2015年夏 フランス・ドイツ紀行 二日目 2015.6.8



	
	2015.6.8.(月曜日)  カルナック遺跡と博物館
	
	ホテルの部屋は広い。American suitsという形式で、日本人なら5,6人は眠れそうなベッドを持った寝室
	と居間それにバスルーム。なかなかいい部屋である。昨夜は10時頃寝たが、12時、1時、2時と一時間
	おきに目が覚めるので、とうとう3時半頃起き出して、荷物の整理を始める。ヒゲを剃り髪をセットして、
	5時前wifeも起きてくる。このホテルで朝食も込みだと思っていたが、wifeが朝食は抜きと言うので、じゃ
	もう6時頃出発しようと言う事になった。



	今日は、フランス先史時代の巨石文化遺跡「カルナック」へ行くので、パリから500kmを走る。ホテル
	はその100km程手前なので、ホテルへ寄って荷物を置いて遺跡へ行こうという事になる。6:30分チェ
	ツクアウト。



	どうもうまくナビに入力できない。仕方が無いのでIPADでフランスの地図を出して、これを頼りに今夜の宿
	があるレンヌを目指す。前回フランスへ来た時、ぶ厚いフランスの道路地図を買ったのに、今回其れを忘れ
	てきてしまった。なんたるドジ。



	例によって迷走の連続。住宅地へ迷い込んだりパリの外周を廻ったりと1時間ほどロスした。ナビがなんと
	か動き出したのでレンヌの手前にあるF1で有名な「ル・マン」を入力。高速に乗った。



	9:30頃、途中のSAでクロワッサンと卵料理を食べる。1時過ぎ、レンヌの南にある今夜の宿に着いた。
	シャトー何とかの側だったが、土産物屋とホテルが一緒になった大きな建て物は、驚く事に全部ドアが閉ま
	っていた。そうか、昼寝タイムだ。
	イタリアへ行った時、事故を起こしてその対処策を聞きにシエナのレンタカー事務所を訪ねた時も、昼寝タ
	イムで事務所は閉まっていて焦ったが、今回もその時間に到着したのだ。



途中休憩してクロワッサンを食べたSAの中庭。綺麗に整備してある。



シャトーの駐車場に車を止めてホテルを探す。どん突きに見えている建物のようだ。


	
	上が今夜の予約を入れてあるレンヌのホテル。土産物屋や食堂と一緒になっているらしい。大きい。
	内部に向かって声を掛けてみたり、ドアやガラスを叩いたりしてみたが、誰も出てこないし、廻りには
	人も通っていない。こんなに大きいのに一人もいないのだ。


	仕方が無いので、CHECK-INは諦めてカルナックを目指す。高速を降りて地を走り、また高速へ乗ったり、
	大きな見本市のような所で何人かのフランス人やドイツ人達に道を聞いたりしながら、やっとの事で、
	15:30分頃カルナックに到着した。



	カルナック列石は、ブルターニュ地方最大の巨石遺構で、巨大なメンヒルが総延長およそ4kmにわたり
	数列に並んでいる。遺跡は三つの列石群からなる。これらメンヒルが並べられていったのは、放射性炭素
	年代測定により紀元前4千年〜2千年頃と考えられ、エジプトでピラミッドが建設されていた時代であり、
	我が国では三内丸山の縄文集落が全盛期を迎えていた頃である。これらの遺跡は、古代ローマが進入する
	以前のケルト文化より、さらに以前に文化があったことを物語っている。



この林の間が駐車場である。右手の木々の後ろに道路がある。



	カルナックの町全体は市街地と海岸地区に分かれ、巨石群は市街地から1〜4kmの草原地帯に点在する。
	町の南側海岸地区には、全長1km以上のビーチが広がっており、夏は海水浴客で賑わう。我々の今夜の
	宿は、この海岸側のホテルにした。レンヌのホテルを取りやめた経緯については後述。










	
	遺跡は三つの巨石群に分かれているので、これらをトレインの形をした電気自動車が結んでいる。結構
	乗客は多い。年寄りばかりでなく若者も乗っている。勿論我々は歩く。



	
	結構有名なヘリテージ(遺跡)と見えて、大勢の人で溢れている。ちょっとした観光地並だ。当たり前
	だが、松林の中の駐車場にはヨーロッパ車がずらり。松林の裏を道路が通っていて、通路を挟んで駐車
	場の反対側に遺跡はあった。夥しい巨石が延々と並んで立っている。何だこれは!


