2010年夏 フランス紀行 2010.7.4 国立先史時代博物館 −Prehistoire Musee−



	
	2010.7.4(日)晴れ カンカン照り

	博物館は、先史時代人達の住居跡である大きな石灰質の岩山の中に作られている。石器、石器、また石器の展示の中に、クロマ
	ニヨン人の骨やネアンデルタール人の復元レプリカ、ストーンサークルや太古の動物たちの骨などが所狭しと並んでいる。屋上
	へ昇ると、類人猿の巨大なレプリカが街を見下ろしている。その背後には、原始人たちの住居跡が建ち並ぶ、素晴らしい展示施
	設だった。





	
	国立先史博物館がある町:レ・ゼジー

	レゼジー‐ド‐タヤック【Les Eyzies-de-Tayac】 フランス南西部、ドルドーニュ県の村。正式名称はレゼジー‐ド‐タヤックシ
	ルイユ。単にレゼジーと略されることもある。クロマニョン人の骨が発見された地として知られる。16世紀建造のベナック領主の
	居城が現在国立先史博物館になっている。ドルドーニュ川の支流ベゼール川沿いに位置し、名称の由来となったクロマニョン洞を
	はじめ、ルムスティエ、ラ‐マドレーヌ、 フォン‐ド‐ゴーム、コンバレル、ルフィニャックなどの化石人骨が見つかった石灰
	岩洞窟が点在する。有名なラスコーの洞窟も含め、1979年に「ベゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟」の名称で世界遺産(文化遺
	産)に登録された。
	ちなみにレゼジーは人口1000人の小さな村だが、その景観と自然が大勢の観光客を呼んでいて、フランスのなかでも「最も美
	しい村」の一つに挙げられている。フランスには、「フランスで一番美しい村協会」という団体があって、ここが「最も美しい村」
	の選定をしており、現在フランス中で100ケ所くらい登録されているそうだ。



	
	Les Eyzies-de-Tayac 村にはアキテーヌ地方で最も数の多い先史時代の洞窟遺跡が残されている。その中でも、ソリュトレ文化期
	(後期旧石器文化)とマドレーヌ文化期(後期旧石器時代最後の文化)の彫刻画を持つロージュリー・オート(Laugerie-Haute)
	の遺跡は、進化した旧石器文化のまさに芸術を映し出している。
	フォン・ド・ゴーム洞窟( la grotte de Font-de-Gaume )の素晴らしい壁画はマドレーヌ文化期の代表的なものである。それよ
	り北にあるペール・ノン・ペール洞窟(grotte de Pair-non-Pair)の遺跡は、ムスティエ文化期(紀元前30000年)に遡る彫刻画
	で飾られている。この地方は、先史時代人たちの一大居住空間だった。





「国立先史博物館」そのまんまやね。















	
	1984年にケニヤの Nariokotome で発見されたホモ・エレクトスの骨とその復元。「Nariokotome boy」と名前が付いていた。
	ナリオコトメなんて米の銘柄みたいな名前だ。前の会社にいた、総務の武田君に似ている。



	
	この骨格は、ペンシルヴァニア州立大学のアラン・ウォーカー(Alan WALKER)氏とリチャード・リーキー(Richard LEAKEY)氏が、
	1984年にケニアのトゥルカナ湖西にある、ナリオコトメ遺跡で発見した。ホモ・エルガステル(Homo ergaster)の子供の全身骨格。
	この全身骨格は、約160万年前の約11歳から15歳のホモ・エルガステルの少年だと考えられている。体重約47kg・身長
	約1.5mで、成人すれば、体重約68kg・身長約1.8mに達したと推定されている。



	
	ホモ・エレクトス	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	ホモ・エレクトス 絶滅 (EX) 
 
	Homo erectus tautavelensis 
	分類 
	界  : 動物界 Animalia 
	門  : 哺乳綱 Mammalia 
	亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata 
	目  : 霊長目(サル目)Primates 
	亜目 : 真猿亜目 Haplorhini 
	下目 : 狭鼻下目 Catarrhini 
	上科 : ヒト上科 Hominoidae 
	科  : ヒト科 Hominidae 
	属  : ヒト属 Homo 
	種  : H. erectus 
	学名 
	Homo erectus
	Dubois, 1892 

