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門真市で発掘されている遺跡は弥生時代以降のものばかりである。唯一西三荘(にしさんそう)遺跡(門真市大字門真) に縄文時代からの生活痕跡が認められるのみで、圧倒的に弥生時代の遺跡が多い。これは、このあたりが湿地帯だったの で、弥生時代、人々が稲作に従事するようになってここに定着した事を証明しているように思われる。 大阪平野は上町台地を除き大部分が、紀元前5000年頃から紀元前1000年、或いは紀元0年位まで河内湖(河内)とよばれ る大きな内海であった。弥生時代初期から中期頃に「湖」は「潟」になり、この頃人々が稲作とともに定着したと考えら れる。この海は、現在の大阪市はもとより東大阪市、守口市、門真市、大東市、四条畷市、それに枚方市の一部をも含ん でいた大海だった。