	  
	駐車場に車を入れ、列石群へ歩き出すとすぐガイダンスがある。と言ってもどちらかと言えばお土産屋
	である。絵はがきや本、カルナック遺跡の全体地図や巨石をあしらったTシャツ等が売っている。日本
	語の資料は無かったので、英文の、写真が一杯載っている遺跡説明書を買ったが、はたしてどこまで読
	めるものか。ここでの写真の何枚かはこの本から転載した。























左手奥にガイダンス施設がある。右手の林の中が駐車場。上の道路を右方向へ行けばカルナックの町の中へ入る。







夥しい石の数だ。



以下の3枚の写真は、クリックすれば拡大します。







	カルナック (Carnac、ブルトン語: Karnag)は、ブルターニュ地方モルビアン県のコミューンにあり、
	バンヌの西キブロン湾沿いにあるこじんまりした町である。カルナックという名前は、ケルト語のCairn
	またはCarn(塚、小高い丘)から生じた。

	(*)
	コミューン(commune)は、フランスにおける基礎自治体、すなわち地方自治体の最小単位である。日本
	の市町村にあたるが、フランスには日本のような行政上の市、町、村の区別はない。地図上に「都市」も
	「村」も存在しない。
	人口80万人のマルセイユも、200人程度のカマンベールもコミューンである。そのため、通例、日本
	の自治体の規模と翻訳者の主観に合わせて「マルセイユ市」、「カマンベール村」のように恣意的に翻訳
	される。人口がほぼ日本の半分のフランスに、日本の市町村数の20倍ほどの3万8千のコミューンがあ
	り、規模は日本の市町村より小さいものが多く、コルビエールのように人口が26人のコミューンもある。
	ロッシュフルシャの人口は1人である。[出典: ウィキペディア]



	紀元前5千〜三千年に、この地方にいた住民が、メンヒル(ケルト語で長石、立石の意味)という直立し
	た巨石を野原に並べていった。第二次大戦後の整備によって、それは「カルナック列石」(Carnac stones、
	Alignements de Carnac)という先史時代の巨石群遺跡として有名になった。まだ認定されていないが、
	フランス政府は世界遺産の暫定リストにここを載せている。



	カルナックの巨石群のうち、最も規模が大きいのがケルマリオ巨石群(Alignements de Karmario)で、
	計1029個のメンヒルが、1.2kmに渡って10列に並んでいる。その西側のメネック巨石群
	(Alignements du Menec)には1169個の巨石が並ぶ。ケルマリオの東側にはケレスカン巨石群
	(Alignements de kerescan:巨石数594個)があるが、これら3地区の外側にも単独で立つメン
	ヒルやいくつかの古墳が散在している。





  	イギリスのストーンヘンジや日本のストーンサークル(立石)のように、いくつかの石がこじんまりと
	並んでいるのでは無い。延々と視野の及ぶ範囲に列石が続いているのである。この配石に費やされたエ
	ネルギーは、一体いかなる情念によって醸し出されたものであろうか。これだけ広範囲に広がった列石
	群を見ていると、デニケンが嘗て言ったように、空から舞い降りてくる人々の為と言うのが一番あたっ
	てそうな気もしてくる。





 	一人二人の仕業では無いので、おそらくは指揮を取る首長やリーダー達の指図の元、数十人或いは数百
	人という古代人達が黙々と石を並べていく作業に従事したのである。そしてその目的もあったはずだ。
	なぜ自分達がこんな作業をしているのか、全くわからずに作業をしたとはとても思えない。首長から
	「何かの為に」という目的を聞いて、みんな賛同してこの作業を行ったように思える。





	前述したように、その目的が何であったかを推し量ることは、数千年後の我々には到底出来ない。しかし
	目の前に、そのエネルギーの結実した成果がある。





	イギリスのストーンヘンジに来た時のような感動だ。しかも紀元前6千年前に立てたと言う説もあるそうだ。
	信じがたい。何の為に先史人たちはこんな物を立てていったのだろうか。遺跡は、ケネック、ケルマリオ、
	ケレスカンという3つの巨石群にわかれている。










