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ITO Historical Musieum. Ancient city ITO in Fukuoka pref.




伊都歴史資料館は、福岡県前原市にある。玄関の脇には、伊都国が生んだ偉大な在野の考古学者「原田大六」氏の銅像がたっている。学会では、その強烈な個性と論客に対する罵詈雑言とも言える攻撃で、あまり支援者も居ない孤高の研究者であったがその業績は大きい。 平原・三雲遺跡をはじめとして、旧糸島郡内の発掘調査に彼の果たした仕事の成果は目を見張るものがある。郷土の大偉人なのだ。
資料館に入って上を見上げると、二階から古代人に威嚇されるが、学会に対して絶えず牙を剥いていた郷土の偉人を彷彿とさせる構図である。

この博物館は、旧糸島郡(伊都国)内の弥生遺跡から出土した遺物、とくに平原遺跡から発掘された我が国最大経の内行花文鏡を中心とする鏡の展示が多い。3つの展示室に分かれているが、第1展示室は平原遺跡からの出土資料を集めてある。第2展示室にその他の考古資料、第3展示室が古文書室となっている。 この建物の前は庭園と駐車場になっているが、駐車場の隅に民俗資料館もあり、江戸時代から現代までの農具・漁具等の民俗資料が展示されている。
庭には、中国社会科学院の王仲殊氏の筆になる「伊都懐古」という石碑も建てられている。

糸島地方は古来より気候温暖で海山が近く、対馬・壱岐と違って農業には適した場所である。何かあればすぐ大陸へ逃げ帰るのにも便利で、中国・韓国からの使者が常駐する都としては最適な場所であろう。伊都国は、当時の先進国の文化がまず日本に上陸する最初の都市だったのである。





【第1展示室】−平原遺跡出土資料−

展示室に入ると大きなパネルで、原田大六氏の発掘作業中の写真が掲げてある。




		このバラバラになった鏡を原田氏は一人で復元した。しかし上の説明にもあるように、どうしても見つからない破片も多くあった。
		一体どこに眠っているのか? 又、どうして埋葬の前に破壊されていたのか? 原田氏も含めて、未だこの問いに答えられた者はいない。

		平原遺跡からは、すぐれたガラス製品も出土している。メノウの首飾り(下左)やコバルトブルーの勾玉(同右)は、2000年近い時
		を隔ててもなおすばらしい輝きを秘めている。









 










【第2展示室】−糸島地方の考古資料−

 

前原市浦志遺跡出土の小銅鐸(下左)と、水鳥形土製品(下右)前原市東下田遺跡出土。
 

 






		下の壺形土器は、高さ59cmで1978年に三雲遺跡から発掘されたものであるが、発掘から20年後の今年(1998:平成10年)、福岡県教育
		委員会から鑑定を依頼された国立歴史民俗博物館の平川南教授はこれを文字であると発表した。
		「この土器に記銘されたものは明らかに文字であり、・・・(略)・・・、一つの解釈として「竟」の可能性を想定できる。(略)」
		この記事は各紙に記載され大きな反響を呼んだ。3世紀の土器に漢字が書かれていたという事になると、当時既に、少なくとも伊都国
		には漢字を読み書きできる者が居たという事になる。我が国漢字文化の起源を探る上でも貴重な資料となる。
		もし教授の言うようにほんとに文字であれば、渡来した中国人がもたらしたものに違いないが、どうも私自身はこれが文字だとはどう
		しても思えない。更に、ほんとに文字が使用されていたのなら、もっとまともに書いた資料が他にも発掘されてしかるべきではなかろ
		うか? これだけでこれを文字だと判定するのはちょっと危険な気もする。

 




【第3展示室】−古文書室−

ここには糸島地方に残る江戸時代の古文書を中心に、絵図、考古学文献などを収集・展示してある。
下右は、小田部隆叙著「筑紫國神籠石」に書かれた「雷山神籠石北水門絵図」。
 






第77回歴史倶楽部例会 2003.10.13(月) 魏志倭人伝の旅

 



 







 





 

 

 

 

 






		前回、前々回訪問時にはもっと沢山の鏡があったように思った。河原さんも同じ思いだったようで、「なんか鏡が全然ないね。」
		帰りに窓口のおばちゃんに聞いたら、定期的に収蔵庫に戻しているのだそうで、「そのまま出しっぱなしだと痛みが早いんです
		よ。」と言う。だとすると、博物館巡りも当たりはずれがあると言うことになる。また幾つかの鏡は、奈良の国立文化財研究所
		に修理に出してあった。



 


		上左の解説を読むと、なんと断定的な文章だろうかと首をかしげる。確かに郷土の遺跡の意味を啓発したい意図はわかるが、こ
		うまで「見てきたように」解説してもいいものだろうか。それともこれは原田大六氏の文章だろうか。それなら分からなくもな
		い。

 

 



 



 







 

 


		幾ら考えてもこれが「鏡」だとはどうしても思えない。しかし、絵や模様には見えないし、何かの記号とも違うし、何かの漢字
		を見て、真似て書いてみたというところかもしれない。

 

 

上右の形をした須恵器はあちこちにあるが、ここのは通常の3倍はある大きさだ。デカい。



 

 







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