ネアンデルタール博物館 2015年夏フランス・ドイツ紀 七日目 2015.6.13















ネアンデルタール人が「ウェルカム!」



























ネアンデルタール人の石器と、食べた動物の骨(ネアンデルタール博物館)











































































































































































	以下の文章は、「季刊邪馬台国」127号(2015.11.20 梓書院発行)に掲載した紀行文から転載した。

	世界遺跡めぐり  ネアンデルタール人の故郷       井上修一

	 世界で最初に発見されたネアンデルタール人の化石は、ベルギーのエンギスで発見された子供の頭骨で
	1830年の事であるが。これはちゃんとした学問の対象にはならなかった。最初に研究対象とされた骨
	が出現したのが1856年8月、ドイツ・ケルン近郊のネアンデル渓谷 (Neanderthal)、フェルトホッフ
	ァー洞窟である。
	我が家の今年の夏休みは北フランスという事になった時、私はドイツへ廻ることを希望してこのネアンデ
	ルタールにも寄る事を主張した。一週間ほどの夫婦による討議の結果、北フランスに一週間、ドイツ西部
	に一週間という夏休み旅行になった。
  
	クロマニヨン人と違って、ネアンデルタール人が我々現生人類の祖先で無い事は今日学界では定説になっ
	ている。ネアンデルタール人は現生人類に最も近いヒト科の親戚である。この両種は、ヨーロッパと西ア
	ジアでつい 3万年前まで共存していた。(出所:American Museum of Natural History 2006)。

	埋葬施設に献花した痕跡や、人類の祖先達と同様に石器を用いて狩りをし、また火も用いていたことから
	一時は人類の祖先だと騒がれた事もあったが、形質学的な分析や人類学的な研究の観点からの疑問も提出
	され、人類の祖先かどうかを巡ってほぼ百年の間、論争の火中にあったのである。1997年に、フェル
	トホッファー洞窟で見つかった最初のネアンデルタール人の骨からDNAが抽出され、その研究結果から、
	ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先とする立場は否定された。ホモ・ネアンデルターレンシス
	として区別され、現生人類を新人、ネアンデルタール人は旧人と呼ばれた。
	(注:旧人はネアンデルタール人だけではない)。

	その後、ドイツとアメリカの共同研究チームが、ネアンデルタール人のゲノムの一部を解読した報告(概
	略)は以下の通りである。【出典:ネット百科・ウィキペディア他】

	『ネアンデルタール人のゲノム断片の解読と解析に成功【2006年12月16日】

	●ネアンデルタール人は現生人と同じHomo属に属する。ネアンデルタール人は約3万年前ごろに絶滅
	した種であり、現生人とは同時期に生息地域が重なっていた。両種は進化的に非常に近い関係にあり、混
	血が起きていた可能性が考えられていたが、今回の報告によれば両種の交雑はなかったという。両種のゲ
	ノムの相同性は99.5%であり、今回の結果とこれまでの知見を総合して考えると、両種が分岐したの
	は37万年以上前であることが示された。これまでの化石研究では20万年前と考えられていたが、それ
	よりもかなり以前であることがわかった。今後の解析により、ヒトをヒトたらしめる遺伝的な特徴が明ら
	かにされることが期待される。

	

	●ネイチャー誌の解説によれば、化石からのゲノム解析はいくつもの困難があるという。DNAは比較的
	安定した物質ではあるが、非常に古いため断片化や欠損が起きている。また現存する生物のものとは異な
	り、サンプルの量が限られており、しかも後から混入した生物のDNAを排除しなくてはならない。今回
	の共同研究チームはそれぞれ技術に工夫をすることで、化石からのゲノム解読に成功した。ドイツのグル
	ープは100万塩基対、アメリカのグループは6万5,000塩基対を解読した。ヒトのゲノムは32億
	塩基対であり、ネアンデルタール人も同じと考えられている。

	
 
	●論文によれば、2つのグループが解読に用いたDNAは3万8,000年前、クロアチアの洞窟に住ん
	でいた一人の男性の骨から採取された同一のもの。ドイツのグループは、パイロシーケンシング法と呼ば
	れる新しい手法により、サンプルに含まれるDNAを高速で解読した。そして、それらをヒトゲノムと比
	較することで、ネアンデルタール人のゲノム配列を特定した。この方法は一度に多くの解読が可能である
	が、他生物のゲノムも読み取ってしまう。また、新しい技術であり費用が高い。アメリカのグループはメ
	タゲノミクスという分野で用いられる方法を採用した。この方法ではまずサンプル中の DNAを増幅し、そ
	の後にヒトゲノムとの相同性により、ネアンデルタール人のゲノムのみを効率よく選び出した。こちらの
	方法は解読までに時間がかかる欠点がある。

