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感恩寺址・三層石塔 −伽耶・新羅の旅− 2001.10.13







		感恩寺址三層石塔(二基)−韓国国宝− 
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		高句麗・百済に次いで仏教が入ってきた新羅では、当初貴族達の抵抗や反発が強かったようだが、527年に公認
		されると王族を中心に急速に広がりをみせていく。そして各地に寺院や伽藍が建築される。一番の大伽藍は6世紀
		中頃に建造された皇竜寺であるが、今は石柱を残すだけの畑である。(「芬皇寺・皇竜寺」の項参照。)
		この皇竜寺を中心に新羅仏教は興隆へ向い、四天王寺、泰徳寺、芬皇寺、感恩寺などが次々と造営されていく。
		これらのいわば官営寺院とは別に、貴族達の願寺も建立され、「寺は星のごとく、石塔は雁のごとく」と形容され
		る程の隆盛をみることになる。また、新羅では多くの高僧も輩出し、我が国にも多大な影響を与えている。

 




		文武大王の海中陵から2km程入った所に感恩寺跡がある。これは文武大王が建立し始めたが果たさず、息子の神文王
		が、神文王2年(682)に完成させた。石塔もこの時に完成したものと考えられる。金堂の敷石の下には東に向けた
		穴道があり、これが文武王が造らせた「龍穴」または「龍道」と判明した。海龍となった文武王の霊が寺に出入り
		するための穴道である。(「文武大王海中陵」の項参照。)

 


		寺跡は今、礎石と中央の石垣の基壇の跡を残すのみだが、大きな三層の石塔が立っていてなかなか堂々とした石塔
		だ。二基の塔は同形同大の典型的な新羅様式の石塔で、このような石塔様式の初期石塔の一つである。100m四方ほ
		どの空き地に、礎石の跡、基壇の跡が残っている。グルッと一回りしても5,6分である。背後には山並みを控え、
		正面から石塔、山並みをみた光景は、もしここに伽藍が立っていたらさぞかし壮麗だったろうなと思わせる構成に
		なっている、いわゆる双塔式伽藍で、統一新羅時代の寺院の典型的な伽藍配置をとっている寺院である。日本では
		薬師寺が同じ伽藍構成になっている。

 


		神文王が偉大な父文武王の冥福を祈って完成させた感恩寺址は、1300年の時を経ても尚、文武王の霊魂が東海から
		通ってきているのかもしれない。

 




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