2010年夏 フランス紀行 2010.7.4 Rouffignacの洞窟壁画を見に行く





	
	Rouffignacの洞窟壁画 世界遺産

	フランス南西部のヴェゼール渓谷には、147の集落跡と26の壁画が描かれた洞窟群からなる遺跡が残っている。Rouffignac
	の洞窟もその一つである。
	"Grotte de Rouffignac" は、黒ペリゴールの北、バラードの森 Foret de Barade の奥にある Rouffignac村 から2,3km離
	れた山中の道路沿いにある。地下水によって削られた洞窟が全長10kmにも及ぶ。「百頭のマンモスの洞窟 Grotte des Cent 
	Mammouths」と呼ばれるこの洞窟に、先史人達によって多くの動物壁画が描かれている。マンモスの洞窟壁画は例が少なく、こ
	この壁画に描かれた動物全体でも8%という。馬と牛がそれぞれ30%を占めている。洞窟全体で150頭近くのマンモスが描
	かれているが、Rouffignac 以外の洞窟には殆ど例がない。Rouffignac は、特殊な壁画洞窟ということになる。壁画が描かれた
	時期が、マンモスが絶滅し出した時期と重なるのは興味深い。動物は黒い線描か線刻で描かれている。

	日本でよく発掘されるゾウの化石種ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni はマンモスとは異なるPalaeoloxodon 属に分類され
	る。学者によってはアジアゾウと同属のElephas 属とする場合もある。

	最古のマンモスは、約500万〜400万年前、北アフリカにおいて生まれたと考えられている。現在の定説は、およそ次のとおり。
	
	700万〜600万年前に、アフリカゾウの仲間(Loxodonta属)から、「インドゾウとマンモスの共通の祖先」が分岐した。さらに
	600万〜500万年前に、その「インドゾウとマンモスの共通の祖先」から、インドゾウの仲間(Elephas属)とマンモス
	(Mammuthus属)に分岐した。
	Mammuthus subplanifronsは、約400万〜300万年前に生息したとされる最古のマンモスの一種で、南アフリカ共和国、ケニヤなど
	から化石が出土している。チャド、リビア、モロッコ、チュニジアで見つかった Mammuthus africanavus も最古期のマンモスと
	信じられ、一説に約480万年前に生存したとされるが、出土したのは臼歯と牙のみであり、これら「最古のマンモス」については
	異論もある。
	約300万〜250万年前、アフリカからヨーロッパに北上して移住する過程で、マンモスは新しい種Mammuthus meridionalisを誕生
	させた。さらに、アジア、シベリアを経て、約150年万年前には北米大陸まで広がった。当時シベリアとアラスカの間にベーリン
	グ海峡は存在せず陸続き(ベーリング地峡)だったため、自由に往来ができた。(以上、青字部分は、ウィキペディアより)。



	
	2010.7.4(日)晴れ カンカン照り

	二十分毎に三台のトロッコが、一緒に出発する。一台のトロッコが二両の客車を引いている。勿論屋根などない。箱にそのまま
	乗っている感じだ。前の回に出発して戻ってくるトロッコと洞窟内で離合する。スイッチバック方式で離合したのには驚いた。
	洞窟内は狭く、当然単線しか引けないので、離合用に線路を伸ばしてあるのだ。ここもラスコーと同じくフランス語の解説しか
	無かったが、ジェスチャーと何と無く解るフランス語で面白かった。

	ラスコー同様ここも世界遺産である。入口には小さなマンモスのモニュメントがあるだけで、何の表示も無い。驚く。





洞窟へ少し入った所にこれが立っているだけだ。





この柵の前で次の回の見学者が待つ。我々の直前で前の回が締め切り、1番前でまた20分待たされた。





柵内には、トロッコの乗り場までの間に、売店や自動販売機、説明パネルなどが並んでいる。









入口から5,60mほどの所にトロッコ電車が待っている。レール以外には何も設備はなく、「さぁ乗れ」とばかりにトロッコがポツン。







	
	このルーフィニャック洞窟の壁画は、トロッコに乗って見学するようになっており、約1時間のコースである。途中マンモスや
	バイソンの壁画をトロッコから眺め、洞窟の奥深くの広場でいったん電車を降りて説明を聞く。ガイドは一人でトロッコを操り、
	解説する。壁画のあるところで止まって灯をつけ、ライトで照らして説明する。許可されたところでしかトロッコを降りること
	はできない。







	
	洞窟の中は相当に寒く、ガイドブックに従ってヤッケを持参していて正解だった。ラスコーに比べると、芸術性はそう高くない
	が、マンモスを線刻画で描いているのには驚いた。先史人の見たマンモスの絵が今も鮮やかに残っているのだ。しかもレリーフ
	にしたり、ラスコーと同じように遠近法を持ちいたりして、躍動感溢れる壁画として描かれている。馬も描いてある。

	この洞窟はラスコーとちがって、入口が常時開いていたために、16世紀頃から人がたびたび入り込んでいたらしい。いくつか
	の落書きは、19世紀に入り込んだ人間が描いたものであることがわかっている。一時は熊も冬眠に利用していたようで、いた
	るところに熊の爪あとが残る。ここの岩壁や天井の表面は柔らかく、ひきずるように残した爪指の跡が天井や壁に残っている。

