2010年夏 フランス紀行 2010.7.8 フルヴィエール・ノートルダム聖堂



	
	2010.7.8(木)晴れ
	
	<フルヴィエール・ノートルダム聖堂>

	フルヴィエール大聖堂 (Basilique de Fourviere) はフルヴィエールの丘の上に建ち、市内のどこからでも見ることができる
	リヨンの象徴的建物。1872年から1896年にかけて建設されたバシリカ式教会堂である。






	
	ノートルダム大聖堂 (Basilique Notre-Dame de Fourviere)。	出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	バシリカのファサードフルヴィエールのノートルダム大聖堂、あるいはフルヴィエール大聖堂( Basilique Notre-Dame de 
	Fourviere )は、フランス・リヨンのフルヴィエールの丘にあるバシリカ式教会堂。
	献金により、1872年から1896年にかけて、街を見下ろす位置に建てられた。パリのサクレ・クール寺院同様、1870年のリヨン・
	コミューンにおける、社会主義勢力に対するキリスト教勢力の勝利の象徴となっている。ピエール・ボッサン Pierre Bossan 
	による設計は、ロマネスク建築とビザンチン建築、2つの建築様式の特徴を備え、当時としてはまれなことにゴシック建築様式
	は採用されなかった。
	すばらしいモザイク、ステンドグラス、及び使徒ヨハネのクリプトを特徴とする。バシリカではガイドツアーも催行されており、
	聖美術館 Museum of Sacred Art も含めると年間150万人の訪問客を迎える。
	ボッサンによるバシリカの最初の設計は、1843年のペスト流行200年記念に続く1846年に遡ると思われる。この時彼はパレル
	モにいた。
	ノートルダム大聖堂が建つ土地は、かつてはトラヤヌスによる古代ローマのフォルム「フォルム・ウェトス forum vetus 」で
	あり、その名前の由来となっている。フルヴィエールの丘の頂上にバシリカは印象的にそびえたっており、リヨンの街のいたる
	ところから眺めることができる。結果的に、フルヴィエール大聖堂はリヨンの街の象徴となった。バシリカは主要な塔4基、鐘
	楼1基を備え、最上部に金色の聖母マリア像を頂く。特定の時間にはバシリカの北塔に上ることができ、そこにはリヨンの街と
	その郊外の眺望が180度開けている。
	
 	アプスの東端と鐘楼フルヴィエール大聖堂は実際には2つの教会からなり、1つの教会の上にもう1つの教会がある。上側のサ
	ンクチュアリはたいへん装飾的であるが、一方下側は非常に簡素なデザインである。フルヴィエールは聖母マリアに奉献されて
	いる。1643年のペスト流行からリヨンの街が救われたことを感謝して小さな教会堂が建てられ、19世紀中ごろには200周年を
	記念して、金の聖母マリア像が捧げられた。毎年12月8日(無原罪の聖母の祝日)、リヨンは街の救済を聖母マリアに感謝し
	て街中にキャンドルをともし、これは「光の祭典 Fete des Lumieres 」と呼ばれている。
	夜のバシリカ普仏戦争では、プロシアの軍隊はパリを陥落させ、リヨンに向かって南進していた。教会で再び聖母マリアに祈り
	を捧げると、軍隊は停止し撤退していった。
	勝利を祝してバシリカの建設が1872年に始まり、1884年に完成した。内装の完成にはさらに時間を要し、最終的な完成は1964年
	になった。
	1982年には、ラジオ・フルヴィエール( fr:Radios chretiennes francophones の前身)のアンテナが塔に立てられている。
	フルヴィエールのノートルダム大聖堂は、1998年、リヨン歴史地区の一部として、UNESCOの世界遺産に登録された。



大聖堂に入る。ステンドグラスの窓が凄い。























教会内部にどうしてこういう悪魔像を配置するのだろう。参拝者に取り憑こうとしているのだろうか?