	ホモ・エレクトス(Homo erectus)またはホモ・エレクトゥスは、更新世に生きていたホミニドの一種である。形態的特徴として、
	ホモ・ハビリス種に比べ額の傾斜がゆるく、大きな頭蓋の容量を持つ。脳容量は 950cc から 1100cc で、現生人類の75%程度。また
	歯はより小さく、現代人に近い。 行動面では、それ以前の人類よりも精巧な石器を作り、使用していた。

	ホモ属に含められる前はピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と呼ばれていた。この学名はジャワ原人発見の
	際に作られた。ピテカントロプスはギリシャ語のピテコス(pitekos 猿)、アントロポス(anthropos 人類)の合成語であり、猿人
	を意味した。なお、現在はピテカントロプス属は廃止されており、ジャワ原人の現在の学名はホモ・エレクトス・エレクトス(Homo
	 erectus erectus)であり、ホモ・エレクトスの亜種である。

	<種分類の異論>
	近年では、かつてホモ・エレクトゥスに含められていた以下の化石を別種とすることが多いが、亜種とすることもある。

	ホモ・エルガステル(ホモ・エルガスター H. ergaster) 
	トゥルカナ・ボーイを始めとするアフリカの化石 
	ホモ・ハイデルベルゲンシス (H. heiderbergensis) 
	ハイデルベルク人 
	ホモ・アンテセッサー (ホモ・アンテセッソール H. antecessor) 
	ハイデルベルク人に近いが時代が古い。

	<研究史>
	1890年代にウジェーヌ・デュボワがジャワ島でジャワ原人を発掘し、ピテカントロプス・エレクトスと名付けた。 
	1948年 ロバート・ブルームらが南アフリカのスワートクランズ (Swartkrans) でホモ・エレクトスの化石を発見。 



	
	上の本は、Alan WALKER氏とRichard LEAKEY氏が発見したこの「Nariokotome boy」、KNM-WT15000について記載したもの。原題は、
	『The Nariokotome Homo erectus Skeleton』で、1993年に、ハーヴァード大学出版から出版された。このKNM-WT15000とは、ケニ
	ア国立博物館所蔵西ツゥルカナ湖遺跡出土15,000番という意味。

	人類進化の洋書32.ナリオコトメ・ホモ・エレクトス  The Nariokotome Homo Erectus Skeleton
	価格:¥ 24,948(税込)発売日:1996-07-16 


	ところが西欧人とは全く面白い連中で、この事実を認めず、ケニヤ博物館からホモエレクトゥスの化石を撤去しようとする福音主
	義者たちがいるのである。ま、人類は神が作ったという視点からすれば、立って歩く猿など断固認めないというところだろうが。

	all Africa.comが転載したEric Wamanjiによる2007年1月12日付けのThe East African Standard (Nairobi)の記事、
	「Kenya: Evangelicals Wage Anti-Evolution War」によれば、福音主義者たちが博物館からのヒト科化石の撤去運動を行っている:

	Adoyo, the Chairman of Evangelical Alliance of Kenya that represents 35 churches with a membership of six million 
	faithful, says the theory confuses children who frequent the museum on educational tours. ...
	Saturday Standard has learnt that the alliance has enlisted a number of Western institutions to raise funds for 
	anti-hominid campaigns in the media and through religious sermons. ...
	The church plans to hold major demonstrations to the museum to press for the removal of the bones. 

	35の教会と600万の信者を持つケニヤ福音主義連合の代表であるAdayoは、進化論が博物館に出かける子供たちを混乱させると発言し
	た。 "Saturday Standard"は、ケニヤ福音主義連合が欧米の複数の機関をリストアップして、メディアおよび宗教説教による反ヒト
	科化石キャンペーンの資金協力を求めたことを知った。教会は、化石の撤去を迫る大きなデモンストレーションを博物館に対して行
	う予定である。


	猿人やホモ・ハビリスに比べると、脳容積は大きく(600−1200立方cm)、歯は小さい。脳頭蓋は低くつぶれた形で、眼窩(がんか)
	上隆起という眉の部分の出っ張りが目立っている。初期の原人の一部およびホモ・フロレシエンシス以外では、脚が長くなり体付
	きは現代人とほとんど変わらなくなった。オルドバイ型石器やアシュール型石器を作った。 









