異国情緒博物館見学記
1998.4
神戸はハイカラな町である。兵庫、京都、大阪と関西に住んで20年になるが、神戸は関西の中でも一番ナウい街で
あると思う。京都・大阪・奈良とは違う都会っぽさがある。幕末から異国文明・情緒と接してきた歴史的な体験が百
年で街を変えたのだ。何と表現すればいいのかよく解らないが、CITY lifeの体現者達の街とでも言えようか。
関西は基本的に、いや関西だけではなく東京も、いやもしかすると日本全体はまだまだ田舎もんの街である。そんな
中にあって一部ほんとに都会と呼べる街があるとすれば、神戸はまさにそんな街の一つに違いない。
神戸博物館は、そんな神戸のど真ん中、三宮(さんのみや)と元町(もとまち)の間から浜側へ10分程歩いたとこ
ろにある。現在はそういう都会化した神戸だが、古代は他の地方と変わらない。この地方にも縄文・弥生の多くの遺
跡がある。故直良信夫博士が発見した化石人骨は、旧石器時代人であろうとされ明石原人と呼ばれているし、神戸市
西区からは同時代のナウマン象の化石も発見されている。
弥生遺跡は神戸市内からも多く発見されており、灘区の桜ケ丘遺跡からは銅鐸14個、銅戈7本が出土し、トンボや
シカの絵が描かれた5号鐸は国宝に指定されている。建物自体は、昭和10年に建てられた旧東京銀行神戸支店ビル
を転用しており、写真でお分かりのように正面にドーリア様式の円柱が立ち並ぶギリシャ神殿風の重厚な建物である。
銅鐸の鋳型は、大和、河内、摂津、山城などの畿内地方で多く発見されているが、そのほか、播磨、越前、肥前、筑
前などでも発見されており、銅剣・銅矛・銅戈などの武器型祭器の鋳型は、北九州で多く発見されている。初期の銅
鐸の鋳型は石製で、弥生時代の中期頃になると砂型に変化していったと推定される。
大歳山遺跡は、西舞子の半島上に伸びた台地上にあり、前方後円墳一基を含む遺跡中心部が「史跡公園」になってい
る。復元された弥生時代後期の住居は、約6.5m四方のやや丸みを持った方形の竪穴式住居である。この遺跡から
は、壺・瓶・高坏・鉢など約50個の土器が発見されている。
東灘区東求女塚古墳から出土した三角縁神獣鏡。
下左は西区天王山古墳から出土した八禽鏡などの遺物。
この博物館では、古代の遺物ばかりでなく、中世から江戸・幕末を経て明治期に至るまでの神戸の歴史を振り返る事
が出来るようになっている。神戸にふさわしく、この博物館のテーマは、「国際文化交流−東西文化の接触と変容」
なのだ。ここに紹介した遺物・レプリカ以外に、様々な資料が揃っている。
ここには、全国一の質・量を誇る古地図のコレクションがある。古くから南波・秋岡コレクションとして、その方面
では著名なコレクションであるらしい。又、訪問した日は大英科学博物館展を開催中だったが、年中色んな催しが開
催されているらしい。
基本的な姿勢としての、博物館は単なる文化財展示場ではない。知的レジャーの場であってこそ市民のものだという
考えには大いに賛同できる。
ひょうごの歴史
神戸市立博物館
「発掘された日本列島2004展」 2005.2.13(日)
(財)大阪府文化財センターの第10回例会として、兵庫津を見学した後、この博物館を訪れた。
もう10回はここへ来ただろうか。昔は仕事で神戸へ来ると、暇があったらちょくちょく寄っていた。今回は、奈良
美術館で見た「発掘された日本列島2004」展を、再度ここで見れるというので例会にも参加した。関西で2度見れる
というのはなかなかない。しかし、考古学者が行政にいるようになったおかげで、発掘調査はもう研究者が追いつか
ないようなスピードで進んでいる。我々歴史マニアにとっても、新しい知見が増えるのはありがたいことなのだが、
毎年毎年こうも膨大な資料が出現すると、頭の中が整理できなくなる。そうなると、あぁアマチュアで良かったとい
う気にもなってくる。
なお、前述したように、「発掘された日本列島2004」展は2,3ケ月前にも奈良美術館で見学し、写真の整理はそち
らできちんとしたつもりなので、ここでは撮影も随分手を抜いている。しっかり御覧になりたい方は、そちらも併せ
て御覧頂けば幸いである。
常設展
「発掘された日本列島2004展」と併せて、阪神淡路大震災からの10年を振り返って、その間に兵庫県地区で発掘さ
れた調査の成果も、「発信する地域文化展」として展示されていたが、そちらは写真撮影禁止だったので、会場で配
布されていたパンフレットをSCANした。興味のある方は覗いて頂きたいが、資料をそのままSCANしたので相当VOLUME
がある。従って、ケーブルTV以下の速度でネットにおつなぎの方にはお勧めしない。
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