2015年夏 フランス・ドイツ紀行 五日目 2015.6.11



	
	2015.6.11.(木曜日)  ジベルニー村からエトルタへ
	
	今日も又4:00頃起床。昨夜洗った洗濯物を取り込み、荷物の整理をして7:00頃散歩に出る。女主人が門を
	開けていて、その先に教会があるから行って見たらと勧める。小さな村の教会で、鎮守の森のような林に包まれた
	静寂な教会だった。
















	林の中にあるこじんまりとした教会だ。おそらくこの村の信者達の教会なのだろうが、入り口にはカギがかかって
	いて、ガラス越しに中を覗くと、綺麗なステンドグラスのある立派な教会だった。





















	
	8:00過ぎ朝食。check-out を済ませ、9:00頃出発。まずモネの墓に詣でようと思ったが、また昨日のモネ
	の家のある通りへ出るのは時間のロスと言う事になったので、今日はルーアンからルアーブルを経て、エトルタへ
	真っ直ぐ向かう事にする。途中寄れるならルーアンとその周辺の都市に寄りたかったが、今日の行程は大分ハード
	なので、ルーアンでノートルダム大聖堂に寄れただけだった。



ノートルダム大聖堂
	
	1145年、ガロ・ローマ時代の教会跡に建設された大聖堂である。1200年の大火に見舞われるが、ノレマン
	ディー公で英国王のジョン欠地王の寄進によって再建され、14世紀には南北の翼廊に大きな入り口が作られた。
	何世紀にもわたって改修を繰り返し、15世紀のステンドグラス、19世紀に完成した152mの尖塔が見所であ
	る。


	
	ルーアンはノルマンディ地方の主要都市であり、人口10万人を擁している。セーヌ川河口に開けた街で、遠くロ
	ーマ時代からの歴史を持つ為、街全体が美術館とも称される。
	フランス第三位の商業港も持っている。911年にはノルマンディー公国の首都になり、1431年にジャンヌ・
	ダルクがここで火あぶりの刑に処せられた。17世紀にはフランス第二の都市と成り、陶器、ガラス製造、繊維業、
	印刷業などで大いに栄えたが、その街の繁栄は第二次世界大戦で悉く灰燼に帰し、その回復には何十年も費やした。
	それでも、高い尖塔を持つノートルダム大聖堂、15、6世紀のゴシック様式を持つ裁判所、ローマ時代に敷設さ
	れた大時計通りなど、歴史深い建造物も多く残っている。



まことに恐ろしい建物だ。よくまぁこれだけチマチマとした彫刻で飾って、しかもこんなに高く。

























	
	モネはこの大聖堂の西正面をモチーフにした絵を30点以上描いている。彼は季節や時間によって様々に変化する
	大聖堂の美しさに魅せられ、光の移り変わりによって建物の相貌が変わってゆく様を描いた有名な連作を仕上げた。
	昼は雄大、夜は繊細と表現されるこの大聖堂は、どこから見ても圧倒されるし、内部のステンドグラスはさすがに
	素晴らしい。







ジャンヌ・ダルクの像。
	内部の礼拝堂にはジャンヌ・ダルクの像が安置された一画があった。ここはジャンヌ・ダルク終焉の地でもあるの
	だ。
	この大聖堂から北西へ400m程行った広場に、ジャンヌ・ダルク教会がある。旧市場広場と呼ばれる広場で彼女
	は火あぶりになった。15世紀の英仏百年戦争のさなかに突如登場し、フランスを救った救国の少女は、彼女を快
	く思わない一派によって魔女の疑いを掛けられ、火刑となった。フランスを救ったこの少女に「聖女」の称号が与
	えられたのは、なんと1920年になってからである。









壁一面に並ぶ彫像は、司祭や、歴代のノルマンディー公達のもの。





大火にあったマリア像(だったと思う)。







これはwifeが写したものだが、どこだか良くわからない。恐らく途中のSAあたりで写したものだろうと思う。



	
	ここから大いに迷う。セーヌ川に沿って西へ行き北上する事でエトルタへ行き着くはずが、どうも道がわからない。
	ナビもエトルタと中々入力を受けつけない。道を間違った気がしてならない。しまいに現在地もロスしてしまい、
	大きなスーパーの駐車場に車を止め、そこにいたスペイン人3人組のオッサンに道を尋ねる。もう殆どエトルタの
	近くまで来ていると思っていたのだが、何とまだ40kmもあった。どこでどう間違ったのか。程なくナビがよう
	やく動き出して,それに従い約40分程で、なんとかエトルタに到着できた。やれやれ。