	
	フランスの先史時代	[博物館,美術館,資料館,展示会]HPより

	先史時代とは、中生代のあとに原始の人類が出現したときから文字が出現するまでの長い期間を指す。旧石器時代は紀元前30,000
	年から10,000年までの期間をカバーし、新石器時代、青銅器時代(紀元前4,000〜750年)、次いで原史時代、鉄器時代と続き、歴
	史時代、そして紀元元年を迎える。先史学は、第三紀鮮新世と第四紀更新世/完新世から成る地質区分と、そのときの人々ならび
	に彼らが使用していた道具を研究している。それはどのような人々であったのだろうか?

	人類最古の祖先アウストラロピテクス以来、人類は次第に頭部を高く掲げ、まっすぐに立って歩くようになる。ホモ・エレクトス
	(直立する人)からネアンデルタール人、ホモ・サピエンス、さらにはホモ・サピエンス・サピエンスヘと進化してゆく。

	19世紀以降積極的に発掘されてきたフランス各地の洞窟の中に、先史時代の史跡が残されている。先史時代には、簡単な丸い石
	に始まり、様々な道具を使った文化が次々と誕生した。アシュール文化期(前期旧石器文化)、ムスティエ文化期(中期旧石器文
	化)、アジル文化期(続旧石器文化)はその最も有名なものである。そして石器時代に続いて、青銅器時代、鉄器時代が続く。









山ほど石器があって、詳細に分類されて陳列されている。ここはフランスでも先史時代研究のメッカだそうだ。









	
	人類の誕生	出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』に加筆。


	<世界史をどこから始めるか>

	世界史は、人類の歴史を世界的な規模で対象とする歴史学の一分野です。歴史は、もともとは、過去の文献に基づいて過去の時代に
	あった事柄を研究する学問でした。そのことからすると、文字がない時代には歴史がないことになります。
	しかし、文献以外にも過去にあった事柄を知る方法はあります。そのなかでも重要なのが、化石や遺物、そして遺跡等の物的証拠で
	す。またいくつもの科学的な年代測定の方法を用いることで、いつごろの物なのかを推定できます。これらを調べると、いつごろ、
	どんなことがあったのかをある程度推定することができます。このような研究は考古学という学問分野とも接しています。
	人類の歴史のうち、文献のない時代を先史時代といいます。 ここでは、世界史を、先史時代から始めることにしましょう。
	世界史は、人類の歴史です。 では、人類は、いつから存在したのでしょう。 生物学では、人類(現生人類)は、ヒトという生物種
	として他の種と区別されています。 人類と他の動物を区別するものは何でしょうか?

	<猿人以前>

	人間とよく似ている他の動物としては、サルがいます。 では、ヒトはいつサルに似たなにかから分かれて現れたのでしょうか。
	生物学では、生物は進化すると考えられています。進化とは、増殖を繰り返していくうちに、より単純で一般的な生物からより複雑
	で特殊化した生物に多様化し、変化していくことです。 生物学の分類では、人間は、霊長類(霊長目)に属しています。 ヒトは、
	霊長類のなかから分化して現れてきた生物種だと考えられます。
	1億年から7千万年前に、地球上に最初の霊長類が現れました。 霊長類のなかで最も原始的なサルは原猿類と呼ばれます。ツパイなど
	がその例です。原猿類の見た目は、ヒトよりも、むしろネズミに似ているといっていいかもしれません。 霊長目は、目のしくみと手
	先の繊細さと脳の大きさにおいて他の目の生物よりも秀でているといえます。
	1千万年ほど前に、霊長目の亜目として類人亜目が分かれ出ます。このグループは、後足立ちができ、爪が鉤爪から丸い平爪になり、
	顔もより人間に近くなります。
	3千万年前くらいには、さらに尾のないサルが現れました。ヒト上科として区分されるサルです。現存するヒト上科に属する種として
	は、たとえばテナガザルなどがそうです。
	1700万年前になると、より大型のサルが現れます。ヒト科です。現存するヒト以外のヒト科の生物には、ゴリラやチンパンジー、オ
	ランウータンがいます。
	600万年前から500万年前くらいになると、より人間に近い、ヒト亜科として区分される動物が現れます。これは、より大きな脳を持
	ち、楽々と二足歩行できるようになった霊長類です。これらが人類の直接の祖先と目されています。