	
   
	●ネイチャー誌の解説によれば、化石からのゲノムプロジェクトには技術と費用の面でまだ多くの課題が
	残されている。今回はネアンデルタール人ゲノムの一部が解読されただけであり、人類進化の謎がすぐさ
	ま解き明かされるものでもない。しかし、絶滅種のゲノムプロジェクトが可能であることを示したことは、
	進化研究にとって大きな進展となった。ネイチャーの論文によれば、ネアンデルタール人の全ゲノムを2
	年以内に解読する計画が進行しているという。

	

	●ネイチャー誌では「古代ゲノミクスの誕生」というタイトルでニュース解説記事を掲載している。』


	ネアンデルタール博物館(Neanderthal Museum)

	メットマン(Mettmann)というドイツの西側に位置する都市に所在する博物館で、ここが最初にネアンデ
	ルタール人の骨が発見された場所である。ネアンデルタール人に関する多くの展示物がある。
	現在ネアンデルタール人の骨格は各地から良好な化石が出土しており、それらに基づく特徴は次のような
	ものである。【出典:ウィキペディア、その他(参考資料)】

	●ネアンデルタール人の脳容量は現生人類より大きく、男性の平均が1600立方cmあった(現代人男
	性の平均は1450立方cm)。しかし、頭蓋骨の形状は異なる。脳頭蓋は上下につぶれた形状をし、前
	後に長く、額は後方に向かって傾斜している。また、後頭部に特徴的な膨らみがある。性差・人種差を除
	外した同質な人類集団の中では、脳の大きさは知能指数と相関係数があることが知られる。このことから、
	現生人類と比較しても遜色のない知能を有していた可能性もある。顔が大きく、特に上顔部が前方に突出
	して突顎である。鼻は鼻根部・先端部共に高くかつ幅広い。これらの形質に呼応して上顔部は現生人類の
	コーカソイドと同じか、さらに立体的(顔の彫が深い)である。顔の曲率を調べる方法の一つとして「鼻
	頬角(びきょうかく)」があり、これは左右眼窩の外側縁と鼻根部を結ぶ直線がなす角度で、コーカソイ
	ドで136度から141度であり、モンゴロイドでは140度から150度であるが、ネアンデルタール
	人類では136.6度であった。他に、眉の部分が張り出し、眼窩上隆起を形成している。また、頤(お
	とがい)の無い、大きく頑丈な下顎を持つ。現生人類と比べ、喉の奥(上気道)が短い。このため、分節
	言語を発声する能力が低かった可能性が議論されている。

	
  
	四肢骨は遠位部、すなわち前腕・脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわ
	ゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。
	男性の身長は165cmほどで、体重は80kg以上と推定されている。骨格は非常に頑丈で骨格筋も発
	達していた。
   
	●成長のスピードはホモサピエンスより速かったようだ。ただし寿命、性的成熟に至る年齢などは、はっ
	きりとしていない。相違点はあるものの、遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えら
	れている。その他、高緯度地方は日射が不足するため黒い肌ではビタミンDが不足してしまうこと、およ
	びDNAの解析結果から、ネアンデルタール人は白い肌で赤い髪だったという説もある。

	

	前掲の地図にあるように、ネアンデルタール人の化石はその後続々と発見され、カスピ海の西から大西洋
	にまで及んでいる。ほぼヨーロッパ大陸全土に渡ってネアンデルタール人たちは生息しており、その地域
	は広大である。また生息年代も、ヒトと分岐して絶滅するまで数十万年の長きに渡っている。その間ヒト
	の祖先達と一緒に生きていたのであるから、ヒトと交尾し混血が生まれていてもよさそうなものだが、分
	析結果のヒトのDNAには、ネアンデルタール人のDNAは残っていないそうである。分岐以降、この両
	種間で明らかな交雑が行われた証拠は見つかっていない。(出所:シカゴ大学 J. Pritchard )

