまざまなウォータ
	ースポーツで賑わっている。野尻湖発掘により我が国最古の「野尻湖文化」が明らかになり、旧石器文化のロマンにたっぷ
	り浸れる町である。



	
	野尻湖は黒姫山の麓にあり、斑尾山の火山活動で堰き止められて出現した湖である。湖水面の海抜は654m、面積3.7
	k平方m、最大深度38.5mを測る。その形から芙蓉湖とも呼ばれている。


 

	
	ナウマンゾウ【 Paleoloxodon naumanii】は南方系、オオツノジカは北方系の動物で、これらの大型動物は、最後の氷河期
	(正確には直近の氷河期。"最後"ではない。氷河期はこれからもまだ訪れる予定で、現代は前の氷河期と次の氷河期の間に
	ある第四"間氷期"である。)であるウルム氷期(最終期は28,000年前〜18,000年前)に、大陸から陸橋をわたって日本列島
	へやってきた。氷期には海水面は今よりも数百m下がっており、日本列島の両端は大陸と陸続きだったので、これらの大型
	ほ乳類を追って人間もやってきたと考えられる。
	しかし、最新の学説では対馬海峡は大陸とつながっていなかったという説が有力なので、そうなると氷隗の上を渡ってきた
	という事になる。ナウマンゾウは、日本を代表する氷河時代のゾウで、化石が発見されている場所は、日本と中国の一部に
	約180箇所以上が確認されている。そのなかで最も多くの化石が見つかるところのひとつが野尻湖である。
 

	
	上左がオオツノシカの復元像。右が野尻湖のナウマンゾウの復元像である。いずれも実物大。

	オオツノジカは、手のひらを広げたような形の非常に大きな角をもった大型のシカで、寒冷な気候を好み、ナウマンゾウと
	ほぼ同じ時代の、北海道から九州の日本列島各地に広く生息していた。現在日本に住んでいるシカより大型で、地面から肩
	までの高さが1.7mにもなる。角は、枝分かれした角が広く平らにつながって、手のひら(掌)を広げたように見えるこ
	とから、掌状角と呼ばれている。左右の角の間の長さも1.8mで、体のサイズと比べても大きなものだとわかる。

	ナウマンゾウは、今までに見つかっている化石から、地面から肩までの高さが、大きいもので約2.7mだったと推定され
	ている。アフリカゾウ、アジアゾウよりも体は少し小さかったようだが、野尻湖発掘では長さが2.4m、太さが15cm
	もある牙の化石も見つかっていて、アジアゾウなどと比べて非常に立派な牙を持っていた。上の写真のように、ひたいの部
	分に出っ張りがあって、まるで帽子をかぶっているような格好をしている。日本で見つかっているナウマンゾウの背までの
	高さは約2m前後だが、野尻湖のものは2.3m〜2.7mなのですこし大きいことがわかる。また、オスのキバは長くて
	太く、大きく曲がっていることも大きな特徴である。
	野尻湖発掘はナウマンゾウの臼歯が野尻湖畔で偶然見つかったことから始まったが、湖底から産出する哺乳類化石のほとん
	どがナウマンゾウのものであり、なぜナウマンゾウだけがこのように多く産するのかは明らかではない。

 

	
	1964年3月の第3次発掘は、人類とナウマン象の関わりを明らかにした。ナウマン象と、オオツノジカの化石とともに
	旧石器の剥片と加工痕のある化石骨の出現を見たからである。ナウマン象の牙とオオツノジカの掌状角が並列して出土し、
	それには人為的配置を思わせるものがあった。牙を「月」に、掌状角を「星」にみたてて「月と星」と呼ばれている。
 

 

	
	ナウマンゾウの牙は上顎第2切歯で、一生伸びつづける。1m前後と大きいこともあって、完形品は臼歯に比べてかなり少
	なく、こなごなの破片(切歯片)として見つかることが多い。 
 