	上の大きな穴の中に、熊冬眠の痕跡が残っていた。Bear's Dens、熊の書斎だ。



	
	ガイドが、時々トロッコを停めライトを照らして説明し、最後に質問はないかと聞いているようだが、フランス語なのでさっぱ
	り解らない。幾つ目かの説明の時、「フランス語がわからなければ、英語の質問でもいいですよ。」と我々の方を見て言う。
	明らかに、こいつらはフランス語が解っていないなと知っているのだ。一台のトロッコには3〜40人が乗っていたが、どうや
	らフランス人でないのは我々だけのようだった。周りも我々の質問をまっている雰囲気なので、仕方なく意を決して、たどたど
	しい英語で、「ここにはマンモスの他に馬やシープも描かれているが、これらはみな同じ時代のものなのか?」と聞くと、
	「Same Ageです。約40〜35年前ですね」と言う。そんなに前から馬や羊が、今と変わらない姿でいたのか。驚いた。しかしその
	時代人たちの絵の上手いこと!下手な現代人たちより相当上手い。



	
	この地方には先史人の残した壁画洞窟が約30近くあり、幾つかはここのように乗り物に乗って見学できうようになっている。
	ロト県のパディラック洞窟 Gouffre de Padirac 、ル・ビュグ Le Bugue にあるプルメイサック洞窟 Gouffre de Proumeyssac
	などが有名。この Rouffignac の洞窟内は撮影禁止。一日の入場者は550人に制限されている。





	
	手を伸ばせば届くくらいの低い天井が広がるホール状の空間や、天井のあちこちにマンモスや鹿が描かれている。洞窟の奥は暗
	くて寒いので、ここに人間が住んでいたとは考えにくい。それこそ非日常的な空間、古代ギャラリーだったのかもしれない。







	
	世界の各地で、先史時代の人類とマンモスとの関わりを示す様々な遺跡が見つかっている。このルフィニャック洞窟やペシュ・
	メルル洞窟には、旧石器時代に描かれたとされるマンモスの洞窟壁画が残されているし、同じく旧石器時代のドイツのゲナスド
	ルフ遺跡からはマンモスを描いた石板が発見されている。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘さ
	れている。アメリカ合衆国のアリゾナ州からは、マンモスの化石の骨の間から、石でできた槍の穂先が見つかっている。この化
	石は約1万2千年前のものと考えられ、当時マンモスが狩猟の対象となっていた証拠とみなされている。
	1989年のワシントン条約によって象牙(現生ゾウの象牙)の輸出入が禁止されたため、代替として永久凍土から掘り出されたマ
	ンモスの象牙が印鑑などに用いられている。しかし、マンモスの象牙と偽って、禁止されている現生ゾウの象牙が密輸される事
	例が増えてきている。双方の象牙を区別する簡便な方法がなく、問題になっている。















	
	何かまるで漫画みたいな絵だ。暗い洞窟の中で、石製のランプに灯をともしながら一生懸命に描いたのだろう。
	マンモスは大型の象で、マンモス属 ( Mammuthus) に属する大型の哺乳類の総称である。現生のゾウの類縁にあたるが、直接の
	祖先ではない。約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していたとされる。

	全長3.2mに達することもある巨大な牙が特徴である。日本では、シベリアに生息し太く長い体毛で全身を覆われた中型のケナガ
	マンモス M. primigenius を指す場合が多いが、実際にはマンモスは大小数種類あり、シベリア以外のユーラシア大陸はもとよ
	り、アフリカ大陸・アメリカ大陸に広く生息していた。特に南北アメリカ大陸に生息していたコロンビアマンモスは、大型・短
	毛で且つ最後まで生存していたマンモスとして有名である。現在は全種が絶滅している。




上はこの洞窟の近くから発見された「鉄器時代」のもの。

	
	我々は二時前から並んでいたのだが、二時出発のトロッコには乗れず、二時二十分発のやつになってしまった。しかし一番前だ
	ったので快適だった。ガイドは若い兄ちゃんで、あまり熱心に説明するものだから、予定の一時間はゆうに越えてトロッコツア
	ーが終了した時は四時を廻っていた。
	
	以下はトロッコを降りたところから出口までにあった説明板。フランス語が判ったら面白かろうな、という感じの写真がたくさ
	ん並んでいる。ラスコーと同じで、入口と出口はすこし離れている。いずれにもここが Rouffignac の洞窟であるという看板も
	案内板もない。出口にマンモスのモニュメントがあるだけだった。





珍しい! ラクダの壁画だ。















ここらはアフリカの壁画やね。下は確かケニアの洞窟に描かれていたもので、デニケンが「これこそ先史人が宇宙人を見た証拠」と言っていた。















	
	洞窟の前に説明板や看板はなく、マンモスのレリーフがあるだけだった。洞窟前の道路に車を停めるのだが、ツアーが終わって
	みると、車の数は倍以上になっていた。洞窟の外に大理石の地層がむき出しになっていて、この土地全体が巨大な大理石の塊で
	あることがわかる。







	
	このヴェゼール渓谷には沢山の壁画洞窟があって、それぞれ独自に商業化している。上はそれぞれのパンフレット。下はその一覧
	のしおりで、先史時代の遺跡一覧表になっている。




このHPの壁画写真は、国立先史時代博物館があったレ・ゼジーの町で買った下の本から転載した。多謝。