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馬韓の旅 高敞邑城 2004.11.21(日)







	<高敞邑城> (コチャンユウジョ) または、牟陽城(モヤンソン)
	高敞(コチャン)邑内に位置する高敞邑城は、1453年に外侵をくい止めるために築城された石積みの城壁で、邑を
	城壁がとりかこんでいる。独特の工法で築造され、城郭の原型がよく保存されている。城内には官衙など昔の施設が
	そのまま保存されており、毎年旧暦9月9日に開かれる牟陽城祭りの際には、女性たちが石を頭にのせ、城を踏む城
	踏み風習が再現されるそうである。









 

長い風雨で痛んだので1977に修復されたとなっている。

 

 

「あそこは獄(ごく)と書いてない?」「えー。あ、ほんまや。」「行ってみよう。」

 




	一昨年行った水原の「水原華城(すいげんかじょう)」は世界遺産に指定されていた。あそこほどの規模ではないが
	ここもなかなかたいした城(城壁)である。日本では城にはいるのは侍達だけだが、ここ韓国ではヨーロッパ同様に、
	領主が領民と共に城壁内に立てこもるような構造になっている。邑全体が領主のものなのであろう。いずれも国民性
	を現しているようで、なかなか興味深い。攻めてくる和冦のことは、英語表記では Japanese Invador となっていた。
	うぅ〜ん、インベーダーかぁ。










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