鮑石亭(ポソクジョン)
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慶州市から南に4kmほど行ったところに鮑石渓谷という名勝地があり、その入り口にかって西南離宮と
いわれた鮑石亭がある。9世紀中頃に築造されたこの離宮は、王族の休息所、あるいは別邸として知ら
れ、統一新羅時代、鮑の形に作らせた石の建造物に水路を掘り、ここに杯を浮かべて歴代の王が宴会を
催した所である。
当時あったとされる殿閣は既になく、石の水路のみが残っている。「三国遺事」によると、新羅49
代憲康王が臣下とここで休んでいた時、現れた南山の神と一緒に舞を舞ったという記述があり、927年
55代景哀王は、ここで宴会中に後百済のキョンフォン(日本字無し)に襲撃されたと言う。王は殺
され、これをもって新羅千年の終幕と古書は伝えている。
最初我々がここへ行きたいと言った時、チョンさんはあまり乗り気ではなかった。「あんなとこ何も
ありませんよ。」と言うので、なんか変だなと思っていたが、その後帰国して文献を色々あさってい
ると、こういう記述があった。「新羅千年の羨望と非難が渦巻く遺跡である」と。つまり、離宮跡と
して名所ではあるが、酔っぱらって新羅を滅ぼすことになった、新羅人の末裔たちにとってはそんな
に名誉な場所ではない、と言う事かもしれない。(チョンさんが新羅人の末裔かどうかは知らない。)
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