	<猿 人>

	ヒト亜科のうち、ピテクス(サル)という語尾の名前が付けられているものは、猿人と呼ばれます。なかでも有名なのはアウストラ
	ロピテクス(「南の・サル」の意味)です。中東アフリカで見つかった、ルーシーという名前で有名なアウストラロピテクスの女性
	の一個体は、400万年前から300万年前くらい前に生きていたと考えられています。初期の人類の祖先の化石が見つかる地域はアフリ
	カに集中しています。
	猿人が他の猿と大きく違うのは、直立二足歩行です。つまり二本足で立って歩いていたということです。ゴリラやチンパンジーはど
	ちらかというと二本足で歩くこともできるという感じですが、猿人は楽々と歩いていたようなのです。これはとても重大な事です。
	なぜなら二本足(後ろ足)で立つと、空いた前足(手)に何かを持つことができるからです。すなわち道具の使用が可能になったの
	です。
	もうひとつ、二本足で立つことのメリットは脳が大きくなることができたということです。四本足で歩く場合は、首は水平方向から
	頭を支えることになります。すると、あまり頭が重いと前にのめってしまい、歩きにくくなります。ところが二本足の場合は頭の重
	さは垂直方向に首にかかります。より重い頭を支えられるようになるのです。とはいえ、アウストラロピテクスの脳は400〜500ccく
	らいでした。チンパンジーよりちょっとだけ大きいくらいです。現在の私達の1400〜1500ccからすると比べ物になりません。
	200万年前になると、ホモ・ハビリスが現れました。これは、初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種だといわれています。
	ホモ・ハビリスは石器を使いました。石器は人工の歯や牙や角として機能します。他の動物を以前よりもはるかに容易に殺傷する力
	を得たのです。

	<原 人>

	猿人の次の段階に来るのが原人です。原人はホモ・エレクトスとも言いまして、アウストラロピテクスが身長140〜150cmくらいだっ
	たのに対して、160〜180cmくらいあったそうです。大体 180万年前くらいからアウストラロピテクスから進化したようです。脳みそ
	の大きさは900〜1100ccくらいで、猿人の2倍以上になっています。脳が発達し、言葉が使えるようになります。
	はじめてのホモ・エレクトスの化石は、ジャワ島で発見されました。これがジャワ原人(ホモ・エレクトス・エレクトス)です。
	アフリカを越えてアジアにまで広がったのは、原人が最初です。
	60万年くらい前から、地球は氷河期に入りました。氷河は北から南に広がり、多くの生物の適応を刺激しました。 原人は、毛皮を
	身につけ、天幕を張ったシェルターに住んだり、洞穴に暮らしたりしたようです。
	50万年くらい前には、原人による火の使用の痕跡が中国の北京で見つかっています。これが北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネン
	シス)です。聞いた事のある人もいるでしょう。 火を使えるようになると、暖を取れるばかりでなく、夜には明かりとなり、猛獣
	を遠ざけたり、食べ物を加熱調理したりすることもできます。
	なお、日本でも明石原人と呼ばれる原人の骨(寛骨)が発見されたことがありますが、この明石原人は本当に原人なのか疑問が出て
	います。

	<旧 人>

	原人の次が旧人です。ネアンデルタール人が有名ですね。旧人が登場したのが、大体50万〜30万年前くらいです。脳の大きさは1300
	〜1600ccくらいでむしろ現在の人間より大きいんですね。
	脳みそが大きくなったのに伴って精神的にも進化したようで、イラクのシャニダール洞窟と言うところで史上初の葬式跡というのが
	発見されています。この洞窟からネアンデルタール人の骨が見つかったのですが、その周りから花の花粉が見つかったのです。つま
	り死んだ人の周りにお花を添えたんですね。

