Music: Across the Universe

房総風土記の丘資料館 .2001.2.24 千葉県印旛郡栄町竜角寺978



 


	資料館は1,2階に分かれているが、私の訪問したのは閉館間際で、時間がなく2階は見学できなかった。1階の第一展示
	室は「房総の古墳と古代の寺」というテーマで房総に小さなクニが幾つか発生した頃から、律令国家に組み込まれていくま
	での歴史を千葉県内出土の出土品を中心に展示説明してある。中でも、この資料館の周りに点在する「竜角寺古墳群」と古
	代寺院「竜角寺」を中心にして、古代国家成立の歩みを追うというスタイルになっている。

 

 

 






	千葉県には古墳が約1万基あると言われており、古代寺院も判明しているだけで40ケ所にのぼる。古墳の密集した場所を
	特に「古墳群」と呼び、古代豪族の居住した地域であろうとされている。狩猟や農業生産に適した土地で、交通の分もいい
	場所に(そうでない地域もあるが)、古代の有力者達は移り住んだと考えられる。
	また、古代寺院もこれらの「古墳群」の中、あるいは隣接した場所に建てられている事が多く、古墳と同様に、最初は有力
	者達の権力誇示のために建てられ、やがて律令国家の元では、大和朝廷の威信を示すために改築・改修されていったものと
	思われる。古墳群および古代寺院は、南房総をのぞく千葉県内に、4世紀から7世紀にわたって絶えることなく営まれ続け
	ていくのである。

 

 



初期古墳の埋葬形態は木棺を直接埋める場合が多く、副葬品は、鉄剣・銅鏡・玉・釧(クシロ)などの武器・祭器をはじめ、 農具・工具などの生産用具が多いのがこの地方の特色である。近畿圏と同じく、埋葬者は祭祀者としての性格も持ち、同時 に農耕工業における用具の独占を背景にした支配力をも保持していたと考えられる。




 
■武具・馬具 我孫子市金塚古墳出土の短甲と、木更津市金鈴塚古墳出土のかぶと。

■石枕 石枕は滑石などの軟質の石を加工して棺の中に入れたものである。全国で約100例が発見されているが、分布の中心は関東 にあり、そのうち千葉県から65例出土している。 【市原市姉崎二子塚古墳】
 

 




■瓢塚・天王船塚古墳群 成田市の瓢塚(ひさごづか)・天王船塚(てんのうふなづか)古墳群は北総を代表する古墳群で、大部分の古墳が発掘調査 されている。ほとんど発掘調査されていない竜角寺古墳群を研究する上でも、ここからの出土品は貴重な資料となる。 上記写真は、瓢塚40号憤から出土した銀象嵌の太刀で、X線撮影により「亀甲繋文」(きっこうつなぎもん)という文様が 発見され、太刀の束頭(つかがしら)と、鍔(つば)、はばきに施されていた。 ■王賜銘鉄剣 1988年1月市原市稲荷台1号古墳から「王賜」銘の太刀が出土した。銘文に刻まれた文字は12文字で、判読できた文字は5文 字である。 (表)  王賜□□敬□ (裏)  此廷□□□□        (文字解釈は国立歴史民俗博物館平川南助教授(当時)による) 平川氏は報告書において書体や過去の出土例(中国を含む)などからさまざまな分析を試みているが、冒頭の2文字が示す ように大王級の支配者からこの地方の有力者に下賜された剣だろうと推測し、比較的小さな円墳から発見されたことから、 今後の出土例に期待している。 この鉄剣は今のところ我が国製作の刀剣に刻まれた文字例としては最古のものとされているが、これをうけて我々が思うの は、いつもの決まり文句、「なぜ?」 「どうして?」である。まったく、「謎」が「謎」を呼ぶ古代史とはよく言ったも んだ。
 

 

 

 

 

 




	6世紀の中頃、百済から仏教が伝来し、畿内はもとより各地域の豪族も、氏族の権威の象徴として寺院を建立した。房総に
	おいてもほぼ7世紀代jに下総国に龍角寺が、上総に上総大寺(木更津市)が建てられ、次第に周辺の有力者にも及んで、
	下総の木下(印西市)長熊(佐倉市)、上総の真行寺(成東町)・今富(市原市)・岩熊(岬町)などに建立された。
	その後、律令国家の成立に伴って仏教は国の規範として取り入れられ、中央の権力を広く全国に誇示するため聖武天皇は、
	各地に国ごとに国分寺・国分尼寺を作らせた。

 



 

 



 

 





 

 










邪馬台国大研究・ホームページ /博物館めぐり/ 房総風土記の丘資料館