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日本人の源流を探る旅 第二弾! 


−百済の旅− 2002.10.24−27





	昨年同時期に、−伽耶・新羅の旅−と称して、大韓民国の金海・釜山市周辺を訪問した。そのレポートは、「日本人の源流を訪
	ねる旅 第一弾!」として別稿にまとめてある。その印象から言うと、北部九州と伽耶・新羅の民族は同じものだと言う思いを
	強くした。今回の旅もそれは同じであった。北九州のみならず、西日本一帯の日本人と韓国人は、その根は同じ民族か、あるい
	は、近い民族が互いに融合していって現代へつながっていると思われる。特に百済が、古代において日本とは強い関係を持って
	いた事は広く知られているし、白村江で「日本・百済軍」が「唐・新羅軍」に敗退したとき、大量の百済人が日本へ亡命して来
	た事も記録されている。彼らの多くは、近江を中心とした近畿圏に住み、その後の大和朝廷の発展、日本文化の発展に大きく寄
	与したことも、歴史上有名な事実である。

 
出発前、関西国際空港にて。右は我々の乗った大韓航空(Korea Airline)機。


	百済は元々北方遊牧民であった高句麗王族の一派が興した国で、同じ扶餘族である。朝鮮半島南西部・現在の韓国西半分を占め
	ていた古代国家である。起源ははっきりしないが、345年即位の近肖古王が初代とも言う。はじめソウル(京城)付近に都を構え、
	馬韓族を征服して次第に勢力を伸ばしたが、やがて南下してきた高句麗に押され都を公州へ移す。その後都は扶餘へ移り、ここ
	で終焉を迎えることになる。660年、唐と新羅の連合軍が倭と百済の連合軍を敗り、663年、亡命政府も消滅して、数百年に及ん
	だ百済王朝は滅亡した。






	韓国ソウルへは、大阪空港から飛行機で1時間半である。ソウル−釜山間には国道1号線という高速道路が走っていて、途中か
	ら南西地方へのルートと南東地方とのルートに分かれている。車を博多まで運んで釜山へわたり、釜山からこの道路を北上して
	扶餘・公州経由でソウルへ入ることもできるが、韓国のドライバーは非常に荒っぽい。しかも右ハンドルである。道を走ってい
	る車を見てもほとんどがどこかに傷があるか、少しヘコんでいる。ガイドの話でも、「交通事故は多いですよ。」との事だ。
	ツアーに参加するのならいざ知らず、そうでないのなら、飛行機で韓国へ入り、鉄道か現地の旅行社でツアーを探した方がよい。
	勿論我々がそうしたように、日本で現地の車、ガイドを含めてすべての手配をしてもらう方法が一番楽でいい。しかしこれは、
	いわば”特注”ツアーなので少々高くつく。しかし今回の「松菊里遺跡」や「先史住居跡」など、殆どの観光客は行かない所へ
	も運んでくれるし、「ここはカットして、ここをもう一度見たい。」というような無理もある程度聞いてくれる。




	大韓民国の現在の人口は約4600万人で、その4分の一がソウルに住んでいる。しかし年々ソウルの人口は減少を続け、代わりに
	近郊都市の人口が増加していっているそうである。東京から、千葉・埼玉・群馬・神奈川へ推移していっているのと同じ現象だ。
	韓半島の南部には洛東江(525キロメートル)と漢江(514キロメートル)が流れている。漢江は首都ソウルを貫通して流れている
	が、かつて川に沿って発達した古代都市の住民の生活水であったように、現代においても人口密度の高い中部地方の生命水となっ
	ている。


昨年のJALでは何も出なかったが、今回は行き帰りに食事が出た。たった30分の違いなのに。
次回から大韓航空にしよう。左端が迎えに来たガイドの金(キム)さん。


	大韓民国(韓国)の行政区画は、1つの特別市(ソウル)と、6つの広域市(釜山・プサン、大邱・テグ、仁川・インチョン、
	光州・クァンジュ、大田・テジョン、蔚山・ウルサン)、およ9つの郡庁(京畿道・キョンギド、江原道・カンウォンド、忠清
	北道・チュンチョンブクド、忠清南道・チュンチョンナムド、全羅北道・チョルラブクド、全羅南道・チョルラナムド、慶尚北
	道・キョンサンブクド、慶尚南道・キョンサンナムド、済州道・チェジュド(済州島))からなっている。 