	<新人>

	そしていよいよ我々現代人と同じグループの新人に入ります。現生人類とも言います。新人が登場したのが、20万年前くらいと考え
	られています。旧人もこの時代にまだ生き残っていたのですが、次第に新人に取って代わられたようです。
	代表としてクロマニョン人と上洞人を挙げておきます。スペインのアルタミラ、フランスのラスコーにこのクロマニョン人によって
	描かれた洞窟絵画があります。

	<石器時代> 

	道具についてですが、猿人のころから石で石を叩いて、割れて尖った石を道具として使っていたようです。このような石で出来た道
	具を石器と言って、石器を使っていた時代のことを石器時代と言います。猿人が石器を使い始めたのが大体 200万年前と考えられて
	います。
	石器時代は石器の発達に応じて旧石器時代・新石器時代に分けられています。旧石器時代の200万年前から紀元前8千 〜紀元前6千年
	くらいまで、新石器時代がそれ以降です。
	旧石器時代は先ほども言いました、石を叩いて作る打製石器を使っていました。これだと思う通りの形には中々出来ないので不便な
	事もあったようです。ですので、割れた石を磨くことで思い通りの形に仕上げて使う事が始まりました。これを磨製石器と言いまし
	て、これが使われていることが新石器時代の特徴です。


	<まとめ>

	人類の発達→二足直立歩行・道具の使用 
	猿人(アウストラロピテクス) 
	原人(北京原人・ジャワ原人) 
	旧人(ネアンデルタール人) 
	新人(クロマニョン人・上洞人)→洞穴絵画(ラスコー・アルタミラ) 
	石器時代 
		旧石器時代→打製石器 
		新石器時代→磨製石器 



クロマニョンで発見された人骨。



クロマニョン人の住居跡









ヨ−ロッパにおける先史時代の遺跡群











先史時代に生きていた動物たちの骨・化石もたくさん発掘されている。























クロマニョン人の住居跡

		
		クロマニョン人	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

		 
		クロマニョン人の頭骨 地質時代 更新世


		分類 

		界 : 動物界 Animalia 
		門 : 脊索動物門 Chordata 
		亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata 
		綱 : 哺乳綱 Mammalia 
		目 : 霊長目(サル目) Primates 
		亜目 : 真猿亜目 Haplorhini 
		下目 : 狭鼻下目 
		上科 : ヒト上科 Hominoidea 
		科 : ヒト科 Hominidae 
		属 : ヒト属 Homo 
		種 : sapiens 
 
		学名 Homo sapiens sapiens 
		和名 クロマニョン人 
		英名 Cro-Magnon man

		
		スクレーパークロマニョン人-コレクション"ルイラルテ"- トゥールーズの博物館.

	クロマニョン人(くろまにょんじん、Cro-Magnon man)とは、南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。1868年、
	クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によ
	って研究された。ヨーロッパにおける化石現生人類をひろくクロマニヨン人と言うこともある。またネアンデルタール人を旧人
	と呼ぶのに対し(ネアンデルタール人以外にも、25万年前に新人段階に達する前の、現代型サピエンスの直接の祖先である古代
	型サピエンス等も旧人段階の人類とみなすことがある)、クロマニョン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを新人と呼ぶこ
	ともある。約20万年前に誕生した現生人類を称するための用語としては、学名の「ホモ・サピエンス・サピエンス」、同じく新
	人の「ホモ・サピエンス・イダルトゥ」以外には、「新人」ぐらいしかないので、不正確ではあってもこれらの用語で代用され
	ることも多い。

	<進化の様相>	後期旧石器時代に属し、約4万−1万年前のものと考えられる。

	<身体的特徴>	骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている(特にヨーロッパ人に似ているとされる)。身長は男性で180cm前後。

	<文化>
	クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス( Homo sapiens)に属し、白色
	人種に入ると考えられるが、現在は化石でのみ発見されるので、同時代の他地域の上洞人・港川人などと共に「化石現生人類」
	とも言う。精密な石器・骨器などの道具を製作し、優れた洞窟壁画や彫刻を残した。また、死者を丁重に埋葬し、呪術を行なっ
	た証拠もあるなど、きわめて進んだ文化を持っていた。主流派の学説ではクロマニョン人はそのまま現代人へと遺伝的に繋がっ
	ているとされる。
	一部の学者によれば、狩猟採集生活をし、イヌ以外の家畜を持たず、農耕も知らなかった(資源が豊富だったのでより効率の高
	い食糧生産方法が必要なかった)ため、野ウマ・ヤギュウ・マンモス等の大動物が減少・絶滅すると共に彼らも滅亡したとされ
	る。精巧な石器や骨器を作り、動物を描いた洞窟壁画(ラスコー、アルタミラ、その他多数)や動物・人物の彫刻を残す。

