Music:And I love her

香川県歴史博物館

縄文時代






 

縄文の森


	博物館の中に、薄暗い森が復元してある。約1万年ほど前、日本列島は大陸から切り離され、氷河期の終わりとともに、
	気候は温暖化に向かい水面は上昇した。今から約6千年ほど前に、海面は最も深く内陸部へ侵入したと見られている。
	いわゆる「縄文海進」で、縄文時代中期である。現在内陸部に点在する貝塚は、この時代の遺物である。クリ、トチ、
	クヌギ、コナラといった常緑の照葉樹林が西日本を中心に全国を覆っていき、豊かな木の実が縄文人達の飢えを満たし
	た。動物たちも繁殖し続け、獲物を捕獲・解体する石器が発達していったが、同時に人々は石器以外の道具を発明した。
	現在、世界で最古とされている、縄文土器の登場である。












	豊かな自然のめぐみに囲まれて、縄文時代は約1万2千年ほど続く。なんという長い時間であろうか。縄文人達の平均
	年齢は14,5歳であるが、これは乳幼児期に死亡する例が多かったからで、そこを乗り切った者は30歳、40歳、
	時には50歳くらいまで生きた者もいた。現代の、一月で新しいコンピュータモデルが出現するようなスピードに馴れ
	きった我々は、縄文人の1万年という年月はまったく不思議な期間と言うしかない。シカやイノシシをひたすら追いか
	け、クリを栽培してその方法を親から子へ、子から孫へと伝えながら何十世代にもわたって同じ事を繰り返しているの
	である。




	1万年あれば、誰かが燃えた石の中から溶けたガラスや鉄分を発見して、石器や土器に代わるあたらしい道具を考えて
	もよさそうなものだが、誰もそんなことはしていない。1万年あれば、そのうち誰かが準構造船に近い船を発明しそう
	なものだが、船はほぼ縄文時代全般を通じて丸木船のままである。これは一体どうしてなのだろう。
	実はこの1万年という期間は、おそらく人類がコメやムギといった、恒常的に食物となる穀物を手に入れて生活を安定
	させ、同時に精神的にも一気に高度化していくための、いわば熟成期間であったような気もする。人類の進歩には、進
	歩していくための段階というものがあるのだろう。鍬(すき)や鍬(くわ)の製造技術から、一気に飛行機は製造でき
	ないように、我々日本人は、コメを手に入れて冨や権力構造という「人間社会」を造り出すまでに、長い長い1万年以
	上という期間を必要としたのかも知れない。


 
  邪馬台国大研究・ホームページ / 博物館めぐり / 香川県歴史博物館