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 研究史まとめ 


	邪馬台国の研究は、学徒在野を問わず今も続いている。それは、古代史という大きな学問の一分野ではあるが、この問題
	が大きなロマンを秘めているからだろう。所在地もさることながら、卑弥呼は誰で、人々はその時代一体どんな暮らしを
	していたのだろう、といった興味のほうが大きいからに違いない。
	平成9年現在、考古学上の新しい発見が続々と報告されている。古代史は日々塗り替えられているのである。考古学のみ
	ならず、歴史学、民族学、博物学といったような学問にも、最近はどんどん科学的な方法が採用されているし、若い世代
	の研究者達は皇国史観や唯物史観といったものに重きを置いていない。考えてみれば、固まった考えに支配されていない
	という事は、学問のみならず日々の生活に置いても実に重要な事なのだ。自由な発想と柔軟な視点は、何の分野において
	も多大の効果をもたらす。願わくば、今後の邪馬台国研究も、これらの若い世代によってより一層の発展を遂げて行って
	ほしいものである。

	さて、新井白石に始まり安本美典で終わったこの研究史であるが、ホームページという制約上ほんとに概要しか紹介出来
	ていない。名前の登場した学者や研究者達の業績は(登場しなかった人達も含めて)、とても一行で表せるものではない。
	たとえ自分の説と相容れないものであっても、一人の人間がほぼ一生をかけて勉強した成果が、何の役にもたたない事な
	どあり得ない。どこかに必ず、自分にはなかった視点がある。我々はこれらの先人達の業績の上に立ってものを考えてい
	るのである。又、邪馬台国以外にも古代史上極めて重要な説を提示した人達もいるが、このホ−ムページでは全て割愛し
	た。これらの業績については、参考文献あるいはその他の方法で目に留めてほしい。

	前書きで、歴史学は文学であると書いたけれども、最近実は文学と科学の融合した学問ではないかと考えている。全くの
	創作では当然あり得ないし、どうしても創作(解釈)しかない部分も多いに含んだ学問である。しかもその創作は、論理
	性に富み客観性で万民を納得させられるものでなくてはならない。厳しいが、反面実に楽しい学問であるとも言えよう。
	
	現在の邪馬台国論は、やや低迷しているように見える。それは、殆ど魏志や古事記等の分析がされ尽くしている事にも起
	因しているし、考古学上の新しい発見群にもよっている。「もう後は卑弥呼の墓が発見されるのを待つしかない。」とい
	う意見もある。しかしそれは間違いである。
	歴史学は考古学ではない。考古学の成果を待たなくても、歴史上の推論だけで絶対邪馬台国は発見できるはずである。
	しかし、比定地を片っ端から掘り返すわけには行かないし、宮内庁の目を盗んで天皇陵を開けて回るわけにもいかない。
	ビルが立ち並んでいる大都会にもし邪馬台国があったとしても、誰にもそれを確かめるすべはない。位置を推論し特定で
	きてもそれを実証するには、現代日本においては問題が多すぎるのである。全て脳内で想像するのみだ。しかし、それで
	もいいのだと想う。

考古学上の成果が上がるまでは、みんなの邪馬台国はそれぞれの脳内にある。イメージとして心の中にある。自分が今までに学んで来た論理と科学性に照らし合わせて、納得するイメージを持てばいいのだ。そして新しい意見や説に耳を傾け真摯にそれらと向き合う事で、自分のイメージも高められるし見識も広くなる。学問とはそういうものである。 現代の日本では、学問を生業(なりわい)にしなくても、その気さえあれば、人は誰でも何処でもいつでも学問できる。そういう世の中は、未来永劫何時までも保っていかなくてはならない。





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