	【発掘風景(下)】

	昭和23年(1948)秋、湖畔を散歩していた地元の加藤松之助氏が、岸辺で何やら白い石器のようなものを拾った。これが
	ナウマンゾウ【 Paleoloxodon naumanii】の臼歯とわかって大騒ぎとなる。1962年に第一回の野尻湖発掘調査が開始さ
	れ、1981年まで8次にわたった調査には、希望する参加者はすべて受け入れられ、学者、学生、一般人が混在した発掘
	調査となり、かつ地質学、植物学、考古学など関連諸学問の領域を統合した画期的な学術調査となった。

	現在も「野尻湖友の会」という団体があって、全国の友の会に入会すれば誰でも発掘に参加できる。ナウマンゾウ博物館に
	展示してある化石や石器などは、この友の会の会員が発掘したものも多く、ラベルには発見者の名前が書いてあり、これは、
	世界的にもユニークな発掘方法と言える。
 

 

ナウマンゾウの臼歯。じかに触って感触を確かめるコーナーもある(下右)。

 



 

 
	
	ナウマン博士はドイツの地質学者で、明治政府の招きで東京開成学校鉱山学科の教授として、明治8年(1875)年7月1日
	弱冠20才で来日した。10年間、東京大学地質学教室の初代教授となって地質家を養成し、日本列島の地質調査に従事し
	た。日本初の本格的な地質図を完成させるなど、我が国近代地質学の基礎を作り、明治の殖産興業に大いに貢献した。博士
	の調査は北海道を除く日本の全地域で行われ、調査距離は1万kmにもおよんだ。当時は、等高線のある地形図はなく、地
	図としては伊能図の海岸線の輪郭図のみだったので、測量しながら地質調査をするという大変な仕事だったようだ。フオッ
	サマグナを発見したのも博士の業績である。ナウマンゾウの名前は、日本でゾウの化石をはじめて研究した博士の名前にち
	なんでつけられた。 「先史時代の日本の象」「日本群島の構造と起源について」などの論文を残し、明治18年(1885)
	年7月12日、30才でドイツへ帰国した。

 



 



 



	
	ナウマンゾウと同時期、野尻湖には他にも多くの動物が住んでいた。特にオオツノシカの化石はナウマンゾウの次に多く見
	つかっている。野尻湖の発掘では、上の2種類以外にもさまざまな動物の化石が出土しており、今も日本に住んでいるニホ
	ンジカの角、ノウサギやネズミの仲間、カワウやヤマドリ、渡り鳥のガンの仲間であるヒシクイなど、鳥の化石も出土し、
	今では本州に住んでいないヒグマの腰骨といった大型骨の化石も見つかっている。

	これらの大型ほ乳類動物と接した旧石器時代人(野尻湖人)の遺跡が、湖の西岸に突出した「立が鼻(たてがはな)」と呼
	ばれる小さな岬の周辺で発掘されている。立が鼻遺跡と言い、岬の南側湖岸から湖底にかけて広がっている。ここから、確
	実な人工の遺物が約160点出土している。


 

	【野尻湖文化の骨器】

	尖頭器、ナイフ形石器、彫刻器、スクレイパー(皮はぎ)、錐器、石刃、骨製ナイフ、骨製クリーヴァー( ナタ )、不定形石
	器、石核、チップ、剥片、骨角器、加工骨片、加工木片、礫器などなど、多くの旧石器時代資料が出土しているが、骨角器、
	加工骨片、加工木片などが石器と一緒に出土するのは、他の旧石器時代遺跡には殆ど見られず大変珍しいものである。ナウ
	マンゾウの化石の散らばり方も自然ではなく、4万年前の野尻湖人(旧石器人類)たちは、ここでナウマンゾウを解体して
	いたのではないかと思われる。
	そして、そのままそれが野尻湖畔に残されたものだろう。骨器を特徴とする文化を「野尻湖文化」とよんでいるが、今から
	約4.8万年前から3.3万年前の文化である。

 

 
	