	交尾そのものは一時的にはあったのかもしれないが、子々孫々へ繋がるまでには至らなかったのだろう。
	或いは類人猿たちの間で、チンパンジーとニホンザルが交接しないように、ヒトとネアンデルタール人も
	「種」が違うと認識されていて、全く接触がなかったのかもしれない。両者の交尾を巡っては今も論争が
	絶えない。

	
	右上は、ネアンデルタール博物館でのDNA分析結果の記述。

	ドイツ語なので内容はよく分からなかったが、概ねウィキの解説と同じような事が書いてあった(と思う)。
	しかしながら、ネアンデルタール人に関するこれまでの研究成果を見ると、ヒトとあまりにもよく似た文
	化を保持しており、人類の祖先達が同じような発展過程を経てきたことが確認出来る。彼らの文化は勿論
	旧石器文化に属するが、ヨーロッパでは特にムステリアン文化と呼ばれている。


	 

	一、石器
	 ヒトの祖先と同じような方法で石器を製作していて、大きく狩猟用と動物解体用に分類できる。木の棒
	 の先にアスファルトで石器を接着させ、穂先として狩りに使用した。
	一、住居
	 日本の旧石器人達と同様に、主として洞窟を住居としていた。洞窟からはネアンデルタール人の人骨だ
	 けでなく、哺乳類の骨が多く見つかっている。また遺跡からは炉跡も多く見つかっており、火を積極的
	 に利用していたと思われる。

	一、埋葬施設
	 ネアンデルタール人は、日本の縄文人のように遺体を屈葬の形で埋葬していた。しかし特に埋葬場所を
	 決めて「墓地」を形成していた痕跡は無いようである。生活の場と埋葬の場は一緒だった。1951年
	 〜65年に、コロンビア大学教授R・ソレッキーらはイラク北部のシャニダール洞窟を調査し、ネアン
	 デルタール人の化石とともに数種類の花粉を大量に発見した。教授はこれを「ネアンデルタール人には
	 死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えたが、果た
	 してネアンデルタール人がそういう精神性を持っていたかについては異論もある。
	一、芸術・装飾性
	 芸術や美術については、洞窟壁画や岩陰壁画のように確認出来る証拠はないようである。フランスの遺
	跡から動物の歯を利用した、ペンダント状のものが発掘されているが用途は不明である。
 
	この他、調理痕のある化石が発見されたことから、ネアンデルタール人には共食いの風習があったという
	説も唱えられたが、当然反対意見もある。

	
	博物館で売っていた、石器工房の黒曜石で作った石器。

	そっくりだがネアンデタール人が作った物では無い。歴史倶楽部の皆さんへお土産に買ってきた。1個約
	270円(2ユーロ)。

	歴史はイメージである。特に遺跡巡りや博物館巡りは想像力がなければ、フーンと言って通り過ぎてしま
	うただの場所でしかない。何万年前の石器もただの石ころにしか見えないのだ。しかし想像力を働かせる
	と、そこには侍たちが歩いており、秀吉が淀の尻を追いかけ回しており、ネアンデルタール人がマンモス
	を解体している。稜々たる古今に思いを巡らせ、遥かなる海の彼方に目を移す時、想像力は我々を縄文の
	世界へもローマ帝国へも誘(いざな)ってくれる。
	イメージを醸し出す能力は、持って生まれたものも勿論あるが、ある程度は訓練によって育てることがで
	きる。いい音楽を聴き、いい絵画を鑑賞し、良い人々と交わって感性を磨き、良い書物に出会って広く世
	界を知る。その繰り返しが今の君を作っており、これからの君を育てるのだ。イメージの世界で遊ぶこと
	が出来るか否かは、今後君の人生がどれだけ豊かになるかを左右しているのである。
  
	私事だが、我が「大阪本町・歴史倶楽部」の構成員は現在三十数名である。そして常時例会や勉強会に参
	加してくれるメンバーはその半分弱、即ち十数名である。そのような弱小集団にもかかわらず、掲げてい
	る会是は「日本人はどこから来たか?」なのである。
	この問題に関しては、過去「形質人類学」という学問が大きな学究的貢献をしてきた。しかし今日DNA
	多型分析、特にY染色体亜型分析や、ミトコンドリア分析のもたらす成果には驚くべきものがあり、これ
	を考古学、言語学の分野における知見と併せ総合的に検討して、相互矛盾する事のない学説を築き上げよ
	うとする、所謂「学際的研究」もようやく日本でもその重要性、必要性が認識されつつある。外国ではこ
	のような「学際的研究」は既に大きな成果を上げつつあるが、日本では近年やっと日の目を見つつあるよ
	うだ。
	その成果の一つ。崎谷満著「DNAでたどる日本人10万年の旅」によれば、我が倶楽部におけるテーゼ
	は既に判明しているようにも思える。次の図をご覧頂きたい。

