山陽本線「倉敷駅」から、観光客が押し寄せる倉敷のmain streetまでは歩いて10分ほどである。濠や土蔵造りの蔵や、 有名な「大原美術館」等が立ち並ぶ「倉敷景観保存地区」の中に、倉敷考古館も建っている。
倉敷考古館は昭和25(1950)年11月、約200年あまり前の(江戸時代後半)、土蔵づくりの米倉を改良して開館した。 倉敷は江戸時代、幕府の直轄地(天領)として、周辺の物資集配センターとなっていた。考古館の前を流れる倉敷川 は、今では掘りのように見えるが、昔は児島湾から瀬戸内海へ通じる運河としてさまざまな物品を積んだ船が行き来 する重要な交通路だった。館の前の石橋がアーチ型に作られているのは、下を船が往航したためである。川沿いには、 江戸時代以来大きな商家や蔵が建ち並んでおり、考古館もその蔵の一つで、現在残っている蔵造り街並みの中では、 最も古い建物の一つである。
倉敷考古館 この博物館は民間の博物館である。昭和25年に江戸時代の土蔵造り米倉を改造して博物館として使用しており、吉備 地方の発掘成果が陳列されている。設立形態は地元の有志による財団法人で、公共の機関・自治体の補助は一切受け ていない。その為全館にわたって「手作りの雰囲気」が漂っている。兵庫県西宮の「辰馬考古資料館」のように、潤 沢な資金に恵まれているようには見えない。また、長年にわたってこの館独自の発掘調査・研究等も行っており、こ の地方の考古学の草分けとも言える活動をしてきた様子がうかがえる。古代遺跡にめぐまれた吉備地方ならではのこ とかもしれない。
特殊器台と特殊壺 吉備地方には、他の地方とは異なる大型の土器が出土している。「特殊器台」とか「特殊壺」とか呼ばれる土器がそ れで、円筒埴輪の上に大きな壺を乗せるようになっているものが多い。主に祭祀用に用いられたと考えられ、初め吉 備南部で製作されるが、その内近隣の広島県、島根県、兵庫県などにも波及し、奈良などの近畿地方からも出土して いる。しかし、それらの地方で製作されたのではなく、遠く吉備から運ばれていったとする見方が有力である。
考古館の陳列品は、倉敷市をはじめ、瀬戸内海に面した岡山県一帯の、旧石器時代から、縄文・弥生・古墳・歴史時 代と続く期間の考古資料である。特に、岡山県と、広島県の東半地域は昔「吉備」と呼ばれ、遺物から、過去相当な 繁栄を誇っていた地域であることが確認できる。そうした地域から発見された石器・骨格器・土器・青銅器・鉄器な ど、常時陳列されているものだけでも500〜700点に及んでいる。その他、館に寄贈された古代ペルー(インカ帝国以 前)の土器や土偶なども展示されている。
考古館では遺物を展示するだけではなく、考古館自ら発掘調査を行い、その研究結果や報告を毎年「倉敷考古館研究 集報」として出版している。また、今までのそうした調査の結果や発掘品もこの考古館に展示・陳列されている。 ここは財団法人で、公共団体から一切補助を受けていない為、説明パネルや案内板などは多くが手書きである。
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