Music: 夜明けのスキャツト(由紀さおり)





		甘木はすべて田んぼの中である。志賀直哉風に書き出せばこういう事にでもなろうか。現代の福岡県甘木市は、特に目立った産業が
		あるわけでもなく、大きな観光地があるわけでもない。人口5万人程の典型的な田園都市である。
		最近でこそ、キリンビールやロームなどの大企業の工場や配送センター、ジャスコ、ダイエー等の大型店舗ができているが、一昔前
		は城下町秋月がささやかな観光地という以外、殆ど世の中の注意を引くことは無かった。
		それが古代史という一分野ではあるが、最近にわかに世間の注目を集めだしたのは、産能大学の安本美典教授が邪馬台国=甘木・
		朝倉説を唱えたからである。氏はおよそ30年程前からこの説を主張しているが、最近とみにその合理性と各方面の考古学の成果に
		より、甘木は耳目を集めているのである。尤も、地元九州の先学達の中には、甘木朝倉の遺跡の多さにいにしへの栄華を感じとっ
		ていた人達も少なく無かったが、氏のように、統計学や地名の残存度などを引き合いに出して邪馬台国論を展開した人はいなかった、
		と言ってよい。
		吉野ヶ里に続いた数年前の平塚川添遺跡の発見は、甘木・朝倉説論者達には絶大なる援護射撃となったようである。
		規模こそ小さいが、決して吉野ヶ里に劣らない、いや部分的には吉野ヶ里より貴重な遺跡(回廊を持った大型掘立建物等)もあっ
		て、甘木・朝倉の町中は今や「こここそ、邪馬台国である。」と声高だかに叫んでいるのである。


 


		とまぁ、他人事のような書き方をしたが、実はこの街が私の郷里である。この街の高校に、5km離れた城下町から3年間自転車をこい
		で通学した。勿論高校生の頃はこの資料館はなく、現在隣接して建っている図書館も、高校の横にオンボロな木造2階建てで、蔵書も
		高校より少なかった。この文化ゾーンは、私が高校生の頃は田圃の中だったのだ。
		そんなわけで、この街(甘木・朝倉地方)の遺跡発掘・保存・資料作成といった作業は、私の母校朝倉高校の史学部が一手に引き受け
		ていた。その成果は「埋もれていた朝倉文化」として十数年前、立派な装丁の資料集として刊行された。あの時代からもう30年が過
		ぎた。あの頃歴史に興味を持っていればなぁ、と今でも悔やんでいる。この街に、現在私が大阪で歴史倶楽部などを作って追い求めて
		いるものが、すべて埋もれていたのである。
		邪馬台国、渡来人の軌跡、大和朝廷の起源、神武東征、などなど。この資料館が、それらを解明する文化センターとなってくれる事を
		期待したい。。若き学究の徒が我が郷里から出現し、やがて何時の日か、卑弥呼の眠る「大いなる塚」を発見して暮れる事を祈らずに
		はいられない。		



 

		資料館の周囲には、近郊の遺跡から発見された遺跡の遺構が展示されている。梨山やブドウ畑、田圃の名で朽ちてしまう恐れのある
		ものを、みんなここに移築しているのである。おそらくは、過去既に暴かれて四散した古代の墳墓や遺跡等々が、我が町にはゴロゴ
		ロしていたに違いない。既に「卑弥呼」の墓も暴かれてしまっている可能性もあるのだ。遺跡の重要性や保存の認識は、ひとえに教
		育にかかっている。自分たちのオリジンに興味を持ち、祖先達の残した遺構を尊ぶ発想は、大人達が子供達に教えていくしかない。
		その街の文化財を、住民の見識で調査し、保存し、記録できているかどうかは、その街の知性と品性を推し量るバロメーターと言っ
		てもいい。
		一日に一人二人しかとおらないような農道や、特定の人々だけが恩恵を被るような施設はもういらないと言うべきである。






利用案内

			休館日 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日) 12月28日〜1月4日 
				展示入替のため臨時休館あり(詳細は当館へ。)
			入館料 無料
			〒838−0068
			福岡県甘木市大字甘木216番地2
			TEL・FAX 0946−22−7515


邪馬台国大研究・ホームページ/ 甘木歴史資料館 /chikuzen@inoues.net