	

	同書によれば、日本列島では出アフリカ三系統の末裔が今でも認められ、ヨーロッパやパプア・ニューギ
	ニア、アメリカ先住民、シベリア、インド、中国その他殆どの地域が出アフリカの二系統までしか見いだ
	せないのに比べて、全世界的に見ても非常に珍しい状況なのだと言う。「歴史上の不思議」だそうだ。詳
	細は同書を参照頂きたいが、つまり日本列島は全世界的に見て、アフリカを出た人類の全ての系統が辿り
	着いた地点なのである。

	これは、私が昔から唱えている「日本列島敗者復活論」と見事に合致する。どこかに(邪馬台国大研究H
	Pの)書いたと思うが、その内容は一言で言えば「日本人は、大陸や南方(南太平洋やフィリピン、イン
	ドネシア等々)や北方(シベリア、カラフト等々)から逃れてきた人々の集まりである」と言うものだ。

	『それらの地域において、他者との生存競争に負けた人々が、端へ端へ、果てへ果てへと追い詰められて
	日本列島へやってきた。中には積極的に獲物を追って来た連中もいたかも知れないがそれは極めて少数で、
	大半は強い集団に排除され、闘いに敗れて東の果て、北の果て、南の果てのこの日本列島に辿り着いた。
	そしてそこで魚を捕り、貝を拾い、木の実を採集して細々と生活を続けてきた。
	負けた集団だから体躯は小さい。常に強者の影に怯えているので神経は過敏になり、如何にして強者から
	逃れるかに恐々としているので脳(の一部)も発達して高い知能を有するようになった。後から遣ってき
	た弱者にも優しく理解を示し、排除・戦闘よりも共存・共栄の道を選んだので、他者に対する思い遣りや
	相互理解の精神も発達した。
	こうして何万年かが過ぎた結果、日本人は世界にも稀な「他者を思いやれるヒト集団」へと発展していっ
	た。やがて聡明な頭脳は様々な生活改善を生み出し、他者の優点は即座に取り入れ、より発展させてしま
	う希有な能力も身につけた。そして弱者集団は、自分たちを東の果て、北の果て、南の果てへ追いやった
	強者と対等に渡り合える「強者」へと復活した。こうして日本人は、おそらく世界中で一番「まともな人
	種」として今日存在し続けている。』

	これが私の唱える「日本列島敗者復活論」である。私が人類学者であったなら、おそらく同書のデータや
	研究結果を用いて学術論文の一つも書けるのだろうが、生憎一介の書生に過ぎない。しかし今日のDNA
	研究の成果が私の持論と図らずも一致し、私の視点も満更ではないなと自賛すると同時に、DNA分析と
	いう学問のもたらす、揺るぎない科学的な研究成果にも驚嘆せざるを得ない。

	ネアンデルタール人のような、殆ど我等が祖先と思えるような旧人や原人達が過去幾つも生存し、長い間
	人類(ホモ・サピエンス)とも共存し続け、やがて絶滅していったというストーリーを復元出来るのは、
	おそらく考古学や言語学などが単独ではなし得なかった成果だろう。「学際的研究」の益々の発展をのぞ
	みたいものだ。
	もしネアンデルタール人が滅亡せず、ホモ・サピエンスと同様に進化して今日まで生き残っていたとした
	ら、世界は一体どういうことになっていただろうか。