	今回の旅で訪れたのは、特別市のソウル、光州市、忠清南道の郡庁所在地・扶餘(プヨ)である。いずれもかっての百済の都が
	あった所で、3泊4日の旅ではここを大急ぎで回るのだけで手一杯であった。おまけに今回は、韓国の吉野ヶ里と言われる「松
	菊里(ソングンニ)遺跡」と先史時代遺跡を2つ加えたので、結構なハードスケジュールになった。勿論博物館はすべて(国立
	扶餘博物館、国立光州博物館、国立中央博物館)まわったが、いずれも一日中居たいくらいすばらしい出土品でいっぱいだった。




宿泊した、大田(デジュン)の儒城スバピアホテルと、ソウルのニューマンハッタン・ホテル






	↑ ソウル最後の夜、ガイドの金さんに連れて行って貰ったソウル市内のナイトショー。色んな一団が様々な芸を披露してくれる。
	右端のおじさんは「蛸おじさん」と呼ばれていて体の柔軟さが売りで、日本の「うっちゃん・なんちゃん」にも出演した事がある
	そうだ。ニューハーフのSTRIPショーもあったが、金さんはその時間になるとどっかへ行っていた。





ソウル市内の夜景


↓ 泊まったホテルの窓から見た建物。ばかでかいスタジアムだと思ったら、なんと教会だった。





ソウル空港にて。撮影者の河原さんは左端に別枠で登場。今回の参加者勢揃い。左から、
河原さん、栗本さん、服部さん、井上、錦織さん、東江さん、ガイドの金(キム)さん、橋本さん。

キムさん、いろいろとありがとう。おかげで非常に楽しい旅になりました。
また機会が有れば是非ご一緒したいです。ヒモの旦那と6歳の娘さんに宜しく。





百済をゆく


	以下の行程表の中にある、ツアー(XXX、XXX、・・・)の部分をクリックしてください。訪問先のレポートです。各頁の再下段に
	ある「戻る」「進む」をクリックする事で、第一日目から順番に遺跡・旧跡巡りをする事もできます。真ん中の「邪馬台国大研究」
	のバナーをクリックしていただければこの頁へ戻ってきます。それではごゆっくりどうぞ。

2002年10月24日(木曜) 10:00発韓国仁川()空港行き大韓航空722便
  11:50 同空港着、ガイド金(キム)さん出迎え
  12:00 ソウル市内の食堂にて石焼きビビンバ
  13:00 ツアー(水原・華城を歩く
  16:00 高速、国道1号線を大田へ向かう。
  18:00 大田で高速を降り、儒城温泉へ。夕食(ブルコギ)
  20:00 儒城スバピアホテル着。温泉入浴後、ホテルのバーで一杯。
10月25日(金曜) 8:30出発 扶餘へ。
  ツアー(屯山先史遺跡
   (宮南池・白馬江・落花岩・皐蘭寺
   (定林寺跡
   (松菊里遺跡
   (国立扶餘博物館
  12:00 公州にて昼食
  ツアー(武寧王陵
   (国立公州博物館
   (公山城
  18:00 儒城スバピアホテル着。温泉を楽しむ
  19:00ホテル近くのレストランにて、カルビ焼き肉
  21:00 ホテルバーにて一杯。
10月26日(土曜) 8:30 ホテル出発、一路ソウルへ。
  ツアー(百済古墳群
   (夢村土城・風納土城
   (岩寺先史遺跡
  12;00 ソウル市内にて昼食。海鮮鍋。
  ツアー(宗廟
   (昌慶宮
  18:00 ホテル、ニューマンハッタン着。
  19:30 ソウル市内にて夕食。シャブシャブ定食。
  21:00 ガイドのキムさんの案内でナイトショー見学。
  22;30 ホテル着。
10月27日(日曜) 8:30 ホテル出発
  ツアー(国立中央博物館
   (景福宮
   (昌徳宮)   
  12:30 土産物屋に入った後、韓国定食にて昼食。
  13:00 ツアー、(再び国立中央博物館)
  15:30 仁川空港へ
  19:05 関西国際空港行、KOREA Airline」にて仁川空港出発




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