Sound: penny lane
馬韓の旅
釜山市立博物館
2004.11.21(日)


慶尚南道の道庁所在地である釜山広域市は、ソウルに次ぐ韓国第2の都市である。釜山から日本の対馬の北端には直線
距離でわずか50kmであり、古代から、良くも悪くも日本との接点の役割を果たしてきた。韓国の旅第一弾で我々は
この地を訪れたが、その時は見落とした「釜山博物館」を、今回は何とかスケジュールに入れて貰ったが、30分しか
中に居れなかった。



開館の15分位前に着き、まだ中へ入れなかったので9時まで博物館の廻りを散歩した。



ここにもカササギの群れがいた。上は釜山市の市民会館。いずれの国もこんな建物は立派である。下は釜山市内。

1978年に開館した市立釜山博物館は、前々回見学した福泉博物館や、見学していない東三洞貝塚展示館、臨時首都
記念館(朝鮮戦争中釜山は臨時首都となった時期があった)を傘下に収めた総合博物館である。
先史、三韓、三国、統一新羅、高麗、朝鮮、の各時代、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時代、日帝強占期(日本統治期)、
朝鮮戦争の時代まで、デリケートな国際関係に対しても史実に基づいて展示されている。私としては、前回訪れた福泉
洞古墳の出土物の実物を見れるとあって、たとえ30分でも一度見たかった。
 |
市立釜山博物館 |
 |
櫛文土器の変遷(8000年前から3000年前) |
 |
|
 |
福泉洞古墳群出土の鎧 |
|
加耶文化から新羅文化へ |




釜山地域では、今から8000年前から7000年前頃になると食糧資源が豊富になり、人々が海岸地帯に居住した
事を示す貝塚・遺構・墳墓などに新石器人達の痕跡が見られる。これらの生活遺跡からは、櫛文土器、銛、釣り針、
石斧、貝製釧(腕輪)・耳飾り・骨格器などの遺物が出土している。ここでの新石器人達は、日本列島の同時代人達
と同じように漁獲・狩猟生活を営みながら、粟・稗などの雑穀を中心とする原始農耕も営んでおり、東三洞貝塚、凡
方貝塚などの遺跡が有名である。
今から3000年ほど前の青銅器時代になると、無紋土器・青銅器を中心とする新しい文化要素が北方から入り込み、
釜山地方でも以前とは全く異なる稲作農耕中心の文化へと移行することになる。青銅器時代人たちは、河川流域や穏
やかな丘陵地帯に住居を移して農耕生活をしたが、その代表的な遺跡には、盤如洞・温泉洞・老圃洞を始め、甘川洞・
加徳島支石墓・朝島貝塚などがある。


旧石器時代 <打製石器> 海雲台佐洞・中洞遺跡。

新石器時代 <骨による装飾品・鯨の骨> 東三洞貝塚。

青銅器時代 <磨製石剣> 社稷洞・甘川洞













福泉洞古墳出土の鎧、環頭太刀(三国時代)。


下右の八鼓鈴は、複泉洞博物館(釜山博物館の分館)のシンボルになっている。前々回訪れたときはかわいいお姉
ちゃんが案内してくれたが。その右は福泉洞11号墳出土の金剛冠。遺跡を見て、3年後に実物が見れた。













上左は「大同(東)地誌」に書いてある、機張古邑城の記事。高麗後期に和冦が攻めてきて城が陥落したとある。





土産物屋でノリやキムチを買った後、金海(GIMME)空港へ向かう。



最初ツアーを探したが、この地方へ行くツアーはどの旅行社にもなかった。聞けばあまり日本人は行かない地方らしく、
ツアーがないのももっともだったが、そもそも我々の旅はツアーには便乗しないので、いつも独自のルートを設定して貰
う為、結構割高の旅行費用になる。しかし今回は日本人など余り行かないどころか、釜山に住んでいるというガイドさん
でも「2,3回しか行ったことが無い」という事で、「釜山ナンバー見られたら、石投げつけられるかも。」と本気で心
配していた。実際、日本語などは全く通じないし、ガイドさんによれば、全羅南道と釜山といえば、青森と鹿児島の人が
話すようなものだと言う。まぁ、そんな訳で(と言うか旅行社に丸められたのかも)、今回の旅は結構高いものについた。
航空運賃、車・ガイド料・全食事付き、関空・プサン空港使用料、博物館見学料、等々全てこみこみで、一人115,000円。
今まで2回とも、7,8万だったのと比べると相当割高だった。しかし木浦など、昔ならいざしらず、今日び訪れる日本
人などあまりいない街も見れたし、まぁ信憑性はともかく、現地の人が誇っている王仁博士の遺跡も見たのでよしとしよ
うか。
それにしても、全州といい、光州といい、羅州といい、古代にはこれらの地方と日本が強く結びついている痕跡を今回も
確認できて幸いだった。コインドルは北九州にあるものと同じだし、見て頂くように、各地の博物館に展示されている出
土物は、北九州の博物館に並んでいるものと全く同じである。我ら日本人の源流は正しく朝鮮半島にあった。
さぁ、いよいよ次回からは、その更に源である中国大陸への旅である。韓半島、日本列島へもたらされた偉大な古代文明
の源流。いったいどこを巡ればいいのか迷うほど中国大陸は広い。

邪馬台国大研究・ホームページ/ 歴史倶楽部 / 全羅南道・馬韓の旅