	【参考資料(出典)】
	・ウィキペディア
	・ウィキメディア・コモンズ
	原著論文:Richard E. Green et al. "Analysis of one million base pairs of Neanderthal DNA"。
		 Nature Publishing Group、2006年11月16日。
	原著論文:James P. Noonan et al. "Sequencing and Analysis of Neanderthal Genomic DNA"。
		 AAAS、2006年11月17日。
	・ネイチャー誌の特集: "Neanderthal DNA"。Nature Publishing Group、2006年11月16日。
	・『ネアンデルタール人:DNA、99.5%ヒトと同一』。毎日新聞、2006年11月16日。
	・増満浩志 『「旧人」ゲノム解析へ、化石人骨でDNA解析に成功』。読売新聞、2006年11月16日。
	・『ネアンデルタール人DNA、断片解析に成功 米独チーム』。朝日新聞、2006年11月16日。
	・『DNAでたどる日本人10万年の旅』多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか? 
	 2008年1月20日 (株)昭和堂



<参考>

	6万年前に人類が手に入れた脅異の能力とは? ネアンデルタール人との決定的な「遺伝的違い」が明らかに

	2016.3.31(木)   矢原 徹一 

	

	ヒトは約6万年前にアフリカを出て世界中に広がり、その後今日に至るまで人口を増やし続けてきた。そして
	この6万年間を通じ、科学や芸術を発展させて文明を築き、産業や貿易を発展させて地球規模の市場を築き、
	地球環境を大きく変える力を手に入れた。
	たった一種でここまで地球環境を変えた生物は、生命の歴史上初めてだ。ヒトはわずか6万年の間に、どうや
	ってこれほどの力を手に入れたのだろうか。
	?その謎を解く手がかりが、ヒトゲノムの研究から得られてきた。今回はその最新の成果を紹介し、ヒトとい
	う種の驚異的能力の背景について考えてみよう。

	ネアンデルタール人との出会い

	「ヒト(ホモ・サピエンス)」はアフリカで進化し、約6万年前にアフリカを出て地球全体にひろがったのだ
	が、実はヒトより先にアフリカを出てユーラシア大陸にひろがったホモ属の化石人類が少なくとも2種いたこ
	とが分かっている。
	?その一方は、西アジアからヨーロッパにかけて広がった「ネアンデルタール人」であり、1829年に子どもの
	頭骨が発見されて以後、ヨーロッパ各地や西アジアから多くの骨格化石が発掘されてきた。
	そのネアンデルタール人は、約4万年前に絶滅した。約4万5000年前に起きたヨーロッパへのヒトの分布拡大
	がネアンデルタール人を絶滅に追い込んだ可能性が高いが、両者の分布が接触したときにいったい何が起き
	たのか、よく分かっていなかった。
	ネアンデルタール人の骨格化石には、ネアンデルタール人のDNAが残っている。そのDNA配列を決定できれば、
	ネアンデルタール人とヒトとの違いが明らかになり、ネアンデルタール人がなぜ絶滅したか、ヒトはなぜ急
	速に地球全体に広がったか、などの疑問に答えることができるかもしれない。
	こう考えて、ネアンデルタール人のDNA配列決定という困難な課題に挑んだのが、マックスプランク進化人類
	学研究所のSvante Paabo(スヴァンテ・ペーボ)博士だ。

	ネアンデルタール人の骨から得られるDNA分子は、細かく断片化しているので、その配列決定は困難をきわめ
	た。しかしPaabo博士は技術的改良を重ね、2010年についにネアンデルタール人の全ゲノム配列(遺伝情報が
	書きこまれたDNA分子の全配列)をサイエンス誌の論文で公表した。
 	その配列を世界各地のヒトのゲノム配列と比べた結果、ヨーロッパの現代人集団では、ゲノムの1〜4%の配列
	がネアンデルタール人に由来することが分かった。
	一方、アフリカのヒトのゲノム中にはネアンデルタール人に由来する配列は見つからなかった。つまり、ヨ
	ーロッパに進出したヒトは、ネアンデルタール人と交雑し、その遺伝子の一部を取り込んでいたのだ。

	デニソワ人とも交雑していた

	この、ネアンデルタール人ゲノムプロジェクトが進行しているさなかのことだ。西シベリアのデニソワ洞窟
	で2008年に発見された子どもの指骨のサンプルがPaabo博士のもとに届けられた。
	この骨から一部のDNA配列を決定したPaabo博士は驚愕した。その配列は、ネアンデルタール人ともヒトとも
	異なるものだったのだ。
	「デニソワ人」と名付けられたこの化石人類のゲノム配列もまた2010年に決定され、世界各地のヒトのゲノ
	ム配列と比較された。その結果、メラネシア(ニューギニアとその東側の島嶼)の先住民集団のゲノム中に
	は、デニソワ人由来の配列が4〜6%存在することが明らかになった。ヒトはデニソワ人とも交雑していたので
	ある。
	つまり、ヒトはネアンデルタール人・デニソワ人それぞれの遺伝子をとりこんだ「雑種」ということになる。

