2003年8月、帰省して甘木の町で友人と飲む前に、母校の博物館を訪ねて行った。実家の弟がこ の博物館のパンフレットを持っていたので、眺めている内に見たくなったのだ。我々の時代には 勿論博物館など無かったし、史学部の部室は整理整頓などとはほど遠かったので、キチンと並べ られた故郷の遺物など見る機会はなかった。
校舎は昔のままで体育館も昔のままだったが、新しい建物が幾つか建っていた。博物館のあると ころも、我々の時代にはテニスコートだった。
学校は日本史の先生は休みで、当番の先生と事務員の女性が2,3人居るだけだった。最初電話 したときは今日は休みですと言われたのだが、「ここの卒業生で、今は大阪におり、もう明後日 大阪へ帰るのでどうしても今日見たい。」と粘ったら、それじゃ来て下さいと言われた。写真を 撮させてくれと頼んだのだが、「責任者がいないので。」と断られた。 我が母校の、しかもかっては考古学では近在でならした優良校なのに、と残念だったが、当番の 先生に文句を言っても始まらないので、あきらめた。
帰りに当番の先生と話したが、今は史学部員は殆どいず、膨大な発掘品が保管庫に眠っていてO Bから早く整理して閲覧させてくれという声もあるそうだが、「どうしようもありません。」と 嘆いていた。「今の子供は地道な発掘などには興味がないんでしょうねぇ。」と寂しげだった。
ここにはその時貰ったパンフレット(以下)を、そっくりそのままSCANして掲載する。従って説 明文章や注釈・コメント・captionの著作権は、全て朝倉高校に帰属する。