メネック巨石群









下2枚の写真はクリックすれば拡大します。





	イギリスのストーンヘンジに匹敵する大きさの巨石もある。立てられた時期については紀元前五千年頃と言う
	説もあるそうだ。俄には信じがたい。本当に、何のために先史人たちはこんなものを立てていったのだろうか。
	遺跡はケルマリオ巨石群、メネック巨石群、ケレスカン巨石群と3地区に別れているが、もう午後五時近くで、
	博物館が閉館するかも知れないので、取りあえずケルマリオとメネック地区を見て「カルナック考古博物館」
	(Musee	de Prehistoire de Carnac)を先に見に行く事にした。この遺跡の詳細はそこを参照されたし。





	博物館にはこの他夥しい遺物が展示されているが、とてもここには全部を記載できない。博物館を見学して
	いる途中でwifeが恐ろしいことを言い出した。今夜はこのカルナックから100kmほどのレンヌへ戻
	ってそこの宿に宿泊予定だったのだが、レンヌは昨夜の予約だったかもしれないと言う。何、何じゃそれは!
	じゃ今日は宿無しか。国際電話したり、ストックしている書類を幾ら見ても、昨夜がダブルブッキングだっ
	た気配が濃厚になった。だとすれば、レンヌのホテルからはやがてCANCEL料の請求が来るだろう。
	それは仕方が無いとしても、さしあたっては今日の宿だ。焦った。

	大急ぎで博物館を出て、近くのインフォーメーションで、お姉ちゃんにホテルのガイドブックと付近の地図
	を貰う。カルナックにはホテルがあまりないような事が日本のガイドブックには書いてあったのでレンヌに
	ホテルを取ったのだが、貰ったガイドブックを見るとカルナックにも多くのホテルがある。そういう事なら、
	今からまた100kmも戻るより、今夜はもうこの近くのホテルにしてシーフードパーティーといこうと目論
	んで海を目指す。



	海岸べりに何軒も建っているなかで、Le Charchileというホテルに飛び込んだが、これが当たり
	だった。





ホテル 「ラ・チャーチル」 フランスなのになにゆえチャーチル?などとヤボは言うまい。
イタリアのフィレンッエで泊まったホテルは「ホテル・パリ」だったし、附近には「ホテル・ロンドン」もあった。






	ベランダのすぐ前が松林で、松林の向こうに海が見えている。入らなかったが広いプールもある。部屋は広
	く、バスタブとシャワーも独立してある。wifeも感激してここに決めた。一番良い部屋を選んで130
	ユーロ。日本円1万8千円くらいだ .
           














このオッパイみたいなものはトイレット・ペーパーだ。引っ張って使う。

















いやぁ、極楽、極楽。フランスで大西洋を眺め一服できるなんて、夢のようですなぁ。



	宿も決まり、荷物も運び込んだので安心し、それから残りの遺跡、ケレスカン巨石群を見に行くが、見学し
	た後またまた道に迷ってしまった。ナビもフランス語で設定の仕方がわからなくなったし、道を聞いたオジ
	サンもどうも巧く説明できない。たぶん我々の聞き方がマズイのだとは思うが。

	カルナックの街中は非常に入り組んでいて、似たような道がいくつもあり、一度通ったのに、遺跡も博物館
	も分からなくなった。こりゃホテルを探せんかったらヤバイぞ。取りあえずホテルへ戻ろうと、太陽の沈む
	方角を西とみて地図と照らし合わせ、なんとかホテルへ戻る道を見つけた。ワンゲルで鍛えた方向感覚が役
	にたった。「それなら迷うことはないやんか」という声も聞こえそうだが、ま、とりあえずホテルには戻れ
	た。



	日本の漫画で覚えた日本語を幾つか知っているという黒人のフロントマンが、「とべー」とか「あやしいぞー」
	とか言いながら、道に迷った我々に同情しつつ、シーフードの旨い店を教えてくれたので、車を置いて夕食
	に出掛ける。駐車場は「on the road」という事でイギリスと同じように路上だった。道の両側に
	沢山泊めている。





	私はシュリンプカクテル、サーロインステーキ、デザートにクレープのチョコレート包み、wifeはヒラ
	メのムニエルを注文し、例の如く半分ずつ食べては交換する。白ワインを一本、ほぼ一人で空けてヘベレケ
	になった。







   	こりゃ半年掛けてDIETしたものが、今回の旅で元の木阿弥かもしれん。潮風を頬に受けながら、千鳥足
	で海岸をウロウロしたり、カモメを追いかけたりしながらホテルへ戻る。倒れ込むようにベッドで横になる。
	フランス第二夜が更けていった。





ディナーが済んでもう9時を廻っているはずなのだが明るい。ヨーロッパの夏は昼が長い。






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