	ここまでの研究史は、Paabo博士による著作『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋)にいき
	いきと描かれているので、興味をもたれた方はぜひ一読されたい。この著作が出版されたあとも、研究は着
	実に進展している。

	新たに明かされた交雑の経緯

	先月(3月17日)には、デニソワ人・ネアンデルタール人とヒト交雑の歴史をゲノム情報の詳細な統計学的解
	析によって解明した論文が、サイエンス誌に掲載された。
	ワシントン大学のBenjamin Vernot(ベンジャミン・ベルノー)博士らがPaavo博士とともに発表したこの論文
	によれば、ヒトはネアンデルタール人と少なくとも3回、デニソワ人と1回交雑し、これらの化石人類から遺伝
	子を取り込んで、新しい環境に適応した。
	ヒトとネアンデルタール人との最初の交雑の痕跡は、ヨーロッパ・東アジア・メラネシアの人類集団に共通し
	ているので、ヒトの祖先が約6万年前にアフリカから西アジアに進出したときに起きたと考えられる。

	ヨーロッパと東アジアの人類集団のゲノムには、ネアンデルタール人との2回目の交雑を示す痕跡があるが、
	この痕跡はメラネシアの先住民ゲノムにはない。したがって、おそらくメラネシアの先住民の祖先は2回目の
	交雑が起きる前に西アジアを離れ、メラネシアにたどりつく過程で、デニソワ人との交雑を経験したに違いな
	い。
	西アジアから東に向かったメラネシアの先住民の祖先は、おそらく船を使って沿岸部を移動したものと思われ
	る。なぜなら、考古学の証拠によれば、ヒトの祖先集団がオーストラリアに侵入し、大型の有袋類(カンガル
	ーの仲間)の種を次々に滅ぼしたのは、約4万5000年前である。
	つまり、西アジアからオーストラリアへのヒト集団の移住は、わずか1万5000年の間に起きたのだ。この素早
	い移動を可能にしたのは、船を使う技術だろう。
	一方、東アジアの人類集団には、上記の2回とは別の(3回目の)ネアンデルタール人との交雑の痕跡がある。
	メラネシアに向かった集団とは別の集団が、少し遅れて東アジアに広がる過程で、この3回目の交雑が起きた
	のだろう。日本人を含む東アジアの人類集団は、ネアンデルタール人と過去に少なくとも3回の交雑を経験し
	た雑種の子孫なのである。

	交雑により環境適応力が向上

	このような種間交雑は、植物では古くから知られている。私は植物の研究からスタートしたので、違った地域
	に隔離されて進化した種が出会えば、交雑するのは当たり前であることをよく知っていた。
	しかし、私が学生だった40年前には、動物の種は生殖的に隔離されているもの(互いに交雑しないもの)とい
	う考えが支配的だった。私見だが、この固定観念は、「種」という概念に不変性や純血性を求める人間の心理
	的傾向と結びついていたように思う。

	同じ祖先から分かれた2つの集団が地理的に隔離されて違った環境で暮らせば、自然淘汰によってそれぞれの環
	境への適応が生じ、やがて違った性質が進化する。このようにして異なる進化の道筋を歩んだ集団が、2次的に
	接触することは、生物進化の過程ではしばしば起きる。このような接触が起きたとき、2つの集団の間にはしば
	しば交雑が起き、遺伝子が入り混じる。
	今日では、このような交雑によって、適応進化が加速されることが分かっている。「最強のイノベーション
	『生命の進化』に学ぶ3つの掟」で紹介したように、有性生殖による遺伝子の組み換えは、莫大な数の組み合わ
	せを作り出し、この「組み合わせ」の多様性が適応進化を加速するのだ。
	新しい環境に進出し、そこへの適応を迫られた種にとっては、すでにその環境に適応した別の種と交雑して、
	その種から適応的な遺伝子を取り込むことが、効率の良い進化の手段なのである。
	実際に、ネアンデルタール人からヒトの集団に取り込まれた遺伝子には、皮膚や免疫系の遺伝子など、環境適
	応に貢献したと考えられるものが見つかっている。