	<研究史>
	クロマニョン洞窟での発見以来、同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見された。南フランスでは19世紀末にシャンスラード人
	・グリマルディ人が発掘されているが、発見当初、前者はエスキモー(イヌイット)に、後者は黒色人種に類似するとされた。
	しかしその後否定され、そうした類似と見えるのは個体差や、土中に埋没していた際の土圧による変形であり、いずれもクロマ
	ニョン人に含まれるとされている。

	<関連項目>
	ホモ・サピエンス 
	ネアンデルタール人 
	ラスコー洞窟 



































	
	日本の縄文時代に発掘されている丸木船と変わらんね。しかし二つの船の時代は5千年くらいの隔たりがある。勿論ここの連中の方が
	古いのだけれども、考えて見ると日本の縄文時代は1万年、旧石器時代は一万年か二万年かよく分からん年数ほどあった事になるが、
	精神構造は世界中ほぼ同じだ。人類の脳みその進化の過程はみんな一緒やね。1万年あれば、世界の何処かで産業革命を起こした人種
	がいてもいいように思うが、勿論そんな人種はいない。皆同じように石器で動物・魚を捕って1万年2万年を過ごし、土器を発明し、
	穀物栽培を覚え、社会を階層化し、金属器をあみ出して戦争を起こし、というようなプロセスを経ているのだ。蒸気機関車からコンピ
	ュータまで300年ほどしか経っていないのに、2万年の間にそこへ到達した人類がいてもいいのではと思うが、人類のDNAには、
	そういう設計図は内蔵されていないのである。全くおもしろいねぇ。















































大津波のような大岩。



と、その大岩の下から見た博物館入り口付近、と、



「フランス一美しい村のひとつ」Les Eyzies-de-Tayac 村。



ここは中世に城としても使われたので、アチコチにその痕跡が残っている。





上、右側の穴ぼこが先史人たちの住居跡である。日本で言う「岩陰遺跡」やね。



ネアンデタール人かクロマニョン人かの彫像が町を見降ろしているが、何かめちゃ悲しそうである。



	
	村を見下ろす石灰岩の断崖のなかには、3万5000年前の人類の住居アブリ・パトー Abri Pataud がある。初期クロマニョン
	人の生活の跡である。ゴツゴツした洞窟の岩天井に、1万7000年前頃に描かれた野生のヤギが残っている。





	
	ここも、「フランスで最も美しい村」の一つである。 村にはホテルが多く、ウ"ェゼール渓谷の洞窟巡りをするには最適な拠点
	である。渓谷の風景が美しい夏の景勝地でもある。フォアグラやクルミ、セップ茸を使ったペリゴール料理を味わいながら、遙
	かな古代人達の生活の跡を訪ねて廻るのも面白い休暇の過ごし方かもしれない。おそらくは日本でも、我々の先祖が同じような
	生活をしていたはずなのだ。或いは大陸のどこかで。







上の小さな洞窟のような所で暮らしていた。











上右は中世城の遺跡である。



ホントに美しい村である。住民は千人くらいしかいない。









町中至る所に先史時代グッズの店がある。石器をごそっと買おうと思ったが、結構高かったので止めた。1個くらい買っとけば良かったかな、







蚤の市。ビートルズのレコードも売っていた。
	
	博物館を出て、街のストリートのパン屋でパンを買い、駐車場の石垣に腰を掛けて昼食にする。駐車場と言っても日本のように
	コンクリートと針金の柵だけのような無味乾燥なものではなく、木立のなか石垣に囲まれていて、芝生も生え、実に気持ちがい
	い。車止めのラインなんか勿論無い。芝生の上、好きな所に停めるのである。芝生にマットを敷き、そこで昼食を取っているグ
	ループもいた。