	野尻湖から見つかっているナウマンゾウの化石は、何体分もの骨がバラバラで見つかり、まだ1頭分の骨全体がまとまって
	は出土していない。これまでに、歯や牙、手足の骨や背骨、ろっ骨、肩や腰の骨など、体の色々な部分の骨が発見されてい
	るが、頭骨はすべて破片でしか見つかっていない。これは野尻湖の化石の大きな特徴である。しかもどこかが破損している
	骨や、破片の状態になっているものが多い。一方そうした中で、複数の地層から、元々は同じ一体の動物の骨ではないかと
	推定される化石が散らばるように見つかっている。これもなぜそうなったのかの原因はわかっていない。上右のナウマンゾ
	ウ頭部化石は千葉県で出土したもので、これほど完全な形で出土したのはきわめて希であり、約12万年前のものとされて
	いる。通常は東京大手町の国立科学博物館にある。



 



 


	
	3〜5万年前の野尻湖には、ナウマンゾウとその他の大型哺乳動物、そしてそれを狩る人間たちが同所に暮らしていたと考
	えられている。人類の化石はまだ見つかっていないが、彼らが残した道具は人類がかつて野尻湖でどんな生活をしていたか
	をわれわれに伝えている。野尻湖人の道具の特徴は、同年代のほかの遺跡と比べて骨器が多いことであるが、勿論石器もふ
	んだんに道具として使用していた。年代的には中期旧石器時代と後期旧石器時代が連続して存在し、道具の変遷が詳しくわ
	かる遺跡としても期待されている。

 


	
	出土した骨角器のうち、長さ16cmの象牙の加工品が注目される(上)。ナウマンゾウの牙の突端部分を用いたもので、
	中央に牙の中心にまで達する削りこんだくびれを有し、他方が欠損している。用途ははっきりしないが、大陸の旧石器時代
	にビーナス像があることから、これは「ビーナス」ではないかと推定されている。また、オオツノシカの長骨製の尖頭器の
	ほか、ナウマンゾウの骨を加工したものもある。

 
	
	野尻湖西岸には、旧石器後期後半(末期)の杉久保遺跡や仲町遺跡があるが、この時代には既にこれらの大型動物は絶滅し、
	遺跡に暮らした人間達が野山でナウマンゾウに遭遇することはなかった。


	【博物館案内】
	入館料: 一般 500円 小・中学生 300円
		団体(20人以上)   一般 450円 高校生 350円 小・中学生 260円
	所在地: 〒389-1303 長野県上水内郡信濃町野尻287-5
	電話 : 026(258)2090
	交通 : JR信越本線黒姫駅又は上信越自動車道信濃町IC下車 国道18号線野尻湖入口
	休館日: 4・7・8月をのぞく月の末日、11月30日〜3月19日(冬期間休館) 冬期も平日に限り事前に連絡があれば見学できる。


	
	昭和44年(1969)7月26日、北海道広尾郡忠類村字忠類で農道工事中、側溝堀の作業中に象の臼歯が2個発見された。
	十勝団体研究会が行った緊急発掘によると、臼歯の産出した道路側溝から路面の部分にかけて、切歯(牙)2本と残りの臼
	歯2個、さらに左上腕骨、左尺骨、左撓骨、左大腿骨など続々とナウマン象の化石が出現した。象1頭分の化石が埋没して
	いるかもしれないというニュースで全国から150名にも及ぶ研究者、教師、学生らが集まって発掘調査が開始された。

	その結果、象の化石を含む地層は、地表から約10m下の泥炭層で、その上を火山灰のローム質粘土層、そして厚い砂礫層
	が覆っていた。2年間にわたる発掘の結果、頭骨を除く、四肢骨、寛骨などの骨格の主要部分47点の化石が発掘された。
	これは全骨格の約7,8割にあたるもので、ナウマン象のほぼ全身骨格の復元が可能となった。産出化石47点には、第3
	大臼歯1点が含まれていたが、これは別個体のものと考えられ、まだ、周辺に他のナウマン象が埋没している可能性を示唆
	するものであった。
	忠類産ナウマン象は、ほぼ埋没したままの状態で発掘され、しかも、化石の突出部分の保存もよいので研究上貴重で有効な
	標本となった。年代的には、更新世後期(約12万年前)と考えられている。復元された全身骨格像は忠類村のマウマンゾ
	ウ博物館にある。



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