	
	2つの断崖に挟まれた素晴らしい光景の浜辺の街である。ホテルを探し、少し離れた駐車場に停車し、荷物をガラ
	ガラ押していってなんとかcheck-in。古そうな木造の、いかにもという古式ゆかしいホテルの階段を、大きな荷物
	を必死で部屋へ上げる。エレベーターなどない。この街でも一二を争う古いホテルらしい。一階はレストラン兼パ
	ブのような居酒屋である。














ホテルの部屋から見たエトルタの繁華街。



我々の部屋の向かいのホテル、と、エトルタ海岸。







	
	2つの断崖は登れるというので、早速ホテルに近い方に登りに行く。2つともはとても登れないのでちかい方だけ
	にしておこう。海岸には沢山の観光客がいて、それぞれのバカンスを楽しんでいる。モネやクールベもこの地の光
	景を描いていて、海岸ベリにはそれを説明した看板もある。息せき切って20分ほど断崖の道を登りきると、頂上
	は広く、教会と何やらモニュメントが立っている。















「2つの崖に挟まれた海辺の街」という形容がぴったりの光景。それにしても真ん中の線は何やろう。



	
	モニュメントへ近づいて見ると、パリ−NYK間無着陸飛行に挑み、大西洋上で消息を絶った2人のパイロットの
	記念碑だった。消息を絶つ直前の、ここが最終通過地点だったのだ。説明板は全部フランス語なので詳細はよく分
	からなかったが、成し遂げようとした偉業のすごさはわかる。原寸に飛行機をかたどったコンクリートのモニュメ
	ントもあって、その上に乗れるようになっている。









リンドバークより数ヶ月前に、この二人がパリ−NYK間を飛ぼうとしたのだ。それにしても独眼竜とは。







この大きさの単翼機で大西洋を越えようとした。上にのって歩くと飛行機の大きさがわかるようになっている。





二人の不幸の後、NYKからパリへの飛行を成功させたリンドバークの
説明もあった。「翼よ、あれがパリの灯だ」というセリフは有名。



上はクリックで大画面になります。



また上って来た道を下る。上には駐車場もあったので、どっか裏から車で登ってこれたんだ。













エ(絵)が抜けている。




	
	ホテルへ戻り、レストランの部屋は一杯だったので、外にせり出したテーブルで夕食にする。私は「Seafood・・」
	と言うのを注文したら、大きな丼のような器が貝だらけ。貝、エビ、カニのオンパレード。私は貝は好物なのでい
	いのだが、それにしても量がはんぱでは無い。昔ロスに出張したときも、日本で言えば4〜5人で食べる量の寄せ
	鍋が1人分と聞いて大いに驚いたが、この丼も負けていない。wifeは貝はあまり好きでは無いので、殆ど一人で食
	べたが、それでも3分の1近くは残ってしまった。










	
	夜、雨になる。ドーバー海峡に細かい雨がシトシトと降り続く。wifeはもう寝てしまっている。このエトルタは
	「アルセーヌ・ルパン」の作者、モーリス・ルブランが住んでいた所である。その家は今も残って居る。ルパンは
	ここで誕生したのだ。他にもフランスの文化人たちにこの地は好まれ、エトルタは一時文化村の様相を呈していた。
	多くの画家達、音楽家、俳優等々がこの地を愛した。断崖の途中からや頂上から見た光景は確かに素晴らしかった。

	ドーバー海峡に降る雨と、それを眺めている遥か東方から来た中年のオッサン。萩原朔太郎が見たかったのはこう
	いう光景だったのかもしれない、と思うと実に感慨深い。暫く窓の外の驟雨を眺めて、物思いに耽った。明日でフ
	ランスを一旦離れ、ベルギーへ入る。

	フランス第